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それからしばらく経ったときだった。僕と美夜の関係はどこかおかしかった。お互いの存在を変に意識して、自然体ではいられなかった。何かに気がついてしまった美夜と、変わりたくない僕。おかしな膠着状態が続いていた。
しかし、そんな中でもなんとか、僕らは変わらず共に生きていた。なんとなく僕は安心していた。美夜が不安定なのも、僕らの膠着状態もいつかは落ち着いて、元通りになるんだって。
その日は、美夜が居間にやってくるのが、少しだけ遅かった。それ以外は、本当にいつも通りの朝だった。
実のところ、最近、僕と美夜は寝室を別にしていたのだ。僕らはいつのまにか、同じベットで睦み合いながら、互いに安心して寝いれる関係ではなくなっていた。
美夜はきっと、なにかしているのだろう、と思いつつ、なんとなく気になってしまい、僕は美夜の部屋に向かう。僕らの睡眠は一定で、眠る時間も起きる時間も、数分違わず、毎日同じだ。だから、何か理由がなければ、美夜は起きているに違いないのだけど。
一応、ノックをする。
「美夜? 入るよ」
返事がない。僕はそのままドアに手をかざし、美夜の部屋に入った。
静かだった。晴れやかな日の光が窓から差し込み、部屋の中は明るく照らされていた。そんな中、美夜はベッドの上で安らかに目を閉じていた。
僕は、美夜は起床時間を変更して、まだ寝ているのかと思った。だって目を瞑る美夜の顔が、あまりにもいつも通りだったから。
僕は深く息をついて、部屋を出ようとしたが、結局出ていかなかった。ベット脇の机に、何かが置いてあることに気がついたからだ。
折り畳まれた紙だった。そして、その横にあるのは、美夜の——
それを認識した瞬間、身体全身を悪寒が襲う心地がした。実際には、僕の身体は適切な温度に寸分違わず保たれているが、確かに恐ろしく寒かった。
まさか、まさか。
僕は浮かんだ恐ろしい考えを振り払うべく、机の上に置かれた紙に手を伸ばした。
果たしてそれは、美夜の手紙だった。紙にペンで文字を書く形式の手紙だ。この時代では滅多にお目にかかることはない。だがしかし、なぜか妙に美夜らしいな、なんてどこか冷静な部分が思う。
僕はゆっくりと紙を広げた。僕の手は震えることはなかった。僕の感情とボディーは切り離されたところにある。
『この“私”はあなたを愛している。何者でもないけれど、それでも。でも、“島崎美夜”を正しく葬りたいの。許してね』
見たくないのに、手紙の横にあった物の方向に目は勝手に動く。
粉々になった小さなチップ。そこにあったのは、“美夜そのもの”だった。いや、もう美夜ではない。幾十にも重ねられた固い防護ケースを全て破って、美夜は“美夜自身”を完全に壊したのだ。
声も出なかった。急に身体と“中身”の接続が切れたように力が入らなくなり、気がついたら僕は床にぺたりと座り込んでいた。
すべてが嘘のようにさえ思えた。美夜と100年以上ともに過ごしたことも、今生きているはずの僕の存在さえも。
「美夜……」
呟いた声が、やけに明るい室内に空虚に響く。響いた音が反射して、再び僕の耳に戻ってきて、その声を僕の内部の回路が受け取ったとき、僕は静かに咆哮した。
「あぁ……、あ、あぁ……」
悲しみ、苦しみ、そんな言葉では言い表せない、渦巻いた感情が僕を襲った。その感情は僕の衝動を突き動かし、咆哮させ続けた。
この渦巻くような感情が、プログラムされたものだとは、到底思えなかった。
とっくに気がついていたのだ。美夜の瞳の色が深くなるとともに、僕の“中身”も日々の睡眠の中で“リロード“を繰り返していた。
「島崎美夜」も、「工藤純」も、とっくの大昔に死んでいるのだ。彼らは結局、永遠にはなれなかった。
僕は、自分のことを「工藤純」だと思っている、彼の記憶や思考をコピーした機会知能なのだろう。今までの美夜もそうだった。僕らの存在は、彼らの記憶や思考の形を模して造られた、永遠を夢見た彼らの残滓体でしかないのだ。
誰もが永遠に生きることを夢見たこの世界で、もう今となっては人間なんて一人も存在してないだろう。
だがしかし、それがなんだと言うのだ?
僕が「工藤純」なんかじゃないとして、美夜が「島崎美夜」なんかじゃないとして、僕は“美夜”と一緒にいれればそれでよかったのに。今ここに存在する“僕”にとっては、それが全てだった。
僕らがたとえどんな存在であっても、この世界なら僕らは永久えになり得たのだから。
一人、咆哮する声が響く。このディストピアで、僕は美夜と永久えでありたかったのだ。
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