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ポストに入っていた一枚の絵ハガキ。誰がどこから送ってきたものか判らないけれど、写真を見た瞬間、一目でその風景の場所に行きたくなった。
すぐさまネットでその風景がどこのものなのかを調べ、会社の連休に旅行する計画を立てた。
そして迎えた当日。
最寄駅からタクシーに乗り、私は脇目もふらずに目的の場所へ辿り着いた。
絵ハガキで見たのとまったく同じ光景。でもどうしてか、あれを見た瞬間のような胸の震えが起きない。どころか、むしろこの場に立つとうすら寒い気分になる。
そんな私に、立ち去らずにその場にいたタクシーの運転士が話しかけてきた。
「お客さん、まさか、その…おかしな目的でここへ来たとかじゃないですよね?」
尋ねてくる言葉に首を傾げる。
そういえば、車内でもやたらと行先を確認してきたけれど、おかしな目的って何だろう。
それが疑問でこちらから問うと、運転士は少し気まずそうに喋り出した。
「ここは確かに観光スポットの景勝地ですけど、その…自殺の名所でもあるんです。だから、駅から出て来るなりここに向かってくれと言われて、まさかと思って、立ち去らずに様子を窺ってたんですよ」
自殺の名所?
確かに言われてみれば、絶景の断崖は、ここから海に飛び降りるのに適した土地と言えなくもない。
でも私にはそんな気はまったくない。だから、届いた絵ハガキを見せ、これを見て観光に来たのだと告げた。
その瞬間、運転士の顔色が変わった。どうしたのか尋ねると、これまでに、まったく同じ絵ハガキを持ってこの土地に来た人を、もう何人もここへ運んでいると言うのだ。
「その際全員に、ここは自殺の名所だと教えたんですが、すぐ引き返した人はほんの一握りでした。後の人達は、それでも来たからにはしばらくここにいる。だから戻ってくれと追い返されて…さすがにその後、その人達がどうしたかは知りません。ただ、しばらくしてから、また自殺者が出たという噂は何度か聞きましたが」
そこまでいた瞬間、私は、すぐさまタクシーに乗せてくれと運転士に頼んでいた。
安堵したような顔で私を乗車させてくれた運転士は、無事駅に着いた私を笑顔で見送ってくれた。
そこからは、旅行の予定をすべてキャンセルし、私は早々に地元へと帰った。
いったいどうして私の元に、自殺の名所を写した絵ハガキが届いたのかは判らない。
自殺願望なんて持ったこともなかったけれど、仕事などで失敗した時や疲れた時などにそういう気持ちが蓄積し、その気持ちを後押しするようにあの絵ハガキは届いたのかもしれない。
ただ、私はあの日、運よくあのタクシーに乗ったおかげで、こうして元の日常に戻ることができた。
車内に名前は書いてあったはずだけど、あの時は動転してて、ろくに名前をも覚えていないタクシーの運転士。
あの人にはとても感謝している。
そして、いつの間にか手元からなくなっていた絵ハガキ。もしあれと同じようなものがまた届いたとしても、その時は、現地に行きたい気持ちを必死に耐えきろうと思う。
また運良く、私を止めてくれる人に出会えるとは限らないからね。
絵ハガキ…完
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