あなたに「おかえり」を贈らせて

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「じゃあ私働いてくるから」 コンビニ弁当のゴミと酒の缶とタバコの吸殻まみれのリビングで、酒に酔いながらテーブルに上半身をもたれている母親にそう告げる。赤くなって潤んだ母親の目ヤニだらけの目が、私を見つめていた。 「へえ〜?置いてくの母さんのこと??」 腐った毒みたいな声で母親が私を呼び止めた。 「なに言ってんの、働かないとでしょ」 取り合っても無駄だ。 手早く荷物をまとめて出勤しようとしていると、酔っ払った体のどこにそんな力があったのか疑うほどに力強く、母親が私の腕を掴んだ。 私の腕よりも凄まじく細くて青白い。 骨張った指の爪が私の肌に食い込む。 「男だろ??あんたも男なんか居たんだ??」 いやらしく口角をあげた母親の口から覗く歯が、何色とも形容出来ない不健康な色に染まっている。 男なんかいるわけないだろ。 私の人生にそんな娯楽品あるわけないだろ。 「違うから、離して」 声に何の感情も乗せずにそう言っても、母親の爪は鋭く私の腕に食い込んだままだった。 「あんたなんかどうせ捨てられるよ??あんたなんかが幸せになれるはずないんだから」 そんなこと自分が一番分かっていた。 ありとあらゆる全ての恨みを込めて渾身の力で、この女と、こんな風になるしか無かった人生を振り払ってしまいたかった。 だけど私にそれは出来ない。 強く母親を拒絶すると同時に、私は母親が悲しく寂しい人間であることを、この地球で誰よりも理解してしまっていた。 そしてもう遥か遠く昔の母親との幸せな記憶が、私の脳にはまだ微かに存在してしまっていた。 しばらくの間私が黙って立ち尽くしていると、母親の私の腕を握る力が弱まっていった。あっという間に母親の手がずり落ちる。 「ゆうぅ、置いてかないでよ。母さん、ゆうのこと大好きだからさあ」 母親は泣きながら私の膝に縋りついた。 「ゆうちゃん、ゆう大好きだよ、可愛いね」 そう言って私の膝を撫でる母親の白髪まみれの頭頂部が見える。吐きそうなほど苦しいはずなのに、信じられないくらい心が動かない。 もういっそ、この家を終わらせてしまった方が良いだろうか。 幾度も幾度も考えたことのある、唯一の解決策に手を伸ばしそうになる。 そうすれば誰にも迷惑をかけない。 閉鎖的なコミュニティが形成されている小さなこの町で近所の人たちから向けられている、冷たい迷惑そうな視線から逃れることが出来る。 私の体に染み付いている母親のタバコの匂いが原因で嫌な顔をし始めている就職先も、私を雇い続けることをしなくて良くなる。 私も母親も、今よりきっと楽に、幸せになれる。 母親の首に視線をやって俯いた私の視界に、その時、色が抜けてさらに明るくなった自分の茶髪が映り込んだ。 あの日のカレーライスの色。 夢から叩き起されたように、優雨は母親を振り払った。私が今すべきことは、明日のご飯を買えるように稼ぐことだ。私は生きなければいけない。 決定的な事態が起こってしまわないように、テーブルに散乱していた何のためのものかはっきりとしない錠剤の数々を回収して、優雨は家を出る。 動悸を必死に抑えながら、母親を殺してしまわぬように少しでも家から離れようと足早に歩く。 自分が怖くて怖くて仕方がなかった。 その時、突然優雨のスマホが振動した。 私のスマホが鳴るということはその相手はたった一人だけ。私の何よりも大切なあなた。 スマホの液晶に 私の家に来て そう簡潔なメッセージが浮かんでいた。
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