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「ここが終の住処になるのか」
茂がリビングの中を見回して、年寄り臭い言い方をした。
「そうしたいわね。もう、引越しは面倒だから」
部屋の中には業者が運んだ引越し荷物の段ボールが積み重なっている。
これを開けて、中身をタンスに戻すことを考えるとゾッとする。
「先にご近所にご挨拶に行きましょうか」
「ああ」
お菓子を入れた紙袋を手に家を出た。
中古だが築浅な家だった。普通のベージュの壁に深緑のスレート葺きの屋根。屋根付きカーポートがあったのもいい。
郊外だが駅まで七分、茂の会社までは一時間。スーパーも近い。
左隣は留守だった。右隣はインターホンで挨拶すると、ゆっくり時間をかけて、お婆さんが出てきた。
「こんにちは。隣に引越してきた高野です」
頭を下げながら、お菓子を差し出すと、お婆さんは困った顔になった。
「あら〜、ごめんね。受け取れないわ」
「あの、それはどういう」
「私、今日の午後、引っ越すの。年寄りの一人暮らしは心配だ、一緒に暮らそうって、東京で暮らしている娘夫婦が言うもんだから」
「そうなんですか。それはよかったですね」
「だから、そんないいもの頂くのは、申し訳なくって。会ったばっかりで別れの挨拶になってしまったけど、ここはね、みんないい人ばっかりだから。ね」
次に向かいの三軒を回った。真向かいは留守、それ以外の二件にはやっと、挨拶してお菓子を渡すことができた。
「感じのいい人ばっかりだったな」
茂がホッとした様子で言った。
近所の人がどんな人かって大事だし、事前には分かりづらいもんね。
「明日は自治会のことを聞いて、会長に挨拶に行くわ」
「頼む」
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