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朝、カーテンの隙間から差し込む朝日に、自然と目が覚める。スマートフォンのアラームを先回りして止めて、思い切り伸びをし、深呼吸した。気持ちの良い朝の始まり……
「おはようございますう」
視界にぬっと現れたのは、天井からぶら下がるように逆さまに浮いた男だった。
「わっ」
思わずその横っ面をひっぱたくように手を振ってしまったが、何の手応えもなく腕は男の透ける頭を素通りしていく。三日前に引っ越してきてから毎朝同じことをしているのに、まだ慣れることができない。
幽霊の存在に慣れられるものなのかはわからないが。
「おはようございますう」
俺が反射的に腕を振ったことは全く気にせず繰り返す彼に、俺もまだドキドキする胸を押さえながら頭を下げる。
「お、おはよう……ユウタ君」
名前を呼ばれて嬉しいのか、幽霊のユウタ君は逆さまのままでゆらゆらと揺れた。
「酒木さんの今日のご予定は?」
「あー、今日もノープラン。……トイレ」
「はあい」
見送られてトイレに入り、用を足しながら考える。
内覧の時には確かに、ユウタ君の姿はなかった。不動産の担当者も、この部屋で死んだ人がいたなんてことはおくびにも出さなかった。だが転居初日の晩に、彼は現れた。突然部屋の真ん中、ダイニングテーブルの上に正座姿で。「こんばんはあ」とユウタ君は言い、俺はカップ麺のかやく袋を持ったままで気絶した。
あの時のことを思い出すと、今でも鳥肌が立つ。
「酒木さん、調子悪そうですねえ」
トイレから出ると、ユウタ君が心配そうに俺の周りを浮いて回った。
「やっぱり、僕なんかがいると迷惑なんですよねえ。申し訳ないことですう」
心底申し訳なさそうにされると、こちらの良心が痛む。幽霊とはいえ、彼には彼なりの事情……未練があるばかりに、成仏しきれず、この部屋にいるのだ。
「それで、酒木さん……」
ユウタ君は上目遣いで俺を見る。
「わかってるって。『少年宇宙』のバックナンバー、今日も買ってやるから」
ユウタ君の瞳が輝いた。
「ありがとうございますう! 酒木さん、本当にびっくりするほど優しいです!」
優しいも何も、自分の新居に幽霊がいるのなら早く成仏してほしいと思うのは当然のことだ。見当違いの感謝が気まずくて、俺は眼を逸らす。
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