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「お兄さぁん、こっちの広い部屋とかダメですかぁ?」    雁野が受付のカラオケ店員に上目遣いすると、彼は上機嫌でパーティルームへ案内してくれた。 「採点どうする?」 「どっちでもいいよ、おれは歌わないから」 「えー、勝ったらイイことあるかもなのに?」  思わせぶりな彼女に気づかないフリをして、おれは適当なヒットソングをリクエストした。 「雁野、意外と歌上手いじゃん!」 「ママがスナックやっててさ、よく歌わされんだよね」  人前で歌うのにためらいがないのはそういうことか。一曲歌い終えた雁野に拍手を送ると、彼女は少し照れながら「……てな感じかな」と付け加えた。 「実はさ、()(たけ)の誘いで文化祭でライブするんだ。あんたも出てみない? せっかくいい声なんだし」 「いやー、おれはやめといた方がいいっしょ! 最近の曲も知らないしさ。てか佐竹ってあの金髪? 歌えんの?」 「ちょい音痴だけどまあ、そこは練習あるのみって感じ!」 「めちゃくちゃ不安なんですけど」  その時だった。雁野が「あ」と声を上げ、プロジェクターが映し出す映像を見つめた。 「日高一晴じゃん! 顔が良い〜!」  日高一晴。  雁野の口から放たれたその名前に、身体の熱が急速に引いていく。 「四十くらいだっけ? ぶっちゃけ全然イケる」  頼む、それ以上は言わないでくれ。  釘付けになる雁野とは反対に、おれは映像を直視することができなかった。六年振りの父さんの歌声。その視線の先にはもう、おれと母さんはいない。 「そういえばさ」  雁野、お願いだ。 「あんたの声誰かに似てると思ったら、日高一晴だ! ねえなんか歌ってよ! 今やってるドラマの曲とかさ」  はしゃぐ雁野がおれの膝に端末を置き、父さんの曲を指差した。 「ごめんだけどそのドラマ観てなくってさ、こっちでい?」  履歴にあった適当なアーティストの曲を入れ、どうにか一節歌い切ると、雁野は興奮しながらおれの背中を叩いた。 「選曲あんまだけど超上手いじゃん! まさかホントに“日高一晴の息子”だったり?」 「いやそれ嘘だから」 「えー、なにイライラしてんの? せっかく褒めてんのに! そうだ、この曲ならさすがに知ってんでしょ!」  雁野が演奏停止ボタンを押し、端末を操作する。流れ出すイントロには聴き覚えがあった。 「……なよ」 「え? なに? ほら始まるよ!」  口元にマイクを押しつけられ、おれは。 「勝手なことするなよ尻軽女!」  おれは、気づくと叫んでいた。マイクがハウリングし、耳障りな音を立てる。安っぽい演奏に荒い息が混ざった。 「世良? 大丈……」 「触んな! どうせお前みたいな女が父さんを誘惑したんだ!」  差し出された手を払い、おれは部屋を飛び出した。上手に息が吸えず、視界がぼやけた。雁野の顔は見れなかった。
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