5 夫・宏輔

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5 夫・宏輔

   ★ 「少し休憩しよう」  バイパス沿いに、少し広めの駐車場を備えた公園があった。  海を望める小高い場所に眺望用の屋根の着いたベンチとテーブルが整備されていて、あと1時間もすれば其処で落陽を見ることができるだろう。 「暗くなる前に帰りたいんじゃない?」  綾乃が僕を気遣ってそう話したが、僕は「いいから」と彼女を座らせた。  秋が始まっているのだと思った。  海風はどこか生温いけれど、そこに溌剌なエネルギーは感じなかった。  後ろに結った綾乃の髪はそれほど長くはないから、それを受けても揺れなかった。  いつから綾乃は、髪を短めにしたんだっけ。  若い頃は、結婚式のヘアアレンジの為にと髪が伸びるまで式の日取りを後ろ倒しする程だったのに。  結婚してすぐ、僕等は咲を授かった。  交際期間一年。  将来を意識して付き合っていたから、予定通りの家族計画ではあった。  同じ頃に小さなデザイン会社を起業し、僕は必死で働いた。  家族を守らなければならない。  経済的なところに重きを置き、そんな責任感を僕は常に持って生きてきた。  朝早くから夜遅くまで働いて、僕は家族を養っている気になっていた。  咲の習い事も学習塾も進学もちゃんと通わせる事ができていたし、その全てに経済的な理由で負い目は感じさせたくなかったのだ。  いつの間にか、夫婦の会話は減っていた。  いつの間にか、娘の成長の瞬間を気付かなくなっていた。  家族仲が悪かった訳ではない。  咲を真ん中に置いて、三人で話はしていたと思う。  返事も労いも相槌も家族の空間には存在していたが、今思うと、それはいつの間にかただの「業務連絡」になっていた気がする。  僕は、家族を「経営していた」に過ぎなかったのかもしれない。  太陽が、水平線に近付いてくる。  綾乃はまた、それを眺めている。 「……咲が家から通おうとしてたのは、私達のためだったのね」  結った髪を解きながら、綾乃が首を振った。  暖色の混じり始めた陽の光が、彼女の舞う髪の隙間から僕を照らしていた。 「……ちょっとトイレ」  僕は立ち上がり、トイレに向かう振りをして車まで戻ると、後部座席からスケッチブックと色鉛筆を取り出した。  
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