猫のお引越し

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 いつもにこにこしながら吾輩を撫で回していた彼女だが、ある日を境に急に笑顔を失った。何か悲しいことがあったのだろう。生きていればそういう日もあると思い、吾輩は静観していた。 「わたしね、もうすぐここを離れることになりそうなの」  彼女はある日、吾輩に話しかけると、抱き上げた。たまにこれをされるのだが、ぬくぬくして悪い気はしない。ただ、今日は妙に腕に力が入っているような気がする。 「お家も引き払うから、もうここに餌をあげに来られなくなると思うの」  いつもと声の調子が違うようだった。吾輩を撫で回しているときより明らかに弱々しい。 「クロ、よかったら一緒に来ない?」  彼女は吾輩を抱き上げたまま、〝じどうしゃ〟の前に連れてきた。これがひ弱な人間を遠くへ運ぶための乗り物であることは知っている。要するに、彼女は吾輩をどこかへ連れ出そうとしているのだ。  吾輩はこの場所を縄張りとしている。故にここを離れるつもりは毛頭ない。彼女の住処であれば、ここも近いし居心地は悪くなかった。冬の時期は何度となく世話になったこともある。しかし暖かくなった今では、この場所が一番落ち着くのだ。 「そうだよね。クロはここがいいよね」  吾輩を地面に下ろすと、彼女は吾輩の頭にそっと触れた。 「わたし、ずっと一人ぼっちだったから、クロがいてくれてうれしかった。今までありがとうね」  その時の彼女の泣きそうな笑顔が、ずっと頭から離れなかった。
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