猫のお引越し

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 そして、彼女はいなくなった。吾輩には他にもご飯を差し出す信者たちがいるので、食うのには困らない。寝床に丸くなり、毛布にわずかに残る彼女の匂いを嗅ぐと、あの高い声が聞こえるような気がした。彼女は吾輩をどこかへ連れて行こうとしたのだろう。  目を覚ますと、吾輩は朝から酷く気分が悪かった。日差しは暖かく、先程献上された刺し身の味は格別だった。それなのに、全く満たされない。こんな感覚は初めてだった。  吾輩は気付いた。彼女の匂いや声が心地よいのだ。その両方が失われようとしている今、吾輩は激しく落ち着かない気持ちになっている。彼女こそが吾輩の居場所なのだと。  ヒゲに意識を集中させると、彼女は太陽が沈む方角にいることがわかった。それもかなり離れた場所だ。  気付いたとき、吾輩は公園を出ていた。  川沿いの道を順調に辿って大通りに出たところで、吾輩は躊躇した。奴の仲間が凄い勢いで行き交っている。  ヒゲが示している方向は、この通りの向こうだ。この間を縫って向こう側に渡らなければならないわけだ。吾輩からすれば、決死の覚悟がいる。
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