猫のお引越し

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 吾輩はクロである。またの名をみーたん、ヒゲ、あるいはオジゾウサンなどと呼ばれている。これは吾輩が複数の家を渡り歩いているからにほかならない。  どの名前にも由来があるらしいが、オジゾウサンだけは未だにしっくりきていない。  吾輩をクロと呼ぶのは、公園の裏手に住む若いメスだ。吾輩が日向ぼっこをしていると、窓から声をかけてくる。  長年生きてきた吾輩は、人間が発する言葉をある程度なら理解出来るようになった。自慢のヒゲが声に反応して、意図するところを汲み取るのだ。 「クロ、ご飯だよ」  吾輩はひとつ伸びをすると、金網の隙間を抜けて彼女の家の側に陣取る。 「今日はごちそうだよ。猫缶を貰ったからね」  彼女たちはただくつろいでいるだけの吾輩に、無償でご飯を差し出してくる。実に殊勝なことだ。  そして、この〝ねこかん〟とかいう食べ物は、いつもの〝かりかり〟とはまったく違う食感だった。味もなかなかに悪くない。咀嚼しながら、つい声が漏れてしまう。 「よっぽど美味しいんだね」  彼女の視線など構わず、吾輩は夢中で平らげてしまった。この世のものとは思えぬご馳走だ。こんなものを差し出してくるとは、何か裏でもあるのではないか。いや、裏があっても構わない。もう少し味わいたい。吾輩は缶に顔を突っ込みすぎて、顔が抜けなくなってしまった。 「あはは、また買ってきてあげるから」  それからしばらく、顔中から美味しい匂いがしていて、舌なめずりが止まらなくなった。
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