引越し

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 今日は些細なことで彼女と喧嘩をした。    僕が彼女の話を真剣に聞いてなかったという理由だ。確かに僕が悪い。でも彼女も彼女だ。いつも似たような話をエンドレスに繰り返す。初めのうちは僕だって彼女の話を聞こうと思うのだが、途中からは電話営業の自動音声みたいに感じてくる。言葉の意味は放置し、ただの音として聞き流してしまう。  僕は、そっとスマホの画面に指を当てる。別に、何かを見たいわけでも調べたいわけでもなかった。喫煙者が無意識に煙草に火を点けるようなものだ。間を持たせるための癖なのだ。  「ねぇ、聞いてる?」  唐突に彼女の言葉が推進力を高め迫って来た。僕は平常心を保ちつつ、スマホから指を離す。そして「ああ、聞いてるよ」、と答えた。  「じゃあ、なんて言ったか答えてみて」  彼女は僕に追及する。僕は捕食者に狙われた小魚のように逃げ場を失う。   「ごめん。聞いてなかった」と僕は観念する。「何の話し?」  「もう、いい」。彼女は機嫌を悪くし、口をつぐむ。  それから、今日のデートは最悪で、僕が何度も謝ろうが、彼女の機嫌は回復しなかった。  まあ、いいか。僕は、このアクシデントを軽く見ていた。なぜなら、駄目なら駄目で、今日という日をもう一度やり直せばいいのだから。  僕が、この方法に気が付いたのは、今から半年ほど前になる。    僕は社会人二年目。僕は大学を卒業して今の会社に就職したのだけど、就職先は大学の近所にある。  僕は大学に入ると、実家を出て、一人暮らしを始めた。ボロアパートの1DK。不動産業者も介入していない、ばあさんが大家の格安物件のアパートだ。  僕は大学を卒業しても、このボロアパートに住み続けていた。お金を稼げるようになったので、もっと良い物件に引っ越そうと思えば引っ越せたのだが、物件探しやら引っ越し作業が面倒で、就職してもズルズルと一年間も住み続けていた。  僕としては、急いで引っ越しするほどでもないと思っていたのだが、彼女が、そろそろ引っ越ししなよ、と()かすものだから、今から半年ほど前に引っ越すことにした(実際には引っ越してないのだが)。  引っ越しは、引っ越し業者に頼まず、自分で引っ越しすることにしていた。そのため、荷物は最小限しか持って行かず、ほとんど処分することにした。大学から使っている家財道具も古くなっていたので、この際一新し買い換えようと思っていた。持って行くものは、就職してから買った中古車で運べるだけにしていた。  引っ越し当日、僕は昼頃に引っ越しを開始しようと予定していた。引っ越し先が近所ということもあり、焦る必要もない。今日中に済ませればいいと考えていた。  引っ越す直前、大家のおばあさんがやって来た。僕は一応お礼を言い、部屋の鍵を返した。  僕は少なからず感傷的になっていた。大学時代の思い出が蘇る。貧乏学生で狭くて窮屈に感じていた部屋だったが、いざ別れると思おうと、なんだか寂しいものだ。  なんだかホームシックに似た気分のまま、次の住まいに向かった。そこで問題が発生した。  入居する予定の部屋に、他の住人が居座っていたのだ。  その住人というのは、不動産屋の話なら、僕が入居する前に退去しているはずだった。退去し、ハウスクリーニング後、僕が入居。その手順で話は決まっていたはずだ。そして僕の入居が今日なのだ。  僕は退去してない住人と話をした。すると、一か月退去する予定が伸びたということだった。僕はそんな話は聞いてない、と声を荒げた。僕が好戦的だったものだから、相手も次第に興奮してきた。相手は、不動産屋にきちんと説明し承諾を得ていると訴えた。そして、僕が入居する予定だった扉を閉め、僕を締め出した。  これはいったいどういうことなんだ。僕のはらわたは煮えくり返っていた。先ほどの、感傷的な気分はすでにどこかに飛んで行っていた。  僕はすぐさま、不動産屋に電話した。引っ越し先の担当者が至急に来てくれることになった。  僕の不動産屋が来るまで、僕はイライラしながら待っていた。待っている時間、スマホでゲームをするも気分が紛れることはなかった。待たされている時間というのは、待たされている相手に時間を奪われているし、思考も侵食されているようで不快に感じる。乾いたスポンジが水を吸うのかのように、勝手に思考の中にフラストレーションが溜まってくる。  担当者が来たのは、僕が電話してからどのくらい経ったのかは分からない。時計を見てなかったし、時間も計ってない。ひょっとしたら、ほんの数分で来たのかもしれない。しかし僕にとっては、とてつもなく長い時間だった。  それでも僕は、まずは冷静になって、どのような経緯でこのようなことになったのかを説明してもらおうと思っていた。しかし担当者を見て、その考えも吹っ飛んだ。  担当者はうっすら笑いながら「申し訳ないですね」と言ってきた。  なぜ笑いながら言う。しかも、その担当者は五十歳くらいの中年のおっさんだ。この状況が、笑いながら謝罪して許されると思うレベルなのか?そんなことも理解できないほどの人生経験を送って来たのか?  僕は軽視されていると感じた。この担当者もそうだが、この担当者を送ってくる不動産屋に対しても。完全に気分を逆撫でされた。  担当者は、前住居者から退去を伸ばして欲しいと相談され、それを僕の許可もなく承諾した。しかも、その話を僕にすることを忘れていたという。あってはならない事態だ。それなのに、こいつは薄ら笑い。  僕はこいつだけは許さないと思った。  僕は今すぐに前住人を退()かせろ、と要求した。担当者は、「それは無理ですよ」と笑いながら言ってきた。こいつは、僕が冗談でも言っていると思っているのか?  僕は再び「退()かせろ」と要求した。担当者の答えも変わらず「無理です」と。このやりとりが何度も何度も繰り返された。それは永遠に繰り返されるメトロノームのような攻防だった。  担当者は代案として、「他の物件を貸しますので、仮住まいとして使ってくれ」と言ってきた。「家賃もタダで」と付け加えた。  別に悪い話ではなかった。しかし、僕はその案を突っぱねた。僕の怒りは収まらない。一度飛び立った飛行機が急には止まれないのと同じことだ。  すると今度は、いままで謝っていただけの担当者からの反撃がきた。担当者の表情は無表情になり、声のトーンも暗めに言ってきた。  「あなた様の契約には不備があります。保証人の用紙が提出されてません」  僕は思い出した。入居にあたり保証人のサインやらを実家の父親にもらったことを。  僕の実家は少し離れていたため、契約時には保証人の用紙が用意できなかったのだ。そして引っ越す前には、その用紙を不動産屋に提出することを約束していた。僕は、それをすっかり忘れていた。いや、忘れていたというより、面倒くさかったので不動産屋に持って行ってなかった。引っ越す時でもいいか、と軽い気持ちで考えていた。    「その保証人の用紙なら今持ってる。車のダッシュボードに入れてある」と僕は声を荒げて言い返した。  「でも、まだ私は受け取手ません」、担当者は淡々と言う。  「契約できてない、って言いたいのか?」  「まあ、そういうことになりますね」  そっちのミスで、このような事態に陥っているのに、それを僕のミスでうやむやにするつもりか?  僕はこのとき、初めて頭に血が上る感覚を得ていた。頭から血の気が引く、立ち眩みとは逆なのだ。本当に頭に血が集まってきているのだ。  「じゃあ、契約できてないのなら、もう契約しません。そこの部屋はもう結構です。借りません」と僕は啖呵を切った。  「ですから、こちらとしましては、迷惑をお掛けしましたので、一か月間は他の物件を仮住まいとして無料で貸しますよ、って提案しているんですよ」  「いえ、結構です」  僕はそう言い残し、担当者が引き留めるのを無視し、その場をあとにした。  車に戻り考えた。これからどうしようか?と。車のあらゆる場所には荷物が詰まれ、僕がいられるのは運転席しかない。最悪、車の中で過ごすしかないけど、せいぜい今日一日くらいが限度だ。早く住むところを見つけないと。    僕は付き合っている彼女のことを思い出した。彼女の所に転がり込むか?  いや、それは無理だ。なぜなら彼女は実家暮らしだから。僕は彼女の両親と仲良くないし、そもそも会ったこともない。挨拶すらしてない男が、彼女の家で同棲なんて出来るはずない。  僕は元いた場所に戻ることにした。大家のばあさんに事情を説明すれば、一晩くらいは部屋を貸してくれるだろう。いや、あんなボロアパート、次に入る住人など見込めるはずがない。また、しばらく部屋を借りることぐらいできるだろう。  そう考えた僕は、大家の元に車を走らせた。とりあえず急ごう。もう日が沈み、街灯の光が灯り、周りは薄暗くなっていた。早くしないと、大家が外出するかもしれない。  僕が大家の元に着くと、大家はちょうど出掛けるところだった。大家はいい歳をしているくせに、毎晩飲み歩いている。僕も大学時代(もちろん二十歳をを超えてから)、暇そうにしているとよく付き合わされた。まあ、僕としても、タダ酒が飲めたので文句は言わないが。でも就職してからは、平日は仕事、休みは彼女と遊びに行くことが多いので、一緒に飲みに行ったことはほとんど無いのだけど。  僕は大家を呼び止めた。大家は僕の顔を見てびっくりしていた。そりゃ、今日、出て行った住人が目の前に現れたのだから驚くのも仕方がない。  僕は大家に今日の事情を話した。そして、また同じ部屋をしばらく貸してもらえないか?と訊いた。大家は快く承諾してくれた。大家は自分の部屋に戻り、そして僕の部屋の鍵を再び貸してくれた。  「あんた、これから何か用でもあるのかい?」と大家が訊いてきた。  本当は部屋で休みたかった。もう今日はクタクタだ。肉体的にも精神的にも。でも、ここで断るのは無粋というもの。明日も休日だ。本来なら、引っ越し先での備品の買い出しとかをしようと思っていたのだが、すべて白紙になった。明日はゆっくり休めばいい。そう思い、僕は「何もないですよ」と答えた。  「じゃあ、久しぶりに飲みに行くかい?」  「喜んで」  行くところは大体分かっていた。大家の行きつけの店だ。割烹料理屋で腹ごしらえしたあと、カラオケスナック店に行く。  僕は疲れていたこともあり、酔いが回るのが早かったように感じた。酔ったことで、今日あった嫌のことは、頭の片隅に追いやることが出来た。  僕が部屋に戻ったのは、何時だったか定かではない。ただ、スナックで飲んでいた時に日付が変わっていたことは把握している。僕は車から、掛布団だけを取り出し、何にもない部屋で眠りにつくことになった。  次の朝、僕はインターホンの鳴る音で目が覚める。まどろむ意識の中、なんとか玄関にたどり着き扉を開けた。外には大家が立っていた。  「どうしたんですか?」と僕は訊ねた。  「引っ越しする時間じゃないのか?」と大家は不機嫌そうに訊いてきた。  「は?」と僕は訊き返した。  「だから、引っ越すのは今日のこの時間だろ。鍵を渡したいから来てくれって、そっちが指定してきた時間なのに忘れていたのかい?」  僕は眠りの縁から段々と覚醒し目を覚ましていく。そして昨日のことを思い出す。引っ越しが出来なかったこと。大家と飲みに行ったこと。大家には事情を説明したし、大家も納得してくれていたこと。目が覚め、頭の思考も回転しだした。  そして、僕は大家がボケだしたのではないかと不安になった。  「昨日のことですよね?」と僕は言う  「今日だろ、引っ越しは。それに、引っ越しが昨日のことなら、なんで、あんたはここにいるんだ。あんたボケてるのかい?」  ボケ老人にボケと言われるのは心外だ。僕は「昨日、飲みに行ったとき、全部話しましたよね」と言い、前のめりになる。大家は、「はあ?何のことだい?」と怪訝な顔をした。  それから僕は、大家との記憶の齟齬(そご)を合わせようと話を進めるが、どうも噛み合わない。ファスナーの噛み合わせがズレて動かなくなってしまったような会話だった。    大家は痺れを切らしたように「スマホで日にちを確認しな。今日が引っ越しの日だろ」と言い放った。僕は、自分の正しさを証明するためにスマホの画面を確認した。  僕は言葉を失った。スマホの画面には、引っ越す予定の日と時間が表示されていた。僕は、何か言おうと試みるも、脳の中に言葉が現れない。僕の中で電気信号が狂ってしまい、僕の体は一時的に機能を止めてしまったかのようだった。  「どんな夢を見たのか知らないが、さっさと準備しな」と大家は言った。  大家の言葉で、僕は夢を見ていたのか?と思った。それにしてもリアルな夢だ。でも、そう思わないと、何も出来なかったし動けなかった。    僕は部屋にある掛布団を畳み、部屋を出た。そして大家に鍵を返して、引っ越し先に向かった。車を運転するのも怖かったけど、より慎重に運転し、引っ越し先の目的地には無事に着いた。  そして、引っ越し先の住居には、やはり前住居人がいた。  狐につままれたとは、このことだろう。僕は呆然としながら、引っ越し先の前住人と話をする。昨日(実際には一度目の今日)あった事を繰り返し話し合った。僕は知っていることだったが、同じような行動をしないといけないように感じた。そうしないと、この世界が壊れてしまうんじゃないかと思ったからだ。  このあとで僕は不動産屋ともやり取りした。これもまた、昨日(実際には一度目の今日)あった事を繰り返し話し合った。不動産屋は同じように薄ら笑いで対処してきたが、二度目の僕は、興奮することなく、冷静に対処した。いや、冷静というより、呆然と対処した。母親の小言を聞いてるときのように、不動産屋の言葉は、ほぼ頭に入ってきてなかった。このとき僕の頭の中では、タイムリープのことを考えていた。僕が今まで見た、アニメや映画のタイムリープものの物語を思い出していた。  不動産屋とのやり取りの中、前回と同じように、別の物件を仮住まいとして無料で貸し出すという提案もあった。僕は少しだけ考えた。でも、やはり今回も断った。明確な理由は無いが、この選択を変えるのは怖かった。前回と同じような行動をしたほうが賢明だと判断したのだ。    結局、僕は元いたボロアパートに戻ることにしたのだが、今回、不動産屋とのやり取りの中で、保証人の用紙の件は出てこなかった。僕が怒っていなかったからなのか?  全く一緒な事を繰り返しているわけではなかった。前回の引っ越しとは少し違っているようだった。  僕は大家のばあさんの所に行った。そこで事情を説明し、また部屋に住まわしてもらいたいとお願いした。大家は快く承諾してくれた。そしてその後、僕を飲みに誘ってくれた。  今回の僕は、この誘いを断った。「疲れているので休ませてください」と言った。こんな状態で飲みに行けないし、そんな気分にもなれない。それに、これも明確な理由は無いが、これに付いて行ったら、同じ日が永遠に繰り返されるような気がしたからだ。本当に何の根拠もないのだけど。  僕は部屋でこの日のことを考えた。一度目と二度目の、この日のことを。僕はどう行動していたのか、思い出していた。そして、それをメモし書き出した。何が原因でタイムリープしているのか突き止めようとしたが、答えなど出る訳は無かった。そして僕は不安に駆られていた。何とも言えない、どう説明していいのか分からない不安。胸の中で得体のしれない虫が(うごめ)いてそうな感覚があった。  その日、僕はいろんな思考を巡られていた。でも、それは出口のない迷路に入っているような思考だった。結局、疲れ果て、意識を失うように眠ってしまった。    僕は目を覚ました。その日は、遅刻したときのような目の覚め方だった。唐突に目が覚め、飛び上がる感じに起き上がった。  僕は、すぐさまスマホの画面を開き、日にちを確認した。日にちは、進んでいた。引っ越しの次の日に、ちゃんと変わっていた。僕はひとまず胸を撫で下ろした。同じ日にちが繰り返されてないことに安堵した。そして時間を見ると、まだ明け方だった。僕は、二度寝することにした。  再び目を覚ました。今度はゆっくりと目を覚ますことが出来た。そして再びスマホ画面を見た。さっき見た日にちは幻ではなかった。引っ越しの次の日になっているし、ちゃんと時間も進んでいた。体感的にも、二度寝していた時間と合っていた。僕は、ようやく心を落ち着かせ、物事を思考し整理することができるようになった。  それから僕はいろいろ試すことになる。ひょっとしたら、もう一度タイムリープが出来るのではないかと思い。タイムリープした日のことを思い返し、いつもと違った行動に注目した。やはり、それは引っ越し作業だ。何か、この引っ越し作業が引き金になりタイムリープしたのではないかと考えた。そして、そこに法則性を見つけることが出来たのなら、今度は意図的にタイムリープをすることが出来るということだ。  僕の二回目のタイムリープは、一回目のタイムリープの三か月後だった。やはり引っ越しが引き金になって、タイムリープは起こっている。そう確信した。  条件としては、まず、この部屋を(から)にした状態で、日を(また)がなければいけない。そして、その(また)いだ晩に、この部屋に戻り眠りにつかなければいけにこと。  これはたぶん、まず過去と現在の繋がりを無くすため、部屋を(から)に必要があった。そして、空間軸の移動の失敗(引っ越しの失敗)で誘発され、で空間軸の振り戻りが起きたのではないかと推測した。  そして、さらに三か月費やし、もっと詳しいルールを発見した。  まず、前の日に戻れることはあるが、それより先に戻れることはない。例えば二日間、部屋を空けたからといって、二日前にはもどれないということ。  それに、戻れることは絶対ではない。部屋を空けて日を(また)いだからといって、絶対に前日に戻れるということはない。確かに長い時間、部屋を空けているほうが、前日に戻れる確率が高くなるのだけど絶対ではない。ほんの日付が変わる数分前に部屋を空けただけでも、前日に戻ったことがある。まあ、かなり確率は低いが。  そして、前の日に戻れたからといって、全く同じ日が繰り返されるというわけではない。  前の日と同じなこともあれば、違うこともある。どちらかと言えば違うことのほうが多いような気がする。それは僕自身の心情や行動が変わるので、世の中の出来事も変化するのかもしれない。    タイムリープの方法を見つけた当初は、僕はヒーローになれたような気がしていた。だって、もし大きな災害や事故があれば、もう一度やり直し、事前に注意してあげればいいのだから。でも実際には、そんなことは出来なかった。  一度、タイムリープを見つけてから、中規模の地震があった。大きな被害は無かったが、僕はもう一度その日をやり直し、その地域の人に忠告しようと思った。そしてタイムリープをし、匿名でSNSで忠告した。しかし、地震は起きなかった。僕はエセ予言者と叩かれた。  それに宝くじやギャンブルも同じだ。ナンバーズの数字も全然変わるし、競輪競馬などの順位も変わる。タイムリープなんて、あまり役には立たないと思いきや、そんなこともない。ギャンブルで大負けしたとき、前日に戻り、大負けを無かったことにすることができる。  そして、これはまだ確認中なのだが、一度戻った日は、もうやり直せない(かもしれない)。  一度目のその日が最悪でやり直した時、二度目のその日もまた最悪で、三度目を試みようとしても、その日にはもう戻れない。戻れない、というより、まだ戻れた試しがない、と言ったほうが正確なのかもしれない。同日の三度のタイムリープは、かなり確率が低いと思われる。  僕は、これで何度か失敗をした。一度、ニュースで大きな事故を見た。僕には関係ないが、タイムリープしてその事故を無かったことにしようと思った。二度目のその日、その事故は起きなかった。しかし、違う場所で、さらに大きな事故が起きた。結局、僕がどう動こうが、どこかで誰かは不幸にあっている。僕がどうにかできると思い上がってはいけないということだ。  この日から、タイムリープするのは、僕と僕の大切にする人のためだけにしようと決めた。そしてタイムリープで、一度目のその日の最悪を回避できたのなら、二度目のその日は大人しく過ごすことが賢明だと判断した。  僕は、このタイムリープのおかげで、他人よりは、後悔のない一日を手にすることが出来た。なぜならチャンスが二度ある。  彼女との喧嘩も、仕事の失敗も、回避することが可能なのだ。  しかし弊害もあるにはある。    まず、タイムリープをしやすいよう、部屋に物が置けなくなった。極限にミニマリストになった。常に室内でキャンプしている状態だ。寝袋で過ごし、食事はコンロで手軽に出来るものを作り食べた。風呂は銭湯だし、洗濯はコインランドリー。日常用品も気軽に置けないし、欲しい物や欲しい服があっても、買うかどうか迷ってしまう。生活の全てが、タイムリープを基準に決めている。  もう一つの弊害は、記憶の食い違い。  僕だけがタイムリープをしているのだから、一度目のその日の記憶を持っているも僕だけ。でも、過去の思い出を話していると、僕はどの思い出がタイムリープ前か後か分からなくなる。彼女や友達、職場の人から、ときより「え、何のこと?」と奇妙がられてしまう。  だから僕からは、過去の思い出を話すことが無くなった。思い出を共有することを躊躇しなければいけないことは、とても負担を感じるし寂しい事でもあった。  しかし僕はタイムリープのほうが、より多くの恩恵があると判断した。  そんな、ある日、僕は彼女から別れを告げられた。それはまさに青天の霹靂で、本当にそれは突然で一方的だった。いままで喧嘩はタイムリープで回避していたし、僕たちの仲は上手く行っているものだと思っていた  僕はタイムリープし、別れ話にならないようにした。しかし、何度も回避しても、別日に彼女から別れ話をされた。  僕は何度目かの別れ話のとき、その理由を訊いた。「最近、喧嘩もしてないのに、どうして急に」と。  彼女は「特に、これといった理由はないんだけど。ごめんなさい」と返した。  僕は彼女を傷つけるような質問もした。「別の男でもできたんじゃないのか?」と。  「そんなことはない」と彼女は冷静に答えた。  「じゃあ、どうして?」と、僕はさらに問い詰めた。  彼女は一旦考えてから、意を決した表情で「あなたに魅力を感じなくなった」と答えた。  彼女曰く、僕は可もなく不可もない存在になっていたという。喧嘩もない代わりに、分かり合える喜びも無くなった、と。最後に彼女は、「このままあなたといてた後悔しそう」と言った。    僕は、「そんなことはない。僕は君を後悔させない自信がある。何か問題が起きた時、僕は君の助けになる」と言った。現に彼女に何か問題が発生した際には、僕は何度かタイムリープをして回避したのだから。しかし、彼女はそんなことを知るはずもなかった。そんな記憶はないのだから。タイムリープを言っても信じてもらえないし、証明する術もない。  そして、この別れ話の日、僕はタイムリープを失敗した。彼女と別れた日の次に時間は進んでしまった。    次の日、僕は仕事場で単純ミスを繰り返した。どうしても彼女と別れたくなかったので、部屋を空ける時間を増やすため睡眠時間を削った。そして寝不足になった上、彼女との別れで、頭の中は仕事どころではなかった。  僕は上司に呼ばれ注意された。「どうした、なんかミスばかりして」と。  「すみません」と僕は素直に謝った。  しかし今日の上司はしつこかった。  「最近のお前は、仕事に対して緊張感が感じられない。以前のお前は、失敗しても取り返そうとガムシャラにやる気だけはあったのに。でも、このごろは、失敗もしないけど熱意も感じられん」    それもそのはずだ。仕事で失敗してもタイムリープして無かったことにしているのだから。そして二度目のその日は、やり直しが利かないため大人しくしている。そもそも、若手の僕が失敗をしない仕事は、手堅い雑用ぐらいだった。  上司の注意は続く。「若いうちは後悔しても取り返せるんだから・・・・・・」  僕は上司の話を聞きながら可笑しくなった。僕は、後悔を取り返すどころか、後悔を無かったことが出来るんです。そう言ってやりたかった。僕は、この日、上司に怒られたことも無かったことにしようと決めた。今日をもう一度やり直そう。タイムリープだ。  僕は自然と顔がほころんだ。  上司が僕の顔を見て、「何に、にやけているんだ。人がこうして注意しているのに」と、さらに声を上げるのであった。      
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