家族を残して引っ越すと

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     数ヶ月後。  ニューヨーク支社へ転勤して以来、つまり単身赴任の海外生活を始めて以来、初めての長期休暇がやってきた。  当然この機会に、妻や娘と会うために、久しぶりに帰国する。  空港から電車を乗り継いで、マイホームがある最寄駅へ。  スーツケースのキャスターをゴロゴロさせながら、駅前の大通りを東へ歩き、公園横の十字路を曲がって住宅街に入ると……。  チョコレート色の壁に赤い屋根。懐かしの我が家が見えてきた。  まあ「我が家」といっても、もう合鍵などは所持していない。だから妻の里美に開けてもらうつもりで、まるで来客みたいに、ドア横のインターホンを鳴らす。  ピンポーンという音に続いて、中からの声が聞こえてきた。 『はい。どちら様でしょう?』  インターホン越しだからだろうか。本来の里美の声よりも、くぐもった低い声に聞こえる。  微妙に違和感を覚えながらも、私は落ち着いて答えた。 「僕だよ、僕。君の夫の茂文(しげふみ)古木(ふるき)茂文だ」 『……はあ?』  インターホンという機械を通してさえも、その声色(こわいろ)に含まれる不信感が伝わってきた。まるで釣られるように、私まで困惑するほどだ。 「一体どうした? ほら、早く開けて……」 『失礼ですが……』  相手の声が、私の言葉を冷たく遮る。 『……家をお間違えではないでしょうか? うちは古木ではありません。こちらは安城(あんじょう)の家です。もう何年も前から』  慌ててドアから離れて、ガバッと体を捻じ曲げながら、表札の方へと視線を向ける。  郵便受けの近くに掲げられた白いプレートには、確かに「古木」ではなく「安城」と記されていた。  しかし……。 「そんなはずはない!」  思わず大声で叫んでしまう。  家の形状にしろ、壁や屋根の色にしろ、どう見ても私の家だ。この辺りの宅地は建売住宅ではないのだから、隣近所の家と外観がそっくりだとか、だから一つ隣と間違えたとか、そんな可能性は起こり得ないのだ。  いや、そもそも隣近所に「安城」なんて名前の家はなかった。私も妻も、普通に近所付き合いをしてきたので、その点は確実だ。  ならば、この安城さんは、いつからここに住んでいる? 私がアメリカに単身赴任している間に、ここへ引っ越してきたのか?  だとしたら、里美が勝手に、私に一切連絡もせずに、私たちの家をこの安城さんに売ってしまったのか?  いやいや、でもこの安城さんは「もう何年も前から住んでいる」という(むね)を口にしたのだから、その想像とも矛盾するし……。  混乱する私は、自分に対して考えを整理する意味も込めて、こうした推論を全て口に出していた。  一応は独り言のつもりだったけれど、インターホンの通話は繋がったまま。だから、中の住人である安城さんにも筒抜けだった。  それは「わけのわからない言葉を一方的にがなり立てている」と聞こえたらしい。  家の前に居座って騒ぐ不審者として、私は警察に通報されてしまった。    
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