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「ごちそう様でした」
手を合わせてゴミを片付けてから、宝箱を改めて向き合う。
非常食と合わせて手に入れた鍵を使って箱を開けると、次に出てきたのはステンレスのケースだった。
四桁のダイヤルキーを使って開錠するタイプ。
宝箱にはまた紙切れが一枚。紙面には、“THE 残業”とだけ書かれていた。何を指しているのかを直ぐに理解できた。クローゼットに入りアナログゲームの棚から取り出してくる。
“THE 残業”は退勤時間を調整して、休日出勤を回避するカードゲームだ。
酷いテーマ。少し前であれば見たくもないと思ったかもしれない。
掌に収まるサイズの箱を開けて、カードを取り出す。並べれば各カードの左上には時刻が書かれている。退勤時間を示すそれは、すべてが四桁。
ヒントなど与えられていないことを踏まえて、見るべきカードを二枚に絞る。青いカードの19:03と赤いカードの30:59の二つ。最速と最終の退勤時間が記されたカードだ。
どちらを選ぶのかを問われている。
--早く帰れないの?
聞かれたことがある。
仕事が残っているのだからできる訳がない。
システム会社の中で誰もが仕事に埋もれていた。手が空くならば他の人の仕事を拾わなければ、納期には到底間に合わない。出来る人間が出来るだけの仕事をこなす。
期限内に仕事を仕上げることが至上命題だった。すでに顧客は発注をしている。あとは期限内に成果を上げて請求をするだけだ。会社に属する人間として他社と結んだ契約を滞らせてはならない、という上司の言葉をまっとうな主張だと思った。
納品まで踏ん張ってみれば、半数の同僚が倒れていた。自分は生き残ってしまった。だから一つ区切りが付けば休む間もなく次へ投入された。
--大丈夫?
いつも聞かれるようになった。
大丈夫だった。サラリーマンとして何の問題もない。契約を履行するために仕事の成果を上げ続けたのだ。周りが倒れていく中で奮闘し納品も滞らせなかった。できることをやり切ったはずだ。
生きていくために会社に属し、属した会社に貢献し、稼ぎを得る。完全に真っ当な人生だ。大丈夫に決まっている。
騙しきれないなりに自分を誤魔化し切れていたはずだった。
大丈夫な訳がなかった。全くもって。
下手な誤魔化しによる自己暗示が遂に通用しなくなった。昨月、納品に間に合わなかったときだ。
あれだけ納品に間に合わせるためにメンバーに無理を強いてきた上司が、先方にへらへらと一報入れるとあっさり納期がひと月延びた。会社から上司への罰則は無かった。あったことと言えば、開発メンバーへ向けた上司からの恨み言くらいだ。お前たちのせいで頭を下げなければならなかった、と。
なんだそれは、と思った。
完全に折れた。
生活のために働いていたはずが、働くために他を放り出して生活し、最後には働くことさえできなくなった。
馬鹿げていた。最初からだ。
人として、これっぽっちも大丈夫ではなかった。
--君の大丈夫は信用ならないよ。
今朝母親に言われたことと同じことを、かつて言われたていたのだと思い出す。
心配した表情には既に諦めが滲んでいた。
今更だ。本当に今更に思い出す。
当時見ていたはずの表情に、自分はどうして何も見出すことが出来なかったのか。
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