もしも、私がまた引越せたら

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 地球に巨大隕石が降ってくると分かってから、世界の3分の2の人が断捨離に追われている。 各国の人々が乗り込む宇宙船に詰める荷物は、重量と寸法が厳格に定められているからだ。 「というわけでさ……どうしたらいいかなって」  私は『地球に残る側』だというオタク友達のマスコと通話をしながら、荷物の相談をしていた。  地球に落ちる巨大隕石は都市の大半を壊滅させるが、被害がゼロのエリアもあると予測されている。被害ゼロのエリアに元から住んでいた人たちは、宇宙船に乗ることはできない。予測であれどこの地球に残って、データ観測を続けるという大きな役目を担うことになる。  希望すれば宇宙船に乗れるけど、マスコは乗らないと決めているそうだ。  彼女の家は代々酪農家で、植物ミルクがメジャーになった今も、牛やヤギを飼育して動物ミルクを供給しているらしい。今は出産シーズンだから、たとえ隕石が降ってくると言われても、気にしてはいられないという。  牛たち、家畜は、遺伝子情報しか宇宙船に乗せられない。いくら復活させられるとはいっても、今、まさに、産まれる生命を見捨てられないんだって。 『あーね。同人誌なら、バラバラにしてデータ保存じゃない?』  空中に浮かぶようにして首をかしげる、マスコのアバター。  十数世紀前に開発されたVR空間が進化して、現実世界にこうして自分の姿を投影できるようになった授業で習った。  私は目を見開いて叫ぶ。 「ええっー! これを!? 切り開くの!?」 『まあ葛藤は分かるよ。今時、電子輸送じゃなくて紙使ってる超絶高級品だもんね……』 「そーなの!! ボーナスを3回分溜めて、やっと買えたんだよ!?」  ため息をつきながら、豪華な装丁を見つめる。  それは濃い革を丁寧に貼り、黄金と宝石で飾られた同人誌。私とマスコの推しカプの、めくるめく一夜が神絵師と神文字書きによって描き出されている。  これにナイフを入れるなんて、とんでもない! 「っ、あのさ、マスコ! 住所って変わってないよね?」 『うん、変わってないけど』 「これ。送る!」 『えっ、いやいや、ダメでしょそんなの!』 「この同人誌を切り裂くくらいなら、貴女の手元で地球に残してほしいの!」  葛藤するように、マスコが何度もアバターに『困った』マークを映し出す。  しかし。マスコなら、きっと頷いてくれる。 『んもー……分かったわよ。受け取ってあげる』 「ありがとー! 今から送るね」  配達ロボを呼びつける。あと15分後には来るらしい。どうせだから、と私はほかにもマスコにプレゼントしたかったグッズを箱に詰めていく。 『……でもさぁ、人類の3分の2が明後日から宇宙開拓地に引越しなんて、不思議だよねぇ』 「けど、引越しでしょ」 『んう?』 「引越しって、別に帰宅を禁止されるわけじゃないじゃない」 『……あー。確かに?』  頷いたマスコに、だから、と続けた。 「気が咎めるなら。私がもう一度、地球に引っ越してこられたら、この同人誌は返してよ」  OK。と、マスコが笑う。  私は彼女に届けるべく、箱に荷物をどんどん詰め込んでいった。
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