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「椎橋、部長が呼んでるぞ」
汐と電話した翌日、昼休みが明けると一つ上の先輩からそんな声をかけられた。
何の案件だろうと思い返してみるけど、部長から直接呼び出されるような案件は思い浮かばなかった。
「俺、なんかやらかしましたっけ?」
「いや、俺が知るわけないだろ」
それもそうなのだけど、他に呼び出される原因といったら「ドコドコの偉い人からクレームが入った」とかしか思い浮かばなかった。パッと思い浮かぶようなミスはしていないはずなのだけど。
午後から早速気が重い。けど、あまり待たせて怒られる要素を増やすのは得策ではない。
急いで部長室に向かうと、大きめのデスクでパソコンを操作していた部長は俺の顔を見て何やら神妙な顔になった。
もしかしたら、これは思ったよりもヤバい事態になっているのかもしれない。掌にじんわりと汗がにじむ。
「椎橋君、そこにかけてくれ」
部長に示された通り、応接用と打ち合わせ用の中間のような席に腰を掛ける。
部長は何やら一枚紙を持って向かいに座ると、その紙を差し出してきた。
『椎橋紘輔を熊本県庁に出向させる』
紙にはその一言と、市長の名前が書かれている。まごうことなき辞令書だった。
「部長、これは」
「熊本県の方が新都市開発や首都移転で人手が必要らしくてな。各市町から応援を出すことになった」
「それに、私が?」
「椎橋君は優秀だからね」
部長は小さく笑ってみせるが、そんな話は初めて聞いた。
「それに君は熊大出身だし、県の方でも上手くやっていけると思う」
息を吐き出したくなるのを一つ我慢する。まあ、仕事ぶりが優秀と言われるよりは、よほど納得できる。送り出す側も受け取る側も、学歴というのは客観的に安心できる指標なんだろう。
「県庁勤務はいつからですか?」
「二月半ばからということになってるが、都合が悪ければある程度は相談できるらしい」
三週間後。四月にやってくる汐よりもなお突然だった。
「どうだろう。私としては是非椎橋君に行ってほしいと思ってる」
部長のつぶらだけど圧がある瞳がこちらをじっと見つめてくる。
そもそも、その辞令がイヤなわけではなかった。きっと今より仕事は大変になるのだろうけど、引っ越してくる首都の受け入れ準備なんて、この国の歴史を辿ってみても携わったことのある人間は限られてくるだろう。
「……わかりました。精いっぱい頑張ってきます」
「ありがとう。何かあったらいつでも相談していいから」
「頼りにしてます」
まあ、本当に相談したら迷惑がられそうな気はするけど、それを指摘して空気を悪くする必要もない。立ち上がって一礼し、部長室を後にする。
首都の受け入れ準備、か。
あれだけ実感がわかないと思っていたのに、
それに、県で首都の受け入れに携われば、汐と仕事でつながる機会も出てくるかもしれない。そう思うと、なんだかワクワクしていた。
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