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家族と、事故の直前程度のことしか覚えていなかったわたしに、かなりの記憶が戻ってから二週間が経つ。
あの後、すべて村上くんが手配してくれて、Canalsの借り上げていたワンルームマンションの一室に迅速に引っ越した。人通りが多くて目立った事がしにくく、Canalsの他の社員とは被らない場所だ。
以前のマンションよりも会社から遠くなってしまった事を、村上くんはしきりに謝っていたけれど、状況を考えれば条件に合致する借上げ社宅は希少に違いない。
わたしは以前と同じようにCanalsに勤めさせてもらっている。
「小学校でも中学でもいじめに遭っていた、だから思い出さない方が幸せだ、辛い過去とは訣別するんだ」と叔父に諭されて育ち、記憶をたぐる事を避けていた。
記憶が甦りそうになると、あえて別のことに意識を向け、封印する。
今だって充分辛いのに、これ以上厳しい現実に向き合う事が怖い。自信がない。
それをこじ開けてくれたのが、皮肉にも両親の仇だと教えられてきた村上くんだ。
思い出してみれば、驚くなかれ初恋の相手で、事故当時の中学二年時でさえ、わたしは彼のことが好きだったのだ。
ほとんど人の引けたオフィスのガラス張りの副社長室の中で、二十六歳になった村上くんがパソコンのキーボードを叩いている。
時刻は午後十時をまわっている。
この奇異な感覚にいまだに慣れない。
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