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自分の部屋でセーターとワイドデニムに着替える。
不意に車のハンドルを操作する村上くんの手の甲から手首にまっすぐ伸びる腱を思い出す。
節や骨の出っ張りが目立つ男性の手だ。不自然な胸の鼓動に狼狽えてしまい、そっと視線を逸らした。
今日、ここにくると決まってから、浮き立つ心が抑えきれず、当日の洋服だの髪型だの、そんな的外れなことばかり考えている自分が理解できない。
村上くんが、両親の事故とは無関係だと知ってから、想いの濁流が、固く閉ざされた水門をぶち破るかの勢いで一方向になだれ込んでいく。
自分が別の生物になったような気さえしてしまうのだ。
わたしはまだ初恋の幻影に囚われているだけなんだ。別に今の村上くんに惹かれているわけじゃない。小学生の時の初恋の人物だと知ったからだ。ただそれだけ。
何度も繰り返し自分にそう言い聞かせる。
わたしは婚約をしている。婚約者以外の人に心を奪われるのは、罪以外の何ものでもない。そして結局最後は自分が苦しむだけなのだ。
「行かなくちゃ」
心とは裏腹に自分の姿がおかしくはないか、腰を捻って後ろまで確認する。
調べ物があるかもしれないから、スマホはストラップで吊って肩から斜めに下ろす。
便利なはずのヘッドライトはいざ使うとなると恥ずかしく、懐中電灯を手にする。
見つかった書類を入れるための折りたためるトートバッグを手に、廊下のドアを開けた。
両親の部屋のドアをノックする。
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