~夏の終わりに

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~夏の終わりに

「おはよ、おかぁちゃん」 「おはようさん、穂摘」 ご飯が炊けて炊飯ジャーから白くて暖かい蒸気が吹き出す頃には穂摘のおかぁちゃんは2階から降りてくる。 夜遅くまで働いて帰宅するのは日付が変わる頃になるおかぁちゃんに朝食の支度を整えるのは穂摘の役目だ。 おかぁちゃんの仕事が休みの土日だけそのルーティーンから穂摘は開放される。と言ってもご飯を炊くのもお味噌汁を作るのも卵焼きや鮭の切り身を焼いたりするのも辛くなんて思ったことは穂摘は一度もなくて、逆に台所の真ん中に一人立てる自分が大人になったようで誇らしくて日々うきうきしてる穂摘だった。 湯気や煙の中に身を置いて美味しそうな匂いに包まれながら1日が始まるのだ。 なんて幸せな朝の始まり。 ご飯の炊き方もおかぁちゃんから穂摘は褒められるまでになった。 穂摘が大好きなおこげも自在に炊けるようになったし 卵焼きは「もうお店屋さんに出せるね」ってこれもおかぁちゃんに褒められるほどの出来栄えに。 もちろんお弁当も自分で作る。 月曜から金曜の献立はちゃんと考えておかぁちゃんにスーパーで買ってきてもらう。残り物でお弁当は作らないのが穂摘のこだわりのポリシーだ。 穂摘は11歳の小学六年生。 刈り上げショートの似合うボーイッシュな女の子。ただ年が明ければもう中学生になる穂摘なのでさすがに男子に間違われる様な刈り上げではやばいと思い、ポニーテールにしようと夏休み前に髪の毛を伸ばし始めた。 だけどそう簡単にはこの一ヶ月ほどでは思うほどには伸びては来ず、後ろで纏めた髪の毛は斜め45度でまるでお侍さんのチョンマゲの如くピンと突っ立っている。 (伸びるまでやめたら穂摘) そんなおかぁちゃんの一言でやめようと思っていた矢先、 (可愛いわよ。今時の言葉で言うとファンキーっていうのかしら。何か穂摘ちゃんらしい) そう大好きな音楽の立石恭子先生に言われて穂摘はやめるのはやめる事にした。 穂摘ちゃんらしいってなんだろうってちょっと考えた穂摘だったけど、 結局ファンキーという謎な言葉の響きが素敵に思えて、 その言葉に押し切られるようにそのまま斜め45°のチョンマゲは存命を見たのだった。 ファンキーなわたし。 今朝も鏡の中の自分を確かめながら穂摘はおかぁちゃんに分からないように小さくそう呟いた。 「行ってきまぁす!」 と駆け出す穂摘の首根っこをひょいと抑えるおかぁちゃん。 「ちょっと待って、お弁当袋作っといたから」 そうおかぁちゃんは言うと、もう擦り切れてしまってテディベアが白くまさんに変貌したお弁当袋を新しいものに替えた。 鮮やかな若草色のペイズリー柄は少し大人の匂いがした。 「ありがと。かわいい」 「こっちこそね、いつもお弁当ありがとね。たまにはおかぁちゃん作るからね」 穂摘はうんと大きく頷くと、もう一度「行ってきまぁす!!」と弾むような声をあげながら駆け出してゆく。 夏休みも終わってもう9月半ば、朝の日差しは柔らかで辺りはひんやりしていてつい先日までの照りつける太陽はどこへやら。 秋はもうそこまでやって来ているみたいだ。 自宅の目の前には見渡す限り一面の田んぼが広がる。連なる奥羽山脈を背にその裾野まで広がる広大な田園風景だ。正面には仰ぎ見るほどにそびえ立つのは磐梯山。奥羽山脈の中でもひときわ雄々しく雄大な山だ。そんな景色に抱かれながら穂摘は毎朝その田んぼの中の道を通って学校にゆく。 軽自動車一台がやっとこ通れるその畦道と言ってもいい程の小さな道を自転車に乗って駆けてゆく。村を外れて峠を2つほど越えて小中学校のある隣の村まで約30分。 雨の日も風が強い日も吐く息が凍ってしまいそうな寒い日も 穂摘は自転車をこいで学校にゆく。 畦道は舗装はされていないけど軽トラが頻繁に通るせいか適度にならされて自転車は走りやすい。雨の日でも水たまりはなく、風の日も埃はたたず、学校までの30分程の道程は穂摘に取っては苦にならない。ペダルを踏みながら歌を歌えばあっという間だ。 穂摘は歌が大好きだ。 聞くのも好きだけど歌うのは何より好き。 声は透き通るようで伸びやかで山の向こうまで届くくらい声もおおきい、 音楽の立石恭子先生からはいつもそうやって褒めてもらえる穂摘だ。 通学の朝、口ずさむ曲はいろいろ。その朝の気分によっていろんな歌がそのちいさな口から漏れてくる。歌えば力が出るし元気がもりもり湧いてきてその日の1日が楽しくて仕方なくなる。 今日の穂摘にも楽しいことがいっぱい待っている。 朝から体育でドッチボールだし、おととい当てられて負けたミキちゃんにはリベンジしないといけないし。 午後からはちょっと苦手な算数と物語を読むのは大好きな国語。 算数は分からなければとなりのよしおくんにこっそり教えてもらう。そのためにいつもお弁当の卵焼きあげてるんだから。 国語は本を読むのは大好きな穂摘には楽しい時間。声も大きくて良く通るから読み上げる時はいつも先生から褒められて周りの友達からも拍手をされる。 「今日も頑張って歌って本読んで褒められていっぱい拍手もらわなきゃ」 穂摘は声に出してそう言うとペダルに力を込めてまたスピードを上げた。 小さなおでこに汗が滲む。二個目の暗峠を越えれば学校はもうすぐだ。 行く手をひらひらと枯れ葉が舞う。 まだ青みが残った黄金色の銀杏の葉っぱが舞う。 その数枚が前かごに入れたお弁当の上にはらりと軟着陸。 おかぁちゃんが作ってくれた若草色のお弁当袋を彩ってくれてる様だ。 上り坂も終わってあとは下り坂。そのまま道なりに下れば学校の正門に着く。 「もう夏も終わりかな」 ふぅーと小さく息を吐いてそう呟くと、穂摘は空を見上げた。 林の間から流れる雲が見えた。 この夏どかんと居座って偉そうに胡座をかいてた入道雲はもうそこにはいない。朝の早くからまるで目覚まし時計のように鳴き散らしていた蝉の声はなく道のあちこちには役目を終えた小さな命が転がっていた。 夏が過ぎて往く。 これまで感じた事がなかった寂しさがこみ上げた。 穂摘の小学生の夏が過ぎていく。 (穂摘が来年中学生なんてね) この頃口癖のように聞くおかぁちゃんの言葉が雲に流れて溶けていく。 「中学生のわたし」 そう呟いただけで穂積の胸はキュンとした。 前かごの中でおかぁちゃんの若草色のお弁当がカタコト揺れる。 掌でそっと触れてみるとまだまだあったかくてほっこりした。 玉子焼きに鮭の切り身に菜っ葉の炊いたのちくわの煮たの。 茶色っぽくて彩りがいまいちねっておかぁちゃんが入れてくれたミニトマトとブロッコリ。 ミニトマトは大好きだけど苦手なブロッコリは食べれないからとなりの席のよしおくんに玉子焼きとセットで引き取ってもらおう。よしおくんは食いしん坊で何でもムシャムシャ食べるし好き嫌いなんてないんだから。 峠を下って行くとまた視界が開けて、目の前に伸びるのは舗装してある農道。これまで通ってきた道より少し広くて走りやすいので穂摘の自転車のスピードもビュンビュンと上がる。両側には田んぼじゃなくて今度はりんご畑が一面に拡がり、あちらこちらでカラスの見張り番をしている案山子が朝日を浴びてまるで笑ったような顔で朝のお出迎えをしてくれる。 「穂摘〜〜!!」 ちょうど道が交差する十字路で里山の方から手を振りながら駆けて来るのは穂摘のドッジボールの宿敵のミキちゃんだ。 両手で抱えられないくらいのリンゴを胸の上で踊らせながらぴょんぴょんと跳ねながら走ってくるミキちゃん。 「どうしたの、そのリンゴ〜〜!!」 「どうしたと思う〜〜!?」 質問には質問で返す。ミキちゃんはもう大人の女の技を身に付けていてまだまだ子供の穂摘には眩しい言葉を連発してくる。 抱えてるりんごと同じような真っ赤なほっぺが笑顔で弾む。 へへへと笑うミキちゃんのその得意げな顔がカリビアンの盗賊に見えた。 「ミキちゃん怒られるよ勝手に取ったら」 「まさかぁ」 ミキちゃんは穂摘の目の前まで来るとハァハァと息を切らしながらまた笑った。 「れいちゃんちのおばさんに貰ったの。半分は先生とかにあげてもう半分はみんなで食べていいって」 れいちゃんはクラスの学級委員で休み時間とかもいつも本ばかり読んでいて話しかけてもうんとかそうねとかしか言わない子。だけどれいちゃんのおばさんはいつも笑っていてお喋りで優しくて、会えばお腹空いてない?とか言ってお菓子とか果物とかジュースとかいっぱいくれる。 れいちゃんちはうちらの無料のコンビニみたいだねってミキちゃんは笑うけど ミキちゃんのママも穂摘のおかぁちゃんも二人が何かを貰うたびにお礼を持って行ってるので決して無料ではないのだ。 「収穫収穫、お昼に食べるの楽しみだねぇ、ヘヘ」 そう言って不敵にニタリと笑みを返すミキちゃんはやっぱり穂摘にはカリビアンの盗賊に見えた。
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