新しい棲み家

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 彼女は常に新しい棲み家(すみか)を探していた。靴よりもバッグよりも住み心地のいい家が一番だと言い、物件を探している人間がいればすぐに近付き情報の共有をねだった。  より良い条件の家に住みたいのは誰も同じ。普通であれば煙たがられてもおかしくないものだが、恵まれた容姿と人懐っこい性格のお陰で積極的に優良物件の情報を流して貰えるのだから恐ろしい。  今日も彼女は、仲良くしている不動産屋から何の見返りもなく情報を得てきた。素人だけでなく、それを稼業としている人間からも情報を搾り取る彼女は貪欲な悪魔のようだ。  今、彼女の頭の中には市内の高額物件とその周辺情報、住人の属性・質までもインプットされているだろう。彼女の情報処理能力は人間離れしている。 「あなたを相手にしたって、一円にもならないって言うのにね」  テラス席で、私はレモン水の入ったグラスを傾けた。向かいに座る彼女は、こんがりと焼かれたアップルパイにフォークを突き刺し、大きな目をすぅと細める。長い睫毛が心地よさそうに春風に揺れた。 「失礼ね。冷やかしじゃないわ。決めたの。私、次はあのマンションに住む」  真っ赤なネイルが指差したのは、川向こうの完成したばかりのタワーマンションだ。地上何十階建てだったか、最上階はどこぞの大富豪が購入しただなんて噂されている。真新しい窓は太陽光をよく反射して、とても誇らしげに見える。 「だから、今日はこの店を指定したワケか」  半ば呆れ調子でつぶやくと、彼女はくちびるの両端を持ち上げた。 「時を経て増していく良さもあると思うけどね。私は今の棲み家も人間関係も気に入ってるよ。あなただって、今いい感じじゃない。次々乗り換えるなんてもったいなくない?」 「もったいない、ね。思ったことがないわ。棲み家は新しければ新しいほど良い。市場価値がそれを証明してるでしょ?」 「まぁ……ねぇ」  彼女は出会い系アプリの画面を表示したスマホを突き出した。三桁の数字は未読メッセージの数だろうか。家も人もみんな、新しい方が価値がある。そう言いたいのだろう。  画面の中の彼女は実物の半分程度の魅しかを感じられないが、それでもこうなのだ。指先ひとつで、事は彼女の思い通りに運ぶ。 「いい人を見つけたの。楽しみにしてて。今度招待してあげるから。お土産はあなたが作ったアップルパイがいいわ。うんとシナモンをきかせてね」
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