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「君は既に海外赴任経験があるからね、今回も安心して任せられるよ」
1年後、2度目の海外赴任で、5度目の引っ越し。
今度の国は、前回よりもずっと遠くて、3ヵ月ごとに帰るのは難しい。せいぜい年1だろう。そう思うと、心がざわざわした。
「まあ、また海外へ? あなたは優秀なのね、だからそんな大事なお仕事を任されるのね。それは素晴らしいことだけれど、でもやっぱり、寂しくなるわ」
おばさまが言う。マスターが小さく頷く。私も寂しいです、今度の赴任地は前回よりさらに遠いから、年1回戻ってくるのが精いっぱいになりそうで—。そう告げて口を噤む。
1年も、戻っていらっしゃれないのね、そうおばさまが呟くように言った。それから沈黙がしばし流れた後、そうだわ、とおばさまがパンっと両手を打ち合わせた。
「いいこと考えた。ちょっと待っていてね」
そう言いおいて、私の目の前の空になったカップとお皿を持ち、そのままいそいそと厨房に向かって行った。ゆっくりと、足を少しだけ引きずりながら。
しばらくして戻って来たおばさまは、紙袋を下げていた。
「これね、あなたにいつもお出ししているカップとソーサー。ね、お荷物になるかもだけど、よかったらぜひお持ちになって? 遠い国で、これを使ってお茶を飲んだら、私たちのお店を思い出してもらえるかもしれないし」
そう言って紙袋を渡そうとするのを、慌てて押しとどめた。
「そんな! いただけません! このお店の食器は、お二人がずっと集めていらしたものですよね。そんな大切なものを、受け取るわけには…」
「お邪魔かしら? それとも、お好みとは違う?」
「いえ、あの、とても素敵で気に入っています。邪魔なんかじゃないです。でも」
「それなら、お持ちになって。そうしてくれたら、とても嬉しいわ」
マスターをちらりと見ると、大きな頷きが返って来た。
「ありがとうございます。大切にします。2年後、帰任したら、またこちらにお戻ししますね。そうしたらまた、このカップでコーヒーを飲ませてください」
「あら嬉しい。そうね、待っているわ。気を付けて行ってらっしゃい」
笑顔に見送られて、私は店を後にした。紙袋を、大切に抱えながら。
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