喫茶ブルーローズ

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 竦んだように動かない私に、お好きな席へどうぞ、と彼は笑顔で声を掛けて来た。その声に押されて、ようやく“いつもの”席に着く。メニューを差し出す彼に、あの、と、口を開いた。 「このお店、いつできたんでしょう? 以前、ここにあったお店とよく似ているようですが」  私の問いに、彼は、ああ、以前のお店をご存じでしたか、と笑みを深くした。         ***  感染症の影響でお客さんが来なくなって、それに、あの2人も高齢ですからね、そんなことを考えて、海のそばの丘の上にあるホームに、引っ越したんです。僕はあの2人の孫なんですが、お店にあった備品などをすべて預かって、完成したこの建物の1階に以前のまま戻して、喫茶店を開きました—。  最悪のことを考えていた私は、その言葉に意表を突かれた。そんな私に、彼は言った。2人とも、元気すぎるほど元気ですよ、と。 「感染症対策を徹底しているホームでね。だから、家族を含め部外者はほとんど入れないんですが、本人たちも僕ら家族も、それなら逆に安心、と考えました」 「ホームでは、毎日、自分たちだけのためにコーヒーを淹れて、楽しんでいたそうなのですが、でも、ある日、お隣の部屋の人が訪れてきて、いい香りね、って言って。それでコーヒーをご馳走したら、美味しいって大騒ぎになったそうです」 「噂があっという間に広まって、大勢の人が私も飲みたい、と言ったようです。で、今は、入居者と職員の皆さんに、コーヒーを淹れて提供しているみたいですよ。せっかく悠々自適の楽隠居を目指していたのに、なんてぼやきながらね(笑)」         ***  そうだったの。そんな風にして、喫茶ブルーローズは、見知らぬ土地のホームで続いていたの。そしてこの街にも、その分身が、よく似た姿で現れた—。  幻の薔薇が、私の心の奥で大きく花開いた。 FiN
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