瀬野さん

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 葉山君はどうして良いのか分からない様に丸められた瀬野さんの背を撫でていた。  そうされて瀬野さんは掠れる声のまま短い『歌』を紡いだ。気付いた葉山君がびくりと反応する。そして今度は葉山君が下手糞な歌を歌う。もう一度言ってと。  瀬野さんは泣きながらまた同じ歌を歌った。『好き』と。葉山君がかろうじて聞き取れる数少ない『歌』を。  そして一度それを歌うと壊れた様に同じ歌を繰り返した。何度も何度も何度も。沢山の好きに沢山の意味を込めて。  私にはその一つ一つが分かったけれど、葉山君はその違いが分からない。でも『好き』と言う事を言っている事、それが何度も繰り返されている事は理解している様で顔がみるみる赤く染まっていった。 「僕の事を言っているの? 」  葉山君が言葉を漏らした。  瀬野さんは泣きながら頷き、葉山君が理解できる『はい』と言う歌を何度か歌った。  瀬野さんは歌に拘っていた。『言葉』で伝えればもっと早く葉山君に理解されたのに『歌』に拘った。  きっとそれは言葉では語り尽くせない気持ちを相手に伝えたかったから。葉山君に自分の思いを丸ごと伝えたかったから。瀬野さんにはそれが最大限の表現手段だったから。
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