瀬野さん

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 タガが外れた瀬野さんは葉山君の胸に額を押し付け『好き』を歌い続けた。胸の振動を受け止めながら葉山君は複雑な表情で黙っていた。  いつもにこやかに微笑んでいる瀬野さんの見せた事の無い取り乱した姿だった。中身を吐き出させようと過剰に圧力をかけているのに出口が小さすぎてちっともそうならないチューブみたいなもどかしさがそこにはあった。  こんな悔しい事ってある?  どうして黙っているの葉山君。返事してあげてよ。  どんなにそれが強いか分からなくても好きだって事は伝わったのでしょう?  歌ってよ、歌ってよ葉山君!  瀬野さんに答えてあげてよ!  葉山君の沈黙が刺さる。瀬野さんと私の体中に突き刺さる。  彼は瀬野さんを気遣っている。けれど今欲しいのはそれじゃない。  答えて、歌って葉山君。  やがて、いくらか落ち着いた瀬野さんに向けて葉山君は静かに歌った。  それはたどたどしい『友達』の一言だった。  瀬野さんは顔を上げ、相手の顔を覗き込む様にして歌った。『好き』と。  葉山君はその視線を受け止めたまま穏やかな表情で『友達』と歌い返した。 「どうして? 」  私と同じ言葉が葉山さんからも漏れる。 「好きな人がいるんだ」  彼女にもそうだろうけれど、あの情熱的な歌を聞いた後でのこの言葉は私にも身を裂かれる様な痛みを与えた。  瀬野さんは後ろに二歩ほどよろけて、そして逃げる様に走りだした。  ろくに前を見ていなかった為か私に一度ぶつかって、そして彼女らしく謝る余裕もないまま走り去った。  尻もちをついたまま私は涙を流していたのだけれど、葉山君が私を驚きの表情で見ている事に気が付いた。    
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