第10話 汚職疑いを追って

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第10話 汚職疑いを追って

 革職人の工房を出て少し歩いた運河沿いで、ペンタウェレは足を止めた。  「どう思った?」  その言葉は、無言のままついてきている、弟のチェティに向けられたものだ。  工房を出ていらい、チェティは、ずっと口を閉ざしたまま、周囲に目もくれず何かを考え込んでいる様子だった。さっきの会話の何が彼をそこまで考え込ませたのだろうと、不思議に思っていたのだった。  「税関役人が別、って話が、気になってたんです」  「うん?」  「兄さんは言いましたよね。港のほうにいる税関の役人と、工房に来ている役人は別、って。」  「ああ」  「品物を街から送り出す時って、ぜんぶ船便で送るんじゃないんですか? 税関の建物だって、船着き場にあるし。」 そう、てっきり税関役人は、船着き場のあたりにしかいないものだと思っていた。  いままで、税関役人の話を聞いたのは、――具体的には、迷惑しているという話をしていたのは、船着き場にある倉庫街と、船着き場に面した宿場通りにいた人たちだった。だが、今回は船津萩からは離れた工房での話だった。税関役人は、一体どこまで出張しているのだろうか。  「港に入ってくる品と、港から積み出す予定の品じゃ、担当が別なんだよ。お前たち税収役人だって役割分担はしてるだろう。家畜の頭数数えるのと、畑の面積を測るのとでさ。船着き場にある倉庫に入らない品、つまり街の工房から直接から積み出す品は、工房まで行かなきゃ確認が出来ないんだよ」  「つまり、輸出と輸入で担当が別、ってことですか」  「ああ、そうそう。役人用語で言えば、そういうことだな。」  「ようやく、腑に落ちました」 チェティは、大きく頷いた。  そう、だとしたら、死んだ「三羽の雁」亭の番頭セネブイが口利きを依頼した”税関役人”は、港にいる側の、――”輸入”担当の役人のはずなのだ。でなければ、宿場通りに顔を出すことは無いはずなのだから。  「心中事件のあった『三羽の雁』亭の奥の部屋を借り上げていたのは、輸入担当の税関役人と関係のあった誰か、なんですね。もし、その人物なり組織なりが、あの部屋に定期的に品物を運び込んでいたのなら、輸入された品に関わる何かが起きていたはず。裏口に専用の船着き場がある理由も、これで分かりました。きっと、裏口からこっそり運び込むためのものだ。」  「ふうん、なるほど。」 ペンタウェレは、首を傾げてしばし考え込んだあと、真顔で言った。  「なら、たとえば、だが――税関役人が税の徴収に入る前に、船から積荷の一部を、その宿の奥に隠しておいた、ってのはどうだ? 持ち込んだ積荷を本来より少なく見せかけて、支払うべき関税を少なくする。役人側もグルだ。みかじめ料を貰って、税関役人の入る時間を前もって教える、とかすれば、幾らでも誤魔化せるだろう。要するに脱税事件だな。これなら、有り得そうな気がしないか」  「なるほど、面白い仮説です。でも、だとしたら、いちど宿の奥の部屋に運び込んだ品を、もういちど運び出さないといけないですね。宿の裏口は川に面していて、表からは見えにくい場所ですが、逆に、裏からは丸見えなんですよ」  「頻繁に積み降ろしなんざしてたら、目立ちすぎる、ってか?」  「はい。よほど小さなものとか、身につけて運べるようなものとか、持ち運んでいても不思議に思われない、偽装の可能な品なら別ですが…」 言いながらチェティは、自分でも、何のことを言おうとしているのかに思い当たった。  輸入されるもので、小さくても高価なもの。そして、書記ならば持ち歩いていても不思議ではないもの。  たとえば、下流の州でたくさん作られている、カヤツリグサから作る紙――。  「…紙を適当な大きさに裁断して、巻物の形にしておけば、頻繁に持ち歩いていても誰も不思議に思わないかもしれません。紙は、この街では大量に消費される。税金を支払わずに街に持ち込んだものが売られていても、誰も気が付かないと思う」  「ほう。なかなか、いいセンになってきたじゃないか。」  「ただ、それがどう殺人に結びつくかが分からないです。というより、もし、この推測が当たっているのなら、番頭のセネブイもグルですよ。そのセネブイを殺してしまったら、脱税の隠れ蓑にしている宿が使えなくなってしまう。」  「確かにな。もし税関役人が関わってる脱税が本当に行われていたとしたせら、殺す理由がない。むしろ、死んでもらっちゃ困るはずだ。共犯者なんだから。現に今、お前が脱税の疑いに気づくことになったのも、セネブイが不審死をしたからだしな」   「……。」 まだ、何かの情報が足りないのだ。チェティは、運河の向こうに視線をやったまま、じっと考え込んでいる。  「…想定外の死。もしそうなら、死後の処理だけは迅速に済ませようとするかもしれない」  「ん?」  「セネブイが死んだこと自体は、想定外だったのかもしれないと思ったんです。ですが、死んだという事実が目の前にあったら、どうするかと思って。…彼が不審な死を遂げたと知ったら、何か事情を知っていて深堀りされると困る役人は、慌てて揉み消しに走るかもしれないでしょう」 少なくともそれなら、ろくな捜査もせずに幕引きを図ろうとしたことにだけは、説明がつく。  「なるほど。つまりセネブイを殺した奴と、その死を心中ってことにして早期解決を図った奴は別、ってことか」  「はい。その可能性を考えていました」  税関役人は、賄賂を要求したり恫喝したりといったことは頻繁に繰り返すが、汚職や造反で吊るし上げられるほどの決定的な犯罪は犯さない、という、ペンタウェレや他の人々の意見。  税関役人の口利きで謎の客を引き込んだセネブイの不審な死。  その死を雑に片付けてしまった、州軍統括。  今持っている情報から描き出せる限りの、矛盾のない筋書き。  ――ただ、もしもこの筋書きが当たっているのだとしても、肝心の、”誰がセネブイを殺したのか”という問題には、何の手がかりも見つかっていない。  「セネブイは一体、誰の恨みを買ったんでしょう。税関役人でも、部屋を貸していた連中でもないとすれば、別の誰か? それに、家探しされていたことも気になっています。彼が何かを隠していた…? だとしたら、一体それは何なのか」  「うーん…。」 ペンタウェレは、首を傾げた。  「その、殺されたかもしれない男に、友達とか、知り合いとかは居ないのか? どういう奴なのかも見えてこないし、情報が無けりゃお手上げだな」  「分かりません。結婚した経験は無さそうだって、お隣の人は言ってました。住み込みで仕事をしていたらしいので、自宅も宿そのものです」 お隣は店番の老婆がひとり。ホルアンクも、母の雇った番頭については、ほとんど何も知らない口調だった。  そう、セネブイのことに一番詳しいのは、たぶん、雇い主のサァトハトルなのだ。  そのサァトハトルが行方知れずで、他に話を聞けそうな人は、思い当たらない。  「天涯孤独の男、か…。昔の砦の守備隊仲間にも、そういう奴は大勢いたが、サァトハトルって宿のおかみさんは、一体どうして、そんな怪しげな男を雇って、住み込みまでさせてたんだろうな」  「確かに、そうですね。」 息子のホルアンクは、父親から受け継いだ宿を勝手に改装されたことを快く思っては居なかった。未亡人のサァトハトルだって、同じことを思わなかったのだろうか。それとも、セネブイが何か、上手い口実を付けて彼女を説得したのか。心中というのは無いにしろ、サァトハトルとセネブイの関係も、さっぱり見えてこない  しばし考え込んだ後、チェティは、ふと、もう一人の重要人物のことを思い出した。  「…インイは、どうなんだろう。」  「うん?」  「税関所長の、インイです。兄さんが調べてくれた、たぶんメニさんに、セネブイの死亡を心中事件として処理することを言いつけた人」  「あー。そいつが、どうしたって?」  「この件にインイが関わっているのなら、どこかでセネブイと接点がありますよね? メニさんは、インイはよく歓楽街で太った…じゃない、肉付きの良い子をはべらせている…とか何と言ってたんですよ。」 そう、今の今まですっかり忘れていたが、最初の手がかりは、そこだった。  殺人など不審な死があった場合に、兵を使って操作するのは本来、州軍統括の役目だった。  それなのに、届け出を処理する議会書記に、セネブイの死を心中として捜査完了にするよう言いつけたのは、何故か税関所長のインイだった。  実際には事件の捜査に当たったのは、おそらくインイの甥で、州軍統括にいるインハピという人物なのだ。インハピから情報を渡したのか、あるいは、インイが自分からインハピに頼んだのかは分からない。だが、インイには何か、早期に事件の幕引きを図らなければならない理由があったはずなのだ。  「ああ、そうか。ということは、この件、ことの次第によっちゃあ、税関所長が自ら脱税に手を貸してた、って話にもなりかねんのか」  「…ですね。」  「面倒な話になってきたなあ」 ペンタウェレは、ぼやきながらも、どこか面白がっているふうでもあった。  「そういやチェティ、お前、オレがまだ国境の軍にいた頃、タカ派の州軍統括を刑務所にぶち込む手伝いをしたらしいじゃないか。今回また、同じことをやるとなれば、奴らからは睨まれそうだなぁ」  「え、えーっと…それって、ホルネケンのことですか?」  「そうそう。そいつだ」  「あの人も、州軍統括にいたんだ…」  「知らなかったのかよ」  「知りませんよ。あの頃はまだ役人になりたてだったし、他の部署のことなんて全然知りませんでした。武官で、地位が高そうだな、くらいしか意識してなくて…」 そう、三年半ほど前の新年祭での出来事は、ただ無我夢中にやるべきことをやって、興味のままにあちこち嗅ぎ回って、ほとんど犯罪に近いことまでやって、ようやく真実にたどり着いただけだった。  それに、実際のところチェティとネフェルカプタハに出来たことは、無実の罪で捕らえられていた若い兵士を解放することまでで、ホルネケンを罷免まで追い込めたのは、ジェフティや、他の大人たちの仕事だったのだ。  「まあ、階級的には今回の奴も似たようなもんだ。正攻法じゃ落とせない。というか、もし脱税の証拠を見つけたところで、部下になすりつけるくらいは平気でやるかもしれん。それに、――殺人犯は、そいつじゃない。だろ?」  「はい」 チェティも、それには同意した。まさか税関所長自らが、こんな疑わしい方法で殺人の処理をするはずもない。  「だけど、交友関係というか、接点というか…インイから辿った先に、何か、手がかりがありそうな気がします」  「ふぅむ。となると…」 ちら、と通りの向こうを見やったペンタウェレの表情が、ふいに、いたずらっぽいものに変わった。  「よし。行くか、歓楽街!」  「――はい?」  「お前が言い出したんだろ。インイは歓楽街によく通ってた、って。なら、行きつけの店のひとつでも探し出して、そこで一杯やりながら聞き込みをすべきだろう。安心しろ、オレが奢ってやる」  「ま、待って下さい。まだ真っ昼間ですよ? それに、仕事中だし…!」  「いいから、行くぞ。ほら。巣穴に手を入れざれば雛を得ず、っつてな。」 言いながらペンタウェレは、チェティの肩を掴んで、強引に歩き出す。ひきずられるようにして付いていきながら、チェティは、目を白黒させていた。  まさか、こんなことになろうとは。  ネフェルカプタハと一緒だったら、絶対に思いつかないし、思いついても実行しなかったはずの案だ。確かに、手がかりがある可能性はあるし、自分が言い出したことではあったのだが。
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