第12話 利用された者たち

1/1
前へ
/26ページ
次へ

第12話 利用された者たち

 役所へ戻り、もう何度も訪れて勝手知ったる場所になっている州議会の書庫に入ると、チェティは、いつも老書記のいる席へと視線をやった。  …空っぽだ。  「あれ? メニさんは」  「今日はもう、帰ったよ」 手前の席から、父の声が飛んできた。面白そうな顔をしている。  「入ってくるなり、いきなりメニに用事かい?」  「あの、ええと…。ちょっと聞きたいことがあったんですが、帰ったって?」  「体調不良だよ。二日酔いで、もう駄目だって言ってね。税関所長のインイに歓楽街で出会って、しこたま飲まされたらしいよ。朝も遅刻してきて、ふらふらだったんだ。無理せず最初から休めば良かったのにね」  「……。」 では、昨日、あの店で飲んでいたというのは本当だったのか。それも、酔いつぶれるくらいまで。  「何か、メニに聞きたいことがあったのかい」  「あーえっと、いま父上が言ってくれたことが確かめたかったことです。ありがとうございます」  「うん」 それきり、セジェムは何も言わず、手元の書類に視線を戻した。息子が何をしているかは、おおむね把握しているのだろうが、敢えて不要な干渉はしてこない主義なのだ。  父は、いつもそうだ。  チェティのほうも、行き詰まったからといって軽々しく助けを求めたりはしない。賢い父なら、人より早く答えに行き着くことが出来るだろうが、それは、チェティの望む結果をもたらさないことも多い。  そう、ただ事件を紐解く答えが得られればいいというわけでは無い。真実が明らかになったとしても、誰も救われない悲しい結果が待っているのでは、意味がないのだから。  書庫を出たあと、チェティは、次はどうしようかと思いあぐねていた。  日暮れまではまだ、時間がある。だが、次に何処へ行って、誰に聞けばいいのかが思いつかない。  ここまでの情報を整理しても、死んだセネブイとインイの接点は全く見えてこないのだ。それに、これが殺人事件だとして、その犯人の正体も、目的も、見当がつかない。最初は怪しく思われた税関役人でさえ、関わっている気配がない。  もしも税関役人の誰も、彼の死に関係していないのだと仮定すれば、他に一体、誰が、どんな動機を持ち得るだろう?  自分の本来の職場である、税収役人の詰め所に向かって歩きだそうとした時、彼は、眼の前に立ちふさがる人物に気づいた。  「税収役人のチェティだな」  「…はい」 反射的に答えてから、相手がやけに立派な身なりで、自分たちとは違う部署に属する役人らしいことに気がついた。がっしりとした体格の年配の男だ。そして、何やら気難しい、思い詰めたような顔をしている。  一度も会ったことはない人物だ。だが、口元に短く整えられた髭と、尊大そうな顔つきを見た時、ひらめくものがあった。  「もしかして、あなたが、税関所長のインイさん?」  「いかにも」 渋い顔をして、男は頷いた。  「少々、話したいことがある。時間を貰えるかな」  「…構いませんが」 チェティは、驚きながらも返答した。いずれ、話をはなければならない相手だった。だが、まさか、向こうから会いに来るとは予想していなかったのだ。それも、昼のさなかに、誰かに見られているかもしれない役所の敷地内で。  ――これは、一体、どういうことなのだろう。  二人は人目を避けて、敷地の端の、池と茂みのある広場のあたりまで移動した。  ここは”職員たちの憩いの場"ということにはなっているが、実際には、勝手に生えてきた草木が生い茂るだけの、ただの空き地だ。地盤が緩く、湿気が多いので、建物を作ることが出来ないのだ。  広場の真ん中は池として掘り下げているのだが、地下水は川の水位と連動して上がったり下がったりするものなので、今の季節は、ただの空っぽな穴だけが地面の真ん中に口を開けている状態だ。殺風景な風景で、周囲には人影もない。ただ、広々としているお陰で、誰にも聞かれたくない立ち話をするには丁度いい。  その、池もどきのほとりで足を止めたインイは、振り返るなり、何の前置きもなく口を開いた。  「『三羽の雁』亭の番頭が不審死した件を、調べているな? 一体なぜ、そんなことを気にしている。」 用心深い眼差しは、息子ほども年若い書記を、ずいぶんと警戒しているように見えた。  「昨日、メニさんと青い水連の描かれた居酒屋で話していたのは、そのことなんですか?」  「…やはり、嗅ぎつけていたのか」 小さく、溜め息をつく。  「だが、私ではないぞ。あれは、私の関わったことではない。それに、元々、この話は奴から持ちかけられたものなのだ。私はほとんど何も知らん。あの不正にも…」  「え、…えっと、ちょっと待って下さい。」 チェティは、大急ぎで頭の中を整理した。聞く前に、自分から話し出すとは思ってもいなかったのだ。インイが焦っていることは分かったが、このままでは、話が噛み合わない。インイは一体、何に焦っている? どうして、なりふり構わずチェティに直接、話しにきた?  ”あれは私ではない”。  ”奴から持ちかけられた”。 直前に口にした『三羽の雁』亭の番頭の不審死のことからするに、彼が気にしているのは、おそらく、セネブイの死に関わったと疑われることに違いない。  「…セネブイが不審な死に方をしていることは、ご存知だったんですね? あれ、というのは、セネブイを殺したかどうか、ですか」  「殺した? 何を言っている。あれは、心中事件だろう」 妙に確信に満ちた口調に、かすかな違和感を覚えた。  (知っていて、とぼけているのか? それとも――) かまをかける、とか、揺さぶりをかける、といった話術の特技は、持ち合わせていない。チェティに出来ることは、慎重に手持ちの情報を開示しながら、相手の出方を見つつ、矛盾を誘い出すことだけだ。  「死なれては困る相手だったんですよね? 脱税の発覚を恐れて――」  「待て、違う!」 突然、インイが、悲鳴にも似た甲高い声を上げた。  「小職の差し金ではない。知ってはいたが、関与はしていないのだ!」  「え? でも、宿の奥の部屋を借り上げていた連中の口利きをしたのは、あなたなのでは…」  「くそ、もう、そんなところまで調べていたのか?!」 半ば独り言にも似た呟き。  「それは誤解だ。仲介したのは、当時の部下だったミンアという男なのだ。その後、そいつは事故死して、経緯を知る者はもう誰もいない。小職は頼まれて、その…見なかったことに、しただけだ。確かに、…便宜を図った見返りは貰ったが…、口利きをしたわけではないし、積極的に関与したというわけでもない!」  「……。」 チェティは、あごに指をやって考えこんだ。  (えっと…何となく、見えてきた、かな…?)  つまり、この男は、セネブイの死の真相には全く興味がないのだ。  心中として幕引きを図ったはずの事件が掘り返され、脱税の便宜を図った疑いを持たれていることのほうを、恐れている。  不思議なのは、たかが一介の小役人にそれを知られたくらいで、なぜ、こんなにも取り乱しているのかということだ。  「あのう、聞いてもいいですか?」  「何だ」  「私は、この件を、大神殿に持ち込まれた陳情から知りました。この調査は個人的なものです。確かに、その過程で税関役人の間に賄賂や恫喝が横行していることは知りましたが、別に、それをどうこうしようと思っていたわけでは無いんです」  「嘘を付くな!」 とたんに、男の顔が、険しくなった。  「貴様は、執政官どののお気に入りだろう。頻繁に呼び出しをされて、こ、こともあろうに、州の印章を身に着けて遣いに出されたこともあるというではないか。下級役人ならば警戒されないと思っていたのかもしれんが、そうはいかん。貴様は、内密に、州内の行政監視する役目にあるのだろう?!」  「え、…え?」  「知っているのだぞ。あのホルネケンも、裏で貴様が動いたせいで失脚した!」  「……。」 チェティは、思わず頭を抱えそうになった。  次兄のペンタウェレも同じようなことを言っていたし、もしかして、自分が気がついていないだけで、どこかで噂にでもなっていたのか。  一体、いつから、そしてどこから、そんなことに?  (つまり、この人は、ぼくが内密に税関役人の行動を監視していると思いこんでいて、口実をつけて自分も失脚させられるのを恐れているんだな…。) 気にしているのは、自分の保身だけ。一介の小役人にすら怯えるほど肝の小さな、事態を握りつぶす頭もない、呆れるほどの小物なのだ。  この男には、たとえ指示だけだったとしても、殺人教唆など出来そうにない。  少なくとも、それは確かなことだった。  だが、今回に限って言えば、これは好都合な事態だった。相手の勘違いを最大限に利用して、聞き出せることは聞き出してしまいたい。  「昔の話ですが、――そうですね。ホルネケン殿のことをご存知なら、話が早いです。」 ネフェルカプタハのようにはいかないが、彼は、相棒の澄まし顔を思い出しながら、懸命に真似をしようとした。  「もし必要な情報を教えていただけるなら、私のほうにも、この件は執政官どのに漏らさないという選択肢はあります。賄賂や口利き程度なら、よくあることですから」  「だろう?」 男は、少し、ほっとしたような顔をする。  「――ただ、このご時世です。禁止された戦略物資の輸出や、下流から入ってくる品の横流しがあれば、それは大問題になりますよ」  「わ、分かっている。さすがに一線は越えないよう、部下たちにも言い含めてはいる」  (なるほど、”ここまではやって良い”という不正の範疇を、内々で決めていたのか…だから、税関役人は皆して不正を…) 嫌な顔をしそうになるのを我慢して、彼は、続ける。  「『三羽の雁』の奥の部屋で取引されていた品を、ご存知ですよね? かつての部下が仲介したという業者は、一体、何者なんですか」  「知らん――いや、ううん。そうだ、確か…下流の州のどこかから来た業者だ。契約したのは、数年前で…。それから毎年、あの宿を使っていたはずだ。だ、だが、その時はまだ、下流の州は王に反逆していなかった! 送られてくる品も、ごく普通の紙の束や何かで…小職は、ミンアから相談されて、そのくらいなら構わんだろうと答えただけで…!」  (やっぱり、あの宿の奥で取引されていたものは、紙なのか) 予想が当たっていたことは、嬉しいというより驚きだった。  たかが紙だが、市民が思うより重要な戦略物資の一つで、高級品でもある。  それが無ければ、書記たちはまともな仕事が出来ず、行政手続きの全てが滞る。神殿の神事にも使うから、当然、そちらにも影響が出る。しかも材料は川辺に生えるカヤツリグサで、広い湿原を持つ下流地域の特産品だ。  メンフィスより上流で纏まった数の紙を産出しているのは、首都に面した湖水地方しか無い。その湖のほとりも、近年では畑にするために水はけを良くする土壌改良が進み、カヤツリグサの茂みは姿を消しつつある。  「ということは、脱税のために船の積み荷を一時的に宿の中に移していたんですね? 口利きの範囲を越えていませんか、それは」  「部下が勝手にやったことだ! それに、はじめに口利きをしたあとは、誰も、あの宿の取引きには関わっていなかったのだ。もちろん、密輸業者の取り締まりなんかも何度もあったが、一度も引っかかっていなかった。」  「それなら、誰か、他にも役所の内部に情報源がいたのでは? 情報を漏らしそうな人の心当たりは、ありますか」  「分からん。私は、関与していない。部下からも話は聞いていない」  「では、セネブイと知り合った経緯を教えて下さい。彼が死んだと知って慌てていたのなら、顔見知りだったんですよね?」  「…歓楽街で出会った。…青い水連の店でだ。奴は、そこの常連だった…」 言いづらそうな渋い顔をして、インイは、言葉を絞り出した。  「接待を受けたんですね?」  「そ、そのくらいは、構わんだろう!」  「ええ。接待だけなら、構いません。でも、あなたが殺した犯人でないなら、セネブイが死んだと知るのが早すぎます」 そう。メニに、事件の集結を書くよう指示するまで、たったの数日だ。  たとえ自分に後ろめたいことがあって、「三羽の雁」亭に詳しい調査が入るのは困ると思ったにしても、迅速すぎる。  男が、うろたえているのを見て、チェティは、さらに一歩、踏み込んだ発言をした。  「この件の捜査に当たったのは、州軍統括にいる甥御さん、インハピさんなんですか?」  「…くっ」 インイは、苦しそうな顔つきになった。  「ああ、そうだ。あいつも、酒場で同席していたことがあったのだ。それで、セネブイのことも知っていた。小職を接待していた男が、女と一緒に不審な死に方をしていたと。心中ということにすればいい、そう言った」  「でも、恋愛関係にない二人が一緒に死んでいたら、余計に不審に思われるでしょう? そもそも、私がその件に関わることになったのも、そのせいで――」  「何を、ばかなことを。貴殿は知らんのだろうが、あの女とセネブイは、人前で乳繰り合うような仲だったんだぞ。女の方は遊びだったかもしれんが、少なくとも、男のほうは本気のように見えた。ぱっとしない男ではあったが、金を貯めれば口説けるはずだとか、家を買って一緒になりたいとか言っていたな。信用ならん下衆な男の、数少ない真心だった」  「…え? でも、息子さんも、ご近所さんも、そんなはずはない、と…」  「息子? 誰の息子だ」  「サァトハトルさんですよ。」  「誰だ、それは」  「えっ?」  「…話が見えんな」 そう、チェティも、ぽかんとしていた。何故、こんな根本的なところで、話が食い違う?  ――数秒の思考ののち、彼は、はたと気がついた。  「もしかして、セネブイと一緒に死んでいた女性のことも、ご存知なんですか?」  「当たり前だ。青い水連の居酒屋で、いつもセネブイのやつが指名していた、アヤヘティブだろう?」 チェティは、思わず上げそうになった声を飲み込んだ。できる限り、表情を自然に保とうと努力する。  インイは最初から、あの女性の正体を知っていた。あるいは、気づいていた。  だから、これは本当に心中事件なのだと思い込んでいた。  そう、セネブイと恋愛関係にあった女性は、サァトハトルではなく、のだ。  「ええっと、すいません。そこは、勘違いをしていました。そう、アヤヘティブ…小太りな人ですよね? 同席して、一緒に飲んでいたんですよね」  「そうだ。セネブイは毎回、あの女ばかりを指名していた。小職をもてなすつもりなら、別の女にしろと何度も言ったのだがな」 インイは、あからさまに渋い顔だ。どうやら彼女は、インイが好んで同席させていたわけではなかったらしい。  「心中しても不思議ではないと思ったのは、一緒になれる可能性が無かったからですか」  「ああ、そうだ。熱を上げているのはセネブイのほうだけで、女のほうには、その気があるように見えなかったからな。酒場女など、貢がせるだけ貢がせて逃げるような連中だろう。年の差もあったし、見込みは薄かったな」  「……。」 それなら、無理心中という可能性は在り得た。もしも死体の状態を知らなかったなら、チェティも納得していたかもしれない。  ――だが。  「心中では無かったんです。二人の死亡時期は、異なっていました」  「うん?」  「セネブイのほうは顔が分かる状態だったのに、女性のほうは、顔が分からないほど腐っていたんだそうです。アヤヘティブは、おそらく、セネブイより何日も前に死んでいます。死亡時期が違う以上、これは、単純な心中事件では無いんですよ。インイさん、あなたがしたことは、殺人の隠蔽なんです」  見る間に男の顔が青ざめていく。あまりにも分かりやすい色の変化に、チェティのほうが心配なるほどだ。  「そんな、…いや、しかし。」  「インハピさんは、そうは言わなかった?」  「ああ。セネブイと酒場女が死んでいた…とだけ言った」  (でも、実際には女性の顔は、腐って見分けがつかないほどになっていた) チェティは、用心深く男の表情を確かめた。  純粋な動揺。青ざめ、うろたえるその顔は、演技とは思えない。  インイは本当に、死んだ二人の状況を何も聞いていなかったのだ。そして、甥の言うままに、心中事件なのだと信じて、同じ酒場の常連で、顔見知りだったメニに言って、事件を早期に終わらせることにした。  だとしたら、怪しむべきはインハピのほうなのだ。インハピは何故、女性の身元を断定出来た?  「…お話、ありがとうございました。少なくとも、あなたが巻き込まれた側だということだけは、分かりました」 言葉を無くして固まっているインイに軽く会釈をすると、チェティは、心の中の動揺を押し隠して、あくまで冷静を装いながら、その場を後にした。  見えてきたもの。分からなくなったこと。  州議会の書庫前まで戻った彼は、壁際で足を止めた。  (――そう、インイは利用されたんだ。悪意なく事件を隠蔽して、結果的に真犯人の思惑に加担した。死体が発見された時には、死んだ女性はアヤヘティブだと思われていた…。)  女性のほうの身元は、調査のどこかで、アヤヘティブからサァトハトルにすり替えられた。  そして、何の関係もないはずの二人の女性が入れ替えられたせいで、事件は、不自然な心中へと変わってしまった。  そして、それが大神殿への陳情に発展し、チェティが知るところとなったのだ。  インハピが途中で判断を変えたのか?   いや。そんなはずはない。死体の顔を見たホルアンクは、見分けがつかないほど腐っていた、と言っていた。ただ、髪型や格好は、母のサァトハトルのものだった、とも――。  (一体どうやって、被害者の身元を特定したんだ? 遺体の顔が分からなくて、最初は単純に、セネブイと懇意の女性だから、という理由だけで身元を特定していたのか? …だとしたら、どうしてその判断を途中で変えてしまったんだ。判断を変えたのは誰なんだ? それに、なぜ途中でサァトハトルに判断を変えたんだ。誰が、いつ?――)  少なくとも、最初にこの件を心中だと断定し、叔父に処理を頼んだインハピという人物は、きっと何かを知っている。  チェティは、州兵の宿舎のほうに向き直った。  どうやら、もう一度、ペンタウェレと話す必要がありそうだった。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

20人が本棚に入れています
本棚に追加