第3話 「三羽の雁」と「大なまず」

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第3話 「三羽の雁」と「大なまず」

 チェティは、役所のある北街から、再び中心街へと引き返し、川べりの船着き場へと向かっていた。  水死体で見つかった二人は、どちらも、船着き場のそばにある宿場通りにある宿、「三羽の雁」亭の関係者だった。ということは、その辺りに行けば、何か知っている人物が見つかるに違いない。  メンフィスは、この国の中心を貫く大河の、上流地方と下流地方とをつなぐ、その、ちょうど中間地点に当たる街だ。物流の拠点でもあり、人の行き来も多い。  川の本流を行く大型船から、支流や水路を伝って村や町へ向かう小型船への物資の積み替え。  その逆で、各地から送られてきた品を外国や遠方へ向かう大型船に一纏めに積み替えるような作業。  そうした一連の手続きも、この街の船着き場で行われるから、船員や旅人のための設備も多いのだ。宿、食堂、物資を保管する貸し倉庫などの施設が、船着き場に近い場所に集まっている。  中でも宿場通りは、その名の通り、主に船員や商売人向けの宿が幾つも隣り合わせに建っている。  「三羽の雁」亭は、そのうちの一軒のはずだった。  他の季節なら、船着き場に近い通りは、いつも人でごった返している。  けれど、川の水位が下がっているこの季節だけは、ほとんど船が使えないせいもあって閑散としている。船着き場の一部は、この季節でも使えるよう川辺を掘り下げて水を引き込んであるが、入って来られるのは底の浅い川船だけ。それも、あと数ヶ月もすれば船底がつっかえるほど水位が下がってしまう。  倉庫はほとんど空っぽだし、屋台も出ていない。旅人の姿もまばらだ。  この季節に行き来するのは、よほど急ぎの用事で旅をする人か、小型船で行き来する近隣の街の人々くらいのものだった。  そんな、いつもより静かな宿場通りを、チェティは、宿の入り口を見上げながら歩いていた。  「三羽の雁」亭というからには、看板に雁が描かれているに違いない。住民の大多数が文字を読めない以上、目印となる屋号は、見ただけで分かるものでなければ意味がない。大抵は、建物の入り口のあたりに、屋号と一致するような絵が描かれている。  (あった)  ほどなくして彼は、見習い絵師が手掛けたような、決して巧くはない、だが雁とは分かる鳥が三羽描かれた入り口を見つけた。日干し煉瓦の上から塗りつけた白い漆喰に、雁と水辺の草が描かれた壁。  この辺りで標準的な、取り立てて大きくも小さくもない、一般庶民用の手頃な宿屋だ。  裏側は川に面していて、宿専用の小さな桟橋が取り付けられていたが、水位の低下しているこの季節はほとんど用を成しておらず、棒切れで支えられた、ただの頼りない出っ張りに過ぎない。  そして、目の前にある入り口の木の扉は閂がかけられて、上から縄で縛ってある。住民が不在だから入るな、という意味合いだ。中に、人のいる気配はない。宿を経営していた女性には息子がいるはずだったが、今は留守なのだろう。  (これじゃ、話は聞けそうにないな…)  しばらく入り口を眺めたあと、引き返そうとしたときだった。  「あんた、そこの宿に何か用なのかい」  「え?…」 鋭い声に振り返ると、隣の宿の前の段に腰を下ろした老婆が、こちらを睨みつけていた。  「さっきから、ウロウロ、コソコソと。お役人が、お隣さんに何の用事だい?」  「えっと…」 いつから見ていたのだろう、全く気づいていなかった。敵意のある口調からして、チェティの訪問を、あまり良くは思っていないらしい。  「この宿のおかみさんと、番頭さんの件です。少し、気になることがあって…」  「その話はもう、終わったんだろう? ふん、あんたら役人が始末をつけたんだ。今更、何があるっていうんだい」  「事件のことは知っているんですね」  「当たり前だろ。お隣さんなんだから」 ということは、この老婆は、隣の宿の経営者――宿を経営する家族の一員、ということなのだろう。  チェティは、ちらと隣の宿の入り口の絵を見やった。そちらは、大きなナマズの絵が描かれている。さしづめ「大なまず」亭といったところか。  「息子さん、ホルアンクさんには、どこに行けば会えるでしょうか」  「そんなこと、アタシから教える筋合いはないね。役人のほうがよく知ってるだろ? 調べてるはずなんだから。」  「……。」 取り付く島もない。  どうやら、この老婆は、役人嫌いらしかった。  そういった住民も、居ないわけではない。過去に軽犯罪を犯して役所に引っ張られたことがあるとか、役人は税金を搾り取っていく連中だと認識しているとか、役職をかさに着て威張り散らすような役人に出くわしたとか、大方、そんなところだろう。  仕方なく、チェティは軽く一礼だけしてその場を立ち去った。鋭い視線は、彼が通りを立ち去るまでずっと後ろから追いかけてきていた。  そんなわけで、チェティはその日、ほとんど何も収穫の無いまま大神殿へとやって来た。  寝泊まりしている役人の宿舎――詰め所の隣に立つ寮にまっすぐに戻らなかったのは、大神殿に寄って、訴訟の経緯をもう一度、確かめておきたかったからだ。  まだ、冥界神プタハの神官たちの夕刻のお勤めまで、時間の猶予はある。つまり、お勤めに出る前のネフェルカプタハを呼び出しても問題はない。  足繁く通っているのもあって、大神殿に務める神官たちには顔見知りも多い。  その中の一人に伝言を頼んでおいて、チェティは、長兄の勤めている筆写室のほうへと向かった。そこは大神殿づきの書記たちの仕事場で、書庫の奥に繋がっている。  「失礼します」 入り口で声をかけてから、筆写室の奥の定位置に腰を下ろしている兄のほうを見た。  長兄、チェティより七つ年上のジェフティは、この大神殿の筆頭書記で、書記たちを束ねる立場にある。  チェティが近づいてくと、彼は読んでいた書類から視線を上げた。  「おや、どうした。もう調査に行き詰まったのか」 一瞬、言いかけた言葉を失ってしまった。  この兄は、いつもそうなのだ。こちらが口を開く前に、何を言おうとしているのか分かってしまう。  もっとも、今回の件は元々ジェフティがネフェルカプタハを唆したのが発端のようなものだったし、チェティは言いたいことが顔に出るたちだったから、余計に分かりやすかったのだろう。  「…ホルアンクさんの居場所を、教えて貰えませんか。大神殿に訴えを出したってことは、居場所も申告していったはずですよね」  「ということは、話を聞きに宿場通りに行って、空振りだったんだな。」  「はい。隣の宿のおばあさんに嫌味を言われて、何も教えて貰えませんでしたよ。ホルアンクさんが母親と同居してないって話はカプタハから聞いていたんですが、近くには住んでいないんですか?」  「…ふむ。」 ジェフティは、ちらと筆写室の中を見渡した。  この時間は、まだ他の書記たちもいる。立場上、あまり大っぴらに雑談をするわけにもいかないのだと、その視線は物語っていた。  「この訴訟は大神殿に出されたもので、本来は部外者に内容を漏らしてはいけないことになっている。お前のことだ、どうせ、ネフェルカプタハ様も呼んだのだろう?」  「はい」   「それなら、いつものように、私とあの方が話す所に同席しているといい」 そんな会話をしているところへ、丁度、ネフェルカプタハが現れた。  「うっす、お待たせ~」 相変わらずの軽さだ。それに、朝見たときと違い、普段通りの神官の服装に戻っている。  「あったかくなってきたら、急に元気になったね」  「ふふん。偉大なる太陽(ラー)に感謝だな」  「太陽信仰に転向するの? プタハ様に怒られるよ」  「何言ってんだ、作物ってのは太陽光が無きゃ育たないんだぞ。根っこは闇に、葉っぱは光に、だ。根っこは祖先、葉っぱは今生きてる子孫。何の問題もない」  「あー、うん…」  「んだよ、別に口から出任せじゃないぞ。そういうことになってんだよ、うちの教義は」  「分かったってば。本題に入っていい? 今朝の、心中事件のことなんだけど。」 軽口を叩くのをやめ、ネフェルカプタハは真顔になった。  「何か問題、あったのか」  「うん、色々と…。」 チェティは、ここまでに調べたことを報告した。  役所のほうの記録では、ほとんど何も分からなかったこと。  ”誰かが”、書庫にいるメニという老書記に、この件は解決したと告げ、メニが代わりに完了の印をつけていたこと。  死亡した宿の女主人の息子、ホルアンクに話を聞きに行こうとしたが、そもそも居場所が分からずに戻ってきたこと。  「――ふーん。てことは、なんか怪しいっつぅジェフティさんの勘は、当たってたってわけか」  「うん。でも、誰が調査に当たってたのか、メニさんは思い出せないみたいだった。思い出したら教えてくれる、って言ってたけど…。それを待ってもいられないでしょ」  「まあな。永遠に思い出さないっつぅセンもあるし」  「まさか」  「てか、そのメニって奴は、信用できんのか? 嘘ついてる可能性だってあんだろ。自分で勝手に、調査が終わったことにしちまったとかさ」  「え? 何で、そんなことを?」  「いや、…例えばさ、事件に何か関わりがあって、それを誤魔化すためにわざとトボけてる、とか。つうか、思いつきだよ、根拠は無い。」 少し考え込んだあと、チェティは首を振った。  「流石に、それは無いと思うな。ただ人が良いだけだと思うよ。何か企みをするような人なら、父上が親しくすることは無いはずだし」 そう、”あの” 父が気安く接しているくらいなのだ。  年相応に物忘れがひどいとか、人が良すぎて警戒心が薄いとか以外には、問題がありそうに思えない。  「そうか。なら、そのホルアンクって奴を見つけて話を聞かないことには、進展しそうにないな。なぁ、ジェフティさん、そいつ、今どこにいるんだ?」  「訴状の提出時に記録された現住所は、対岸の村です」 と、ジェフティ。さっき、チェティだけのときには教えてくれなかった情報だ。  「イウヌの南あたりですね。職業は渡し船の船頭。つまり、メンフィスと対岸の街や村を行ったり来たりしている生活で、今は対岸の方で妻子と暮らしているようです」  「なるほどなぁ。それで、たまにしか実家に顔出して無かった、っつぅことか」  「水位の高い時期は、特に忙しいですからね。今の、水位が下がっている季節なら、あまり仕事も無いはずですが」  「確かに、渡し守は暇になってる頃合いだな。んで、久しぶりに実家に戻ったら親が居なくなってんのに気づいた、とかか?」  「その辺りの細かい事情までは記録されていません。本人か、近所の人に聞いてみるほうが早いかと」  「けど、役人嫌いなんだろ? 事情を知ってそうなお隣さんは」  「宿場通りは特に顕著なようですが、あの辺り一帯は、なべて役人嫌いですね。税関役人が横柄だそうで、評判が悪い」  「…税関? そうか、あの通りの奥の倉庫街って…。」 ジェフティに言われて、チェティにも、思い当たることがあった。  他の州からにしろ、異国からにしろ、州境界を越えて持ち込まれる品にはすべて、関税が掛けられている。  陸路ではちょっとした品くらいしか持ち込めないが、船なら大量の品を一気に持ち込める。取り逃がして困る船便の荷に目を光らせるために、税関は、船着き場に併設されているのだった。  そして、そこには税関を取り仕切る役人がいる。――メンフィスの船着き場を通じて持ち込まれる様々な品を検分して、税を取り立てていく税収役人が。  「確か、船着き場の奥の倉庫街に、税関役人の詰め所があったな。部署が違うから関わったことは無いけど、よく揉め事を起こすところだって噂は聞いたことがある」  「うちも、たまにモメてるぜ。神殿に運び込まれる品は税がかからんっつーことになってんのに、知らないふりして税を徴収しようとしたことは何度もある。分かっててやってんだよな。確認だ何だと足止め食らわせてさ、それが嫌ならワイロ寄越せって魂胆だ。ショボイ連中だよ、まったく」  「宿場通りの人たちとも、揉め事は起こしてるってことか」  「だろうな。あのへんウロついてる役人なんて税関関係だと思うだろうし、それで、お前にも冷たく当たったんじゃねぇの」 理由は分かった。ただ、それならどうやって話を聞き出すか、だ。  「よし、明日は俺が一緒に行くわ。そんなら、少しは信用してもらえるだろ」  「いいの?」  「もののついでだ。職人街じゃなきゃ、顔でバレたりはしねぇだろうし」 ジェフティは、何も言わず黙っている。  「んじゃ、明日、待ち合わせな」  「うん。分かった」 チェティは頷いて、ネフェルカプタハと別れた。  もとより、人の信頼を得て話を聞き出すのは相棒のほうが上手いのだ。これで、少しは状況が分かるといいのだが。
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