第4話 物流の変化

1/1
前へ
/26ページ
次へ

第4話 物流の変化

 チェティが普段、寝泊まりしているのは、役人用の宿舎だ。詰め所の隣りにある、部屋の賃料の安い独身寮である。  その宿舎に戻りがてら、彼は、もういちど州議会の建物へと向かった。長い会議だとしても、さすがに、そろそろ終わっているだろうと思ってのことだ。  果たして、議場の扉は既に開かれて、見張りに立っていた兵士の姿も消えている。どうやら会議は終わり、州知事や、集まっていた近隣の街や村の代表者たちも解散したあとのようだった。  隣にある書庫のほうを覗いてみると、ちょうど父が、議事をまとめ終えて帰ろうとしているところだった。他にも何人かの同僚が居残りをしているが、メニの姿はない。  「父上、もう帰る所ですか。ちょっと聞きたいことがあるんですが」  「ん? どうした、チェティ。」 父のセジェムは、こちらの顔を見てすぐに、言いたいことに気づいたようだった。  にやり、とする。  「今度は、何の事件に首を突っ込んだんだ?」 兄と同じく、父も察しが良すぎる。何も言わないうちから、こちらの言いたいことを当ててしまう。もちろん、それは、チェティのことをよく分かっているからでもある。  「…大神殿に持ち込まれた訴訟――陳情です。役所のほうで心中として処理された事件に、死亡者の息子さんが納得していないようなんです。それで」 チェティは端的に、ことの経緯を話した。  「ほう、その若いのは、ずいぶんと思い切ったことをしたな。で?」  「役所の記録をメニさんに見せてもらったら、既に調査は完了したことになっていました。でも、完了の印を入れた当人のメニさんは、誰からそれを依頼されたか、思い出せないっていうんです」  「なるほど。あいつらしいなぁ」 セジェムは笑いながら、薄くなった頭を撫で上げた。  議会に出る時に被っている、手の込んだ編み込みのされた書記のカツラはとっくに脱いで、机の端に置いている。いくら肌寒い季節だからといっても、仕事上がりまで重たいカツラを被っているような者は、まず居ない。  「で、事の経緯か分からず困っている、というところか。まぁ、メニのことだ。誰だったか思い出せなくても、相手の顔くらいは見ているだろう」  「はい、顔見知りだったみたいです。口ひげのある役人で、歓楽街で太った人を好む…とか何とか。それだけじゃあ、誰だか分かりませんけど」  「歓楽街、か。」 父は、ちょっと首を傾げる。  「メニの家は、歓楽街の一本隣の通りにある。ということは、近所でよく顔を合わせる役人だったのかもしれんな。チェティ、その事件につい書かれていたのが、どの書類だったか覚えているかな」  「はい。ええと――」 書架に近づいたチェティは、昼間、メニに見せてもらった巻物を、すぐに探し出した。  「あった。これです」  「ふむ、行方不明のち水死体として発見。…なるほど。この手の事件なら、警邏(けいら)隊の上の、州軍統括が担当だな」  「州軍統括? 聞いたことがない部署なんですが、警邏隊って確か、前に、ペンタウェレ兄さんが一瞬だけ所属してたところですよね」 チェティの次兄、ペンタウェレは、国境警備から戻ってきたあと、州軍に再就職して、少しの間だけ、メンフィスの街の見回りをする警邏隊に所属していたのだ。  「そうだ。メンフィスは街が大きいし人の出入りも激しいから、専属の隊がいるが、それ以外の小さな街や村は、まとめて幾つかの地域に分割して担当する巡回兵の部隊が割り振られている。それらすべての部隊を取りまとめるのが、統括部隊。いずれかの巡回部隊から異常発見や事件の報せがあると、統括が指示を出して調査させたり、犯人を逮捕させたりするもんだ。」  「なるほど。と、いうことは、今回も、その巡回部隊が捜査に当たったんですね。それで、事件性がないとされたなら、統括の誰かが判断したはずだ、ってことですか」  「うむ。メニのところへ事件の完了を伝えに来たのなら、統括関係者か、あるいは、この事件を担当していた巡回の兵の上司だろう。」  「でも、…あれ?」 ふとチェティは、以前、ここにペンタウェレが来た時のことを思い出していた。  メニは、体格の良い軍人を怖がって悲鳴を上げていたのだ。  さすがに二度、三度と訪ねて来るうちに少しは慣れたようだったが、怯えた様子は変わらなかった。  「…兵士が書庫に入ってきたら、顔見知りだとしても最初に悲鳴は上げると思うんですよね」  「ははは、そうだな。良いところに気がついた。メニなら、間違いなくそうするな。」 セジェムは、愉快そうに声を上げて笑った。  父は、いつもニコニコしてはいるもの、普段の笑顔は煙に巻くためのもので、本当に面白くて笑うことは滅多にない。それが笑ったということは、きっと、メニは父にとって本当に好ましい人物なのだと、チェティは理解した。  そう、――仕事ぶりや、何だか頼りないところを差し引いても、父にとって何かが好ましいのだ。多分。  「それと、メニさんは、ここへ来て事件のことを話した人について『役人』って言っていました。兵士が来たんなら、そう言ってたはずです。統括にも、従軍書記みたいな人がいる、とかでしょうか?」  「あるいは、書記か軍人かの区別が曖昧な人物かもしれん。執政官どののように、軍人上がりの書記も居なくはないしな。ま、その可能性は低いだろうが。どうせ、実際には統括に属していない誰かが代理で来たのだろう」 そう言って、セジェムはいたずらっぽい眼差しで、にっこりと笑った。  「探すべき人物の特徴が分かって、良かったじゃあないか。明日にでも、ペンタウェレに聞いてみればいい」  「そうですね、そうします。」  「じゃあ、わしはそろそろ家に戻るとするよ。今日は久しぶりに残業してしまった」  「おつかれさまです」 チェティは、書庫を出てゆく父を見送った。これから、街の中心部にある、母や妹の待つ家に帰るのだ。  「おっと、そうそう」 巻物を書架に戻そうとしていた時、帰宅したと思っていた父が、再びひょっこりと書庫の入り口に顔を出した。  「言い忘れていたがな、チェティ。今日の議会の議題は、今後の物流と税関の対応についてだったんだよ」  「? …ええと、はい」  「半年ほど前に、下流の州の州知事が勝手に王を名乗って、中央政府に離反しただろう? それで、下流の州で産出する品や、下流を経由して入ってくる品の一部が、滞りはじめているらしいんだ。」  「というと、香料とか木材とか紙とか――ですか?」   「うん」 父は、何やら嬉しそうに頷いている。その表情からして、言いたいことが伝わって嬉しい、という顔に違いない。  「で、逆に、うちから輸出する戦略物資は税関で差し止めが入るんで、下流の州では、うちから買っていたものが足りなくなっとるはずだな。いずれにせよ、次の増水季には、下流との船の行き来が減るのは確実だ。庶民の生活にも影響が出るだろうな。さっきの議会は、そんな話をしていたよ。それじゃあ、またな」  「……。」 チェティは眉を寄せ、首を傾げた。  相変わらず、父は全てを説明しない。いつもどおり、分かるような、分からないようなことを言い残して去っていった。  けれど、いつもの通りなら、この予言めいた謎かけも、何かの手がかりになるに違いないのだった。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加