第6話 遺体発見者の証言

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第6話 遺体発見者の証言

 ネフェルカプタハのお陰で、口の固い隣の宿の老婆から一定の話を聞き出すことは出来た。だが、まだ、肝心のホルアンクには会えていない。  ぶらぶらと大通りのほうに向かって歩きながら、ネフェルカプタハは、隣で考え込んでいる相棒に尋ねた。  「次、どうするよ」  「――あ、うん。そうだね…やっぱり、遺体発見時の状況は、確認しておきたい」  「何か、怪しいところに気がついたんだな?」 ネフェルカプタハは、にやりと笑う。  チェティが無言で固まっている時は、大抵、頭の中で考えをこねくり回している時なのだ。もう長い付き合いだから、表情を見れば、考えていることはだいたい分かる。  「ホルアンクの疑ったとおり、心中っていうのはおかしいと思う。普通、そういうのって、他に方法が無いから死ぬものでしょ。」  「んだなあ。結婚に反対された若い男女、生きるのに嫌気がさした仲間同士。あるいは、共犯者として一蓮托生の死を選ぶって奴もいるかもしれねぇが…」  「理由はどうあれ、切羽詰まった場合だけのはずだよ。だけど、さっきのおばあさんの話からして、二人とも、切羽詰まるような問題は何も抱えてない気がした。」  「まあ、確かにな」  「なのに、一緒に死んだことになってる。しかも見つかったのって、街中じゃなくて、少し離れた川べりだよね。死ぬにしても、どうしてその場所だったんだろう。――場所って分かる? カプタハ。」  「ああ、そんなこともあろうかと、出る前にジェフティさんに場所は聞いてきた。訴状を代筆した書記が、細かく書いててくれたらしい。発見者の名前もあった」  「助かるよ」 ネフェルカプタハは、先に立って街の北の方角へと向かっていく。川は、南から北に向かって流れているから、メンフィスからは下流のほうだ。  北街を抜けると、その先は、小さな農村が点在する農耕地と牧草地になっている。  東には対岸の岩山とその斜面に作られた太陽神殿に関連する建物が見え、西の丘には古代の王墓がそびえ立つ。ただの農村の風景に見えるが、この辺りは、気の遠くなるような長い歴史に囲まれた土地なのだ。  「えーと、確か、この辺だなぁ…」 足を止めたネフェルカプタハは、きょろきょろと辺りを見回すと、牛を連れて近くを通りかかった農夫を呼び止めた。  「すまんが、この辺りでチェンナって農夫を知らないか。最近、川べりで死体を見つけたって役所に報せを上げた奴なんだが」  「えっ?! チェンナなら、そこの村に住んでるけど…。神官さんが、何でまた、こんなところに」  「ちょいとした、野暮(やぼ)用だよ。ありがとな、行ってみる」  「……?」 農夫は、首を傾げている。  神殿内の掃除や雑務を担当する、当番制の下級神官ならいざ知らず、専任職の神官が街の外を出歩くのは珍しいのだ。清浄にこだわる職業だから、履物も衣も真っ白で、汚すことを嫌う。あとで着替えればいいやとばかり、気にせず泥まみれにする、ネフェルカプタハのような大雑把な神官も、なかなか居ない。  村に歩いていく間、農夫は、不思議そうな顔でこちらを見ていた。  目的の人物、遺体発見者の農夫チェンナは、すぐに見つかった。白髪交じりの頭、細身の体躯。農作業で日に焼けた体。擦り切れた古い亜麻の服と、何度も修繕した跡のある履物。ありふれた、平凡な農夫の格好だ。  (いち)に出かけていたらすれ違いになっていたところだが、幸い、男は家にいて、刈り取った葦で網籠を作っている最中だった。収穫の時期になれば、それを使って脱穀した麦の殻を飛ばすのだ。今のうちから準備をしているらしい。  役人と神官、という異色の取り合わせの二人が訪ねて来たことに、男は、怪訝そうな顔つきになっていた。  「ええと…一体、何の御用でしょうか」  「この近くで男と女が一緒に死んでたって話について、ちょいと聞きたいことがあってな。あんたが見つけた、って話なんだが」  「ええ、はい…。何か、あったんですかい」 警戒した反応だ。無理もない。  「役人は、あんたのところに聞き取りに来たりしたか?」  「いいえ。何も。死体を引き上げていった日から、一度も訪ねて来てませんよ」  (やっぱり) チェティは、ちらとネフェルカプタハのほうを見て、小さく頷いた。  薄々、そんな予感がしていたのだ。この件について、役人も州兵も、ほとんど何も調べていない。それも、宿場通りのご近所さんだけでなく、発見者にすら聞き取りをしていないとは。  「男と女の遺体が引き上げられた、ってのは間違いないんだよな」  「ええ、そうですよ。やって来た役人は、どうせ心中だろうって言ってました」  「……その時に、もう?」  「へえ。そのあと、死体を回収して、街に戻っていきました。で、何でまた、神官さんがそんなことを聞きに?」  「実は、その件で大神殿に遺族から陳情が出されてな。役所は心中として処理しようとしてたんだが、女のほうの息子が納得してないらしいんだ。で、俺とこいつが、改めて聞き込みをしてるってわけだ」  「はあ…そういうことですか。大変ですねえ」  「遺体はもう埋葬されてしまっているので、せめて発見時の状況から、もう一度、調べ直してみたいんです。どこで発見したかと、見つけた時のことを教えてもらえませんか」  「そりゃ、いいですが…。」 事情が分かっても、農夫チェンナの表情は、あまり乗り気がしない、というふうでもある。  「もし、忙しければ、ほんの少しだけでも」 チェティが言うと、男は、小さく首を振って立ち上がった。  「いいや、そういうんじゃなくてさ。あんまり、その…気持ちのいい状態じゃ、なかったから。未だに匂いが鼻についてて…。」  「そんなに傷んでたのか」  「死体を見慣れてる連中でも、ありゃあ、キツいと思いますよ。何しろ女のほうは、顔がほとんど崩れ落ちてて…。」 男は、大きく体を震わせた。  平凡な農夫が、人生において、異常な死に方をした死体を見る機会など、そう何度もあるものではない。それは、当然の反応と見えた。  家を出た男は、やや腰を屈めた歩き方で、川べりのほうに向かっていく。  「あの日は、わしと、隣の家のカゲムニとで、夜明け前に猟に出かけてたんだ。水鳥を取って、羽毛を市に持って行こうかと…。そしたら、カゲムニのやつが水際でつまづいてさ。見たら、ふやけた真っ白な死体が…」 足を止めて、川の先のほうを指さした。  「ほら、あそこだよ」 それ以上は近づきたくない、とでも言わんばかりだ。  「五日くらい前だったかなあ。小舟で近づいて、網を取り出して、茂みにかけようとした時に見つけたんだ。」  「見つけたのは、死んだ二人のうち、どちらだったんですか」  「男の方だよ。顔を横にして、半分、泥に埋もれてた。川の水が引いて、引っかかったんだと思う。…足の先に縄がつながってて、もう一方の足が見えてたんだ。で、もうひとり、泥の中に沈んでるんだと気づいて、ぞっとした」  「男の方には、外傷は無かったんですよね」  「わからんよ、そんなことは。引っ張り上げて見てみたわけでもないし。…知ってるのは、それだけなんだ」  つまり、この男は本当に”発見しただけ”で、ほとんど何も知らないのだ。普通なら、興味を持って死体をほじくり返すわけもないし、じっくり見るなどしないだろうから、そんなものだろう。  「それで――そのあと、役人が死体の回収に来たんですよね。案内したんですか」  「ああ、したよ。現場まで案内したさ。それで、水の中から死体がズルって持ち上げられるのを見てさ。もう、ゾッとして…。水の中にいたのは、女の死体だったんだ。肉付きのいい女で、体は、ぶよぶよになっててさ。長い髪が、頭から剥がれてボタボタ…ううっ」 男は、すでに吐きそうな顔になっている。  「腐敗して、ひどく傷んでたってことですか」  「…そう。顔を見ちまったんだよ、魚に食われてさ、穴だらけで。…しばらく、魚が食えなくなりそうだよ。はぁ…」  「……。」 チェティは、ちらとネフェルカプタハのほうを見やった。彼も、同じような表情をしている。  「ええと…、男のほうは顔が分かったんですよね。それほど傷んでもいなくて」  「そうだよ。」  「でも、女のほうは腐敗して、顔も分からないほどだった?」  「…だな」  「役人は、他に何か言ってましたか? 心中と判断した理由とか」  「なんもだ。兵士と、心中だろうな、って話してたのだけ聞こえて、男と女が縄で繋がってるんだから、そういうもんかと思ったんだ。それっきりだ。知ってることは、そんだけだよ」  「わかりました。ありがとうございます」 お礼を言って、二人は、発見者の農夫と別れた。  それから、さっき男が指さしていたあたりの川べりまで出てみた。  遺体の発見されたるのは何日も前のことだ。目ぼしいものは何も残っていなかった。ただ、葦が大きく倒れている箇所と、何人もの人が川に出入りしたような、泥が岸辺に飛び散った痕跡だけは見つかった。おそらく、この辺りが発見場所なのだろう。  「メンフィスの街からは、ずいぶん離れているんだな」 上流のほうを見やって、ネフェルカプタハが呟く。  「そうだね。だけど、さっきの村からは近い。こんなところに死体が何日も転がってたら、もっと早く誰かが気がついていてもおかしくないな」  「お互いの足をくくって、石を抱いて沈んだんなら、しばらく川底にあったのかもしれない。で、死体が腐って、抱いてた石が外れて浮かんで来た、とか?」  「それなら、ふたりとも腐ってないとおかしいね。気になってるのは、太った女性のほうが傷んでいた、って話だよ。その…顔が、分からないくらいに、って話」 その場面を想像するだけでもゾッとする。あの農夫の気持ちもよく分かる。  「心中なら、同時に死んでるはずだ。なのに片方の遺体だけ痛みが激しいなんて。」  「うーん…男が先に打ち上げられて、女のほうは水の中にずっといた、から…か?」  「普通は逆だと思うんだ。女の人のほうは、肉付きが良かったって言ってたよね? 水に浮きやすいのは、太ってる人だよ。なのに、今回は逆。どうして、そんなことになったんだろう」  「心中じゃ無ぇと思ってるのか、お前は」  「むしろ逆に、何で役所が心中だとすぐに断定したのか、その理由が分からないよ」 チェティは、腕組みをして指を顎にやりながら、じっと川べりを睨んでいる。  「足が縄で結ばれていただけなら、別に心中じゃなくたっていいんだ。二人を別々に殺して、足を結んで川に放り込むだけでも成立する」  「確かにな。けど、そうすると、二人ともに殺意を持ってる犯人が必要になるぜ。誰かと揉めてたとか、困ってたみたいな話は、隣の宿の婆さんも言ってなかった。…あとは、息子のほうに聞くしかないが」  「そうだね。情報が足りなさすぎる。だけど、これで、ホルアンクの訴えが見当はずれじゃなさそうだってことは、確かめられた」 心中だとして処理される理由が分からない。少なくとも、ほんの一日かそこらで断定されるほど明確な状況ではない。  だが、現実として、ここで男女二人の死体が見つかっている。  「三羽の雁」亭の女主人サァトハトルと、番頭セネブイ。別々に姿を消した二人が同時に死体となって見つかったのだとしたら、同時に死んだのではと疑う理由にはなる。ただ、断定するだけの材料は無い。  問題は、空白の時間に一体、何があったのか、だ。  それが、この事件を解く鍵になりそうだった。  ネフェルカプタハとは、街に戻ったところで別れた。  今の時点で調べられることは、調べ終えた。次は、サァトハトルの息子、ホルアンクに話を聞きたいところだが、それは連絡を待つしかない。  どうしても連絡が取れなければ、川向こうのホルアンクの家を訪ねるしかないが、相手は渡し船の船頭だ。普段は家におらず、昼間は川の対岸とこちら側を行き来する生活をしているはずで、狙って会うのは難しそうだった。  役人の詰め所に戻ってきたチェティは、ふと、父の同僚のメニのことを思い出していた。  (そういえば、誰に完了の印を入れるよう言われたのか、思い出したら教えてくれるって言ってたよな…) あの、ふんわりとした老書記が、そんなにすぐに思い出してくれるとも思えなかったが、ダメ元で訪ねてみるくらいは無駄ではないだろう。  そう思って、州議会の書庫のほうに顔を出したのだが、…肝心の、メニの姿がない。  いつも座っているあたりは空っぽで、近くにいた同僚書記は、「今日は休みだよ」と、あっけらかんとした顔で答えた。  「メニさんは、(いち)の立つ日は、いつも休みなんだ。家が繁華街の隣でさ、ちょうど、人が集まってくる辺りなんだよ。それで、朝、出てくるのが面倒だからって。」  「はあ…」 そんな理由で休むとは、なかなか大胆な仕事の仕方をしている。下手したらクビにされてもおかしくない。  ただ、メニは高齢で、引退していてもおかしくない年なのだ。古参の熟練書記として、そのくらいは多目に見られているのかもしれなかった。  でも、だとしたら今日はもう、何も出来そうにない。  仕方なく――という言い方も変だが、チェティは、本来の自分の担当である税収管理の部署のある建物に戻って、いつもの自分の席に腰を下ろした。  この時期は、あまり仕事がない。同僚の書記たちもみな、暇そうで、部屋の中で世間話でもしているか、のんびりと個人的な書き物をしている者もいる。  副業で、知り合いの手紙を代筆したり、誰かの墓に入れる石碑用の碑文の案を作ったりする者もいるくらいなのだ。そして、それは別に禁止されてはいない。  チェティは、そうした副業に興味はなく、今まで手を出したことは無かったが、やろうと思えば、稼ぐことだって出来た。文字を自由に読み書き出来るのは、ごく一部の者だけが持つ専門技能。使い所は、いくらでもあるのだ。  もっとも、大神殿に持ち込まれる訴訟に首を突っ込んで周っているのは、報酬を貰っていないだけで、ある意味、副業のようなものかもしれないのだが。  自席で適当な書類を広げていると、近くの窓辺で、同僚たちが雑談している声が耳に入ってきた。  「…でさ。倉庫管理の帳簿の手伝い、わりと、いい稼ぎになるんだよ」  「おっ。本当か? なら、一口、紹介してくれよ」 どうやら、副業に勧誘する内容らしい。役所の中ですら、こんな話が堂々とされている。  「けど、あそこは、税関の連中がうるさいのが面倒で…」 聞くともなしに漏れ聞いていたチェティは、ふと、気になる単語を聞きつけて思わず顔を上げた。  「税関?」 隅の方で話していた同僚の書記たちが、振り返った。  「何だい、チェティ。お前も、この話に乗りたいのか」  「そうじゃなくて、…倉庫って、船着き場の、宿場通りの奥にある倉庫街ですよね? 船で運ばれてきたものとか、船に積む予定のものを一時的に保管してるところ」  「そうだよ。」  「昨日、宿場街の人に税関の役人と間違われて、冷たい態度を取られたんです。ずいぶん嫌われてるみたいだったけど…何でなんだろう、って」  「ああ。そりゃあ、嫌われてるに決まってるさ。皆に嫌われてる。なあ」  「そうそう、おれらだって嫌いだもん。」 同僚たちは、そう言って含みのある視線を見交わしている。  「そうか、知らないんだなあ…お前は、まだ若いしな。今まで、あいつらと関わり合いも無かったんなら、幸運なことだ」  「うんうん。ま、若いってのはいもんだ。汚れを知らなくてさ」  「…え、何ですか。そんな深い話なんですか?」  「まぁ聞け。先輩が教えてやろう」 話していた二人のうち、年かさのほうが訳知り顔で人差し指を立てた。  年長者ぶってはいるものの、まだ二十代前半の若さで、最近になって上級書記に上がったばかり。職歴的にはチェティと大して変わらない。書記学校をすんなり卒業して、そのまま就職してきたチェティが、同僚たちのうちでは若すぎるだけでもあるのだが。  「税関役人ってのは、この街に入ってくる品に税をかける仕事だろ。税率は各州で決めていて、州としての収入になる」  「うん」  「その対象品目の判別や税の支払い管理をするのが、税関の役人なんだ。船主は、税を払った証明を貰わないと、荷下ろしが出来ない。当然、繁忙期には船が沢山着くから、順番待ちになるよな」  「そうですね。急いで審査しないと」  「ところが、だ。税関の連中は、急がないんだ」  「えっ?」  「早く審査を終えたければ、賄賂を渡すしかないのさ。渡さなければ、いくら待っても順番が来ない。それか、書類の不備を指摘されたり、難癖つけられて全然審査が進まなかったり。昔っからそうなんだ。まあ、一日に十隻ぶん審査しても、五隻ぶん審査しても給料は変わらんしな。優先順位をつけること自体は、別に悪くはないんだが…その基準は、賄賂を渡すかどうかで決まるんだ。」  「……。」 聞きながら、チェティは唖然としていた。  税関の役人といえば、種類は違えど同じ税収担当の役人だ。チェティたち、農地担当の税収役人は、農民から賄賂を貰って台帳を誤魔化すことは固く禁じられている。それなのに、税関のほうでは大胆にも、街に着く船の片っ端から賄賂を巻き上げていようとは…。  「でも、どうしてバレていないんですか。賄賂を貰わなきゃ審査しない、だなんて。今まで問題にならなかったのがおかしい」  「あー、そこは連中も、上手いことやってんだよ。非課税品の船は早く審査して通してるから」  「非課税品?」  「メンフィスの工房を通って王家に納められる品には、税はかからない。州知事どののところに行く品もそうだ。あとは、貴族連中の船とかさ。そういうのを止めたら、大事(おおごと)になるよな? だから、そういう品はすぐに処理して、もちろん賄賂とかも必要ない。偉い連中は、気づくはずがないのさ。迷惑を食らってるのは庶民だけ。賄賂っつってもそんなに高いもんじゃないし、実際、繁忙期には賄賂を払ってでも順番をすっ飛ばして貰いたい連中は多いんだ。ってなわけで、誰も、敢えて訴え出たりはせずに、賄賂が慣習になってるってわけ。  ――ただ、最近はちょっとやりすぎなんだよな」  「うんうん。」 と、もう一人が話に加わってくる。  「流石に、宿場通りの連中からも、みかじめ料を巻き上げてるのは、いただけないよね」  「みかじめ料…って?」  「税関って、倉庫街と宿場通りの間にあるだろ? 連中、密輸業者とか脱税疑いのある旅人が宿泊してる宿は、捜査のために一時的に営業停止に出来る権限があるんだよ。怪しい奴を捕まえるためとか、隠し持ってる品を宿に運び込んでるんじゃないかとか、そういう理由をつけて。長くても一日かそこらだろうけど、繁忙期にそんなことされたら、客が入って来なくなるじゃないか」  「まさか、言いがかりをつけられたくなければ賄賂を寄越せ、って、脅しているってことですか」  「さあな、詳しいやり口までは聞いてない。けど、今言ったのと似たような方法で、圧をかけてはいるらしいぜ」  「口利きしてやるって、タダで宿に知り合いを泊まらせたり、有力者につなぎをつけてやるから奢れとか言って、実際はただの飲み代のたかりだったりな。公然と接待させてんだよ。」  「それは…。」 恨まれる。それに、嫌われるに決まっている。  「ーーで、倉庫管理の仕事を手伝いに行った、おれらみたいな下っ端役人にも横柄な態度で来るんだよ。帳簿の間違いなんて無いのに、何かごまかしてんじゃないかとか、自分らのこと棚に上げて、賄賂でも貰ってんじゃないかとかさぁ」  「そう、そう。で、たまにニコニコしながら『飲みに行こう』とか誘ってくるんだけど、あいつら絶対、自分では払わないんだ。もう面倒くさいったら。だからチェティ、もしお前が倉庫の仕事を手伝いに行くんなら、連中に見つからんよう気をつけたほうがいいぜ」  「行かないですよ。でも、もし何かあるときは、避けるようにします」  「そうしたほうがいい」 先輩顔の二人は、笑いながら、自分たちの話に戻っていってしまった。  なんてことはない、雑談のつもりだったのだろう。  ――だがチェティには、有益な情報だった。  (税関の役人が嫌われてる理由は分かった。他の役人たちからすら、嫌われているんだ。でも…) 「三羽の雁」亭の番頭セネブイは、自ら率先して媚びを売るような真似をしていたと、隣の宿の老婆は言っていた。税関役人の口利きで、固定客をつけていた、とも。  死亡した番頭は、一体、どういうつもりで、そんなことをしたのだろう。…それが、死因と関係しているということは、あり得るのだろうか。
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