第7話 空き巣事件

1/1
前へ
/26ページ
次へ

第7話 空き巣事件

 やはり、ホルアンクに話を聞かなければ、どうにも分からないことが多すぎる。  翌日、チェティは早い時間からメンフィス大神殿へと向かった。ホルアンクが戻ってきたら大神殿に連絡をくれるよう、「三羽の雁」亭の隣の宿の老婆に頼んでおいたからだ。彼がもし、昨日の月市(つきいち)のついでに実家に寄ったのなら、今日には伝言が来ているはずだと思ったのだ。  そして、その期待は当たっていた。  筆写室へ向かおうとしていたところへ、ちょうど向かいから、ネフェルカプタハが駆けてくる。  「おっ、チェティ。いいとこに来たな、誰か、呼びに行かせようかと思ってたとこなんだ」  「もしかして、ホルアンクが戻ってきた?」  「らしい。今なら家にいるはずだって。これから行くか?」  「うん。そうしよう」 ホルアンクの仕事は渡し船の船頭で、いつ街を出てしまうか分からない。会うなら、早いほうが良い。  大急ぎで向かった宿場通りは、しかし、何やら、騒ぎのさなかにあった。  「何で誰も見てないんだよ。あんたら巡回の兵は、一体、何をやってたんだ?!」 人混みの中で声を張り上げているのは、見覚えのない、若い男だ。「三羽の雁」亭の、縄で閉ざされていた扉が開かれて、その前に立っている。  怒鳴られているのは、街の治安維持のために巡回をしている、警邏(けいら)隊の州兵たちだ。何か、のっぴきならない問題が起きているらしかった。  「おいおい、どうなってる」 ネフェルカプタハは、心配そうに騒ぎを取り囲んでいる中に、昨日の老婆の姿を見つけた。  「ばあさん。これは一体、何の騒ぎなんだ」  「昨日の神官さんじゃないか。それがね――」 老婆は、うろたえた様子で兵士たちと言い合っている若い男のほうを見やった。  「昨日の夕方にホルアンクが戻ってきたんだけど、家に入ったら、中が荒らされていたっていうんだよ。で、州兵を呼んだんだ。」  「毎日、家の前を通ってて、なんで勝手に開け閉めした奴がいたかどうかも見てないんだよ! 何のための巡回なんだ」 怒鳴っているのは、まだ二十そこそこに見える若者だった。あれがホルアンクだとすれば、思っていたより若い。  呼びつけられたらしい二人の兵は、困ったような顔だ。  「そんなこと言われても…隣近所の人も怪しい人物を見ていないのなら、巡回してるだけの我々に分かるわけないだろう。とにかく、被害届は出しておく。いったん、盗られたものがあるか確認してくれ」  「ふん。役立たずめ」 吐き捨てるように言って、若者は家の中に入っていく。  慌てて、チェティたちも後を追った。  「ホルアンクさん」  「ん? 何だよ、あんたたち――あ、神官? ってことは、伝言の…」 チェティは、頷いた。  「ぼくはチェティ、こっちは神官のカプタハ。あなたが、大神殿に出した訴えの件で来ました。ぼくは、ついでですけど」  「つか、空き巣ってどういうことだ? あんたが戻って来るまでの間に、誰かが家に入りこんでたっていうのか」  「そうなんだよ。腹立たしいことに」 ホルアンクは、二人が一緒に中へ入ることを止めようとはしなかった。  扉を開けてすぐの眼の前に、宿泊希望者の受付をする番台がある。その右手、客室へと続く廊下が奥へ折れる手前に、二階への階段。  「この上が、家族の私室なんだ。そこが荒らされてた」 と、ホルアンクは腹立たしげに言う。  「前に、ここへ戻ったのは?」  「三日前だよ。大神殿に訴状を出した日だ。役人が取り合ってくれなくて、腹が立って、馴染みの書記に無理言って訴状作ってもらってさ。そのまま法廷に駆け込んだ」  「それじゃあ、ここが荒らされたのは、そのあとか。…誰も気づかなかったんですね。隣の人も?」  「お隣は今、ばあちゃんだけなんだよ。客が少ない時期だから、息子夫婦は出稼ぎしてる。頼りにはならないね」  「…そうか。ここ、お隣は、一軒だけですもんね」 反対側のお隣は、川辺が抉れていて建物が無いのだ。物音や不審な人物に気づくとすれば、唯一のお隣である、大ナマズの絵が描かれた宿しかないが、老婆ひとりで留守番をしていたのなら、些細な出来事には気づかなかった可能性がある。  ホルアンクと一緒に二階へ上がったチェティとネフェルカプタハは、首を傾げた。雑然としてはいるが、部屋の中は、思ったより整った状態だ。  「これ、荒らされてるんですか? 単に整理整頓できてない、とかじゃなく…?」  「荒れてるだろ、どう見たって。母さんは、こういう物の置き方はしないんだ」 ホルアンクは、不機嫌そうに言う。  「それに、見てくれ。ほら、どの部屋も全部、同じ状態だろ」 二階には、小さな寝室が三部屋あるが、すべての部屋で、収納のために置かれた長持(ながもち)の中身が取り出されて、並べられている。放り投げたり、ひっくり返したりしていないところを見ると、手早く犯行に及んだというよりは、時間をかけて、じっくり丁寧に探し回ったという雰囲気だ。  明らかに、何かを探していたような痕跡だ。ただの物取りの泥棒とは思えない。  「それに、ほら。ここは、家族しか知らない隠し場所だったのに、こんなところまで」 ホルアンクは、壁の飾りのように垂らされていた布の裏側に隠れていた、日干しレンガをひとつ抜いて作った小さな空間を見せた。言われなければ気づかないような隠し場所だ。その穴すら探し当て、手を突っ込んだような形跡がある。  「何かそこに、大事なものを隠していたんですか」  「いいや。金目のものは、母さんが居なくなってから川向うの家に運んでいたから…。でも逆に、盗られたものがあっても、この状態じゃあ何もわからないよ」 ホルアンクは、ため息をついて首を振った。  「すぐには特定出来ない。あの巡回の兵たちには、そう言うしかない」  「じゃあ、ぼくが話してきます。カプタハ、ホルアンクさんと一緒にここを見ててくれる?」  「分かった」 外に出たチェティは、巡回の兵たちのところへ近づいた。野次馬に囲まれながら、困った様子で何か話し合っている二人の兵は、どちらもごく普通の若者たちで、取り立てて目立つところはない。  「ホルアンクさんは、何が盗られたかすぐには特定できそうにない、と言ってます。確認に時間がかかったとしても、この件の聞き込みくらいは、してもらえるんですよね?」  「そりゃあ、勿論。まずは、盗難じゃなく、不法侵入のほうでの調査になると思うが」  「良かった」  「あんた、役人だよな? どこの部署なんだい」 そう尋ねた兵士の、妙に警戒した表情に気づいて、チェティは慌てて言い添えた。  「畑の税収を担当してるんです、税関役人じゃありませんよ。あと、ぼくの兄は州兵で、年始め頃に警邏(けいら)隊にいたペンタウェレです。」  「え?! ペンタウェレさんって、今は治安維持部隊にいる人だよな」  「そうです」 一人は、はっとした顔になり、もう一人は、あからさまに安堵したような顔になった。  「あの人の弟さんか。なあんだ…」 ということは、やはり、この兵士たちも、税関役人にはあまり良い思いを抱いていないらしかった。  「報告書が必要なら、あとで、ぼくから提出します。ここの人は、ちょっとした知り合いで。…よろしくお願いします」  「ああ、分かった。それじゃ、住人への聞き取りは任せるよ」  「……。」 その時、一人の兵士のほうが、何か意味深な視線をチェティに向けた。  (…ん?) だが、それも、一瞬のことだ。  恐れているような、余計なことをされて不機嫌なような、そんな顔つきだった気がしたのだが、…きっと気のせいなのだろう。  兵士たちは、他に何か目撃した者がいないかを確かめると言って去って行った。  (あまり、目撃情報には期待出来ないな…。) 彼らには申し訳ないが、ここが荒らされてから、最長で三日経っている。  それなのに、今まで誰も異変に気づかなかったのだから、いまさら目撃者が出てくるとも思えなかった。  宿の中に戻ると、ネフェルカプタハたちは二階から降りて来て、一階のほうを調べている最中だった。ホルアンクは、番台の裏をごそごそ探っている。  「…無いな、やっぱり」  「えっ? 何か、盗られたものが分かったんですか」  「盗られたのか、母さんがどこかに仕舞ったのか分からないけど…宿帳が無いんだ。どの部屋に何人泊まってるかと、宿代を貰ったかどうかだけ書かれてる、簡単な帳簿」 ホルアンクは、ほこりを払いながら番台の裏から滑り出てきた。  「二階の母さんの部屋にも無かったし、まあ、いまは宿泊客が居ないからいいんだけどさ」  「それは、どのくらいの期間を記録してるんですか」  「いつもは、一年くらいは残してたよ。それ以上は邪魔だから、定期的に処分してたはずだ。」  「読み書きが出来たんですか?」  「いや。覚えてたのは、幾つかの単語と数字くらいだな。長期滞在だと前払いの客が多かったんで、あと何日ぶん宿代が残ってるか、とかを記録していたんだよ」  「なるほど…数字は、覚えるのが簡単ですしね」 文字のすべてを覚えて扱うには技術が必要だが、数字や簡単な計算くらいなら、誰でもすぐに習得できる。文字の読み書きが出来ない住民でも、絵と数字と記号だけで、簡単な帳簿くらいは付けていることが多い。  「まさか、客室のほうに置いてある、なんてことは無いよな?」 ネフェルカプタハは、階段から奥に続く廊下のほうが気になってるようだった。  「あと、この建物、裏口があるんじゃないのか。そっちから侵入された、ってことは無ぇのか?」  「まさか。川は四方が開けてるから、表から入るより目立つと思う」  「けど、可能性は――あれっ」 廊下の突き当りにあった扉に手をかけようとしたネフェルカプタハは、扉に取っ手がついていないことに気がついて、不思議そうな顔をしている。  「…裏口って、ここだよな? 取っ手が無ぇんだけど」  「その奥に、まだ廊下が続いているんだよ」 ホルアンクは、不機嫌そうな顔になっていた。  「セネブイの奴が契約した、期間貸しのお客用の部屋なんだ。奥の廊下に面した四部屋一括で借り上げた上に、どういうわけか、廊下に扉まで取り付けさせてさ。…裏口と桟橋も、その客専用のだったんだよ。」  「ん? ってことは、宿の人間も、この奥の部屋に入れねぇじゃんか」  「そうだよ。だから、何でそんな妙な契約したんだ、って怒ったんだよ」  「裏口に周ってみましょう。もしかしたら、そちらの部屋に何かあるかもしれない」 三人は、そろって裏口のほうへと周った。  裏から宿に入るには、裏口に取り付けられた専用の小さな船着き場に上がるしかないのだが、川の水位が下がっている今の時期は一苦労だ。這い上がるようにして桟橋の上に立ち、裏口の小さな扉に取り付けられた取っ手を引く。  「…ん、こっちも閉めてたはずなのに」 ホルアンクが、不思議そうな顔をして小さく呟いた。  「扉の封印が緩んでたんですか」  「うん。でも、まさかな…。」 扉を押し開くと、眼の前に、廊下の続きがあった。そして、他の廊下と同じく、四つでひと並びの小さな客室の連なりがある。 e8f1fdab-d053-4b31-89de-48082718eaa0  廊下に取り付けられた扉は、裏口から入れば取っ手がついていた。表から奥へは入れないのに、裏口から入った者は自由に出られる。  つまり、奥一列の客室には、表側からは宿の経営者でから自由に入ることが出来ず、誰がいつ寝泊まりしているのかさえ、正確に分からない状態だったということだ。  「気味が悪いでしょ。こんな契約、とっとと破棄しろって母さんにも言ったんだ。いくらセネブイを信頼してるにしてもさ、紹介元が役人でも…」  「…役人って、税関役人ですか?」  「そうだよ。」 今まで不機嫌そうだったホルアンクの表情が、さらに不機嫌になった。  「役人の知り合いだか何だかで、セネブイが取ってきた客なんだ。ここ数年は毎年、収穫季の始まる頃くらいから、増水季の終わりくらいまで期間貸ししてた。確かに長い期間だしさ、支払いは前払いだし、借りてる間は掃除とかしなくていいから商売としては楽だったんけど。それにしても…」 一年の十二ヶ月は、四ヶ月ごとに、川の水位の上がる増水季、作物の成長する成長期、収穫季と続く。収穫季の始めから増水期の終わりまでということは、一年の三分の二ほども一括で借りていたことになる。決して短くはない。  「宿っつーか、ほとんど下宿だなぁそれ。期間工とかの下宿。そういう使い方してたんじゃねぇのか」  「かもしれない。いつも同じ顔を見るって、母さんは言ってたから。でもさ、そのために父さんから受け継いだ宿を改装までするなんて。」  「まあ、何の相談もなしに決められたんなら、納得出来ねぇっつうのは分かる。」 言いながら、ネフェルカプタハは、手前の客室を開けた。  「…うへ、なんだこれ。何もねぇな。」  「え? そうかい? 他の宿に比べても、別に遜色はないと思うんだけど…」  「ってことは、盗られたものなんかは無くて、元々こういう状態なんですね」 人ひとり横たわればそれで一杯になりそうな狭い部屋に、寝床代わりの敷物。小さな窓。――それだけだ。役人の宿舎よりも殺風景だった。  実際のところ、一般庶民の家庭には、寝台などという贅沢なものは無い。壁と床のある部屋に、敷物と、枕の一つでもあれば宿としては成立する。  だが、チェティの家は父も兄も上級書記で、街に住む平民の中ではいい暮らしをしているほうだし、ネフェルカプタハは神官の家に生まれて、ずっとその環境しか知らない。  その二人にとっては、一般庶民の安宿は、馴染みのない世界なのだった。  「――まあ、これで宿として十分だっつうんなら、そこはいいか…問題は、ここを借りてた連中が、何に使っていたか、だ。」  「うん。何か商品の買い付けにしても、そんなに長いこと滞在するなんて妙だね。普通に、街中に仕入れ用の店でも構えたほうが、安上がりな気がする。ホルアンクさん、ここに泊まってた人たちって、頻繁に出かけたりしてたんですか?」  「詳しくは聞いてないけど、そうだと思う。何人かでやって来て、外出する時も誰か一人は留守番してたって話だ」  「そりゃ、扉の表側には取っ手が無ぇんだから、いちいち裏に回るか、中から開けてもらうしかないよな」  「見張りが残っていたんなら、何か、貴重な商品を扱っていた、とかかもしれない。船に乗せたままにしておくのさえ嫌がるような、客室に入れられるくらいの大きさの…」 言いながら、チェティは部屋を見て回った。  どの部屋も、きれいに片付けられていて、特に残されているようなものはない。  ホルアンクの話通り、ここを借りるのが収穫季の始めから増水季の終わりまでなのだとすると、最後に使われたのは三ヶ月も前になるはずだ。そのあと掃除をするか、別の客に貸していたのなら、何も痕跡が残るはずはない。  (だけど、何か…) 敷物をひっくり返した時、チェティは、ふと、端のほうからひらりと落ちてきた薄っぺらいものに気がついた。  拾い上げてみると、それは、何の変哲ない紙の切れ端だった。  紙は、川べりに生えるカヤツリグサから作るものだ。ただの枯れ草ならどこにでもあるが、草の繊維が縦横に組み合わされていれば、紙の一部だと分かる。  (何か、書き物をしてたのかもしれない。それとも、ここに泊まっていたのが商人なら、帳簿を持っていたのか) 他には何も、ごみのかけらさえ落ちてはいない。宿の女主人や番頭は、部屋をきちんと手入れする良い貸主ようだ。  「帳簿は、やっぱりここにも無い」 奥の四つの部屋を一通り見て回ったホルアンクは、がっかりした様子で肩を落とした。  「まあ、見つからなくて困るようなものでもないんだけど、直近の宿の経営状況も分からないのは、困ったなあ…。」  「宿を継ぐつもりなんですか?」 チェティが訊ねると、彼は、悲しげに頷いた。  「そうするしかないと思って。ここは父さんの建てた宿で、思い入れがあるんだよ。それにさ、先祖代々、ずっと続けてきた商売なんだ。妻にも話して、納得してもらうつもりだよ。この街は人が多すぎから落ち着かない、っていつも言ってるんだけど、なんとか慣れてもらうしかない」  「そっか。頑張れよ」  「だけど、それはそれとして、母さんのことだよ。」 最初の騒ぎの件が落ち着いて、ようやくこれで、本題に入れるのだ。  ホルアンクは、真顔になってチェティとネフェルカプタハを見やった。  家が荒らされていたというのは予想外の事態だったが、それについては巡回の州兵の調査を待つしかない。それより先に、ここへ来た本来の目的――心中事件のほうについて、情報を貰わなければ。
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

21人が本棚に入れています
本棚に追加