第9話 弓比べと武器工房

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第9話 弓比べと武器工房

 メンフィスの街は古くからある州都で、かつては首都だったほどの大都市だ。街は拡張に拡張を重ねて、幾つかの区画に分かれている。  大神殿があるのは中心街、役所関連の建物が集まっているのは北街のほう。チェティの実家は大神殿に近い中心街にあるが、寝泊まりしているのは役人宿舎のほうだから、普段から往復して暮らしていることになる。  その、仕事場のある北街へと戻ったチェティは、いつも勤めている役人詰め所を素通りして、兵舎のほうへ向かった。州役人の詰め所からは、通り一本先にある、近所の建物だ。  昼間に兵舎に残っている兵士は、非番か、訓練日の者くらいだ。ペンタウェレは、運良く今日も兵舎にいた。相変わらず訓練をしていたらしく、たっぷりと汗をかいている。  「おう、チェティ。ちょうどいいとこ来たな。昨日言ってた役人、それっぽい奴がいたぞ」  「えっ? ほんとですか」 さすが、ペンタウェレは調べるのが早い。こんな時は頼りになる。  「口ひげがあって、歓楽街にも良く出かけてる統括関連の役人。税関所長のインイだ。甥っ子のインハピが州軍統括にいるから、関連もしているな。お偉いさんだが、合ってるか」  「……。」  「ん、どうした」  「いえ、…税関役人なんですか。それも、所長ってことは、責任者ですよね?」  「そうだな」 まさか、ここで税関役人が出てくるとは思ってもみなかった。事件を心中として処理させるため、調査完了の記録をメニに依頼したのが、怪しい怪しいと言われ続けていた税関役人ーーそれも、税関の所長だったとは。  あまりにも出来すぎた情報に、本当だろうかと疑ってしまう。  だが、もしも本当にメニに指示を出したのがインイなら、州軍づきの書記ですらない。明らかに越権行為だし、どう考えても不適切な指示だ。何もやましい意図がなかったとは、到底思えない。  弟の表情に気づいて、ペンタウェレも、何か察したようだった。  「おい、マズいのか。また、何か危ないことに足つっこんでんじゃないだろうな」  「危ないですよ。だから、どうしようかと思って。…殺人事件なんです」  「洗いざらい話せ」 ペンタウェレは、真顔になっていた。  「また、攫われたお前を取り戻しに行くのは生きた心地がしない。危ないんなら、オレも手伝ってやるからさ」  「分かってますよ。」 チェティは、思わず微笑んだ。危ないことは止めろ、とは言わず、手伝うと言ってくれる。  もちろん、次兄ならそう言うだろうと思っていたのだが、期待どおりの回答が嬉しかったのだ。  彼は、改めて兄に、これまでの経緯を説明した。  大神殿に持ち込まれた訴訟――と言うより、陳情のこと。  心中として処理された男女の遺体だが、女性のほうの息子、ホルアンクは、母は決して心中などするはずがない、と言い張っていたこと。調べてみると、確かに心中するような動機はない。  しかも、目撃情報からして二人の死亡時期は違う。そればかりか、女性のほうは、どうやら当初思われていた人物ではなく、身元が偽られているらしいこと。詳細に調べれば、すぐに気付けたはずの事実にも関わらず、役所では、ほとんど何の調査もせず、心中として処理されている。  そして、大神殿に陳情を持ち込んだホルアンクの家は、何者かによって荒らされ、帳簿が消えていた――。  聞き終えたペンタウェレは、しばらく考え込んだあと、ぼそりと呟いた。  「つまり、最低でも二人殺した連中が、まだ、どっかに野放しになってるってわけだな」  「はい。それに、税関所長が関わってるかもしれないって聞いて、宿の奥を借りてたお客の正体が、この件に関係しているような気がしてきました。」  「だろうな。話を聞く限り、オレもその謎の客が怪しいと思う。ただ、もし税関所長がこの件に関係してるんだとしたら、よっぽどの証拠が無きゃ追い込むのは無理だぞ。」  「上級役人ですもんね」  「それだけじゃない。インイの甥っ子が州軍統括に居る、って話をしただろ? もし、そいつが死体発見の連絡を受けて調査に関わってたんなら、都合の悪い証拠なんざ、とっくに消されてる。それに、ヘタすりゃ再調査も、その空き巣の話も、握りつぶされるぞ」  「あ、……そうか」 事件や訴えがあった際に、州兵たちに調査の指示を出すのは、州軍統括なのだと父は言っていた。怪しむべき人物の身内が、その、統括にいる。  チェティの表情が、暗くなってゆく。  「つまり、今回の件を心中ってことにして早々に処理したのも…?」  「あんまり人を疑いたくはないが、税関所長の甥のインハピが、裏から手を回したか、直接関わってた可能性は、あるな」  「……。」 だとしたら、あまりにも、あからさますぎる不正だった。  (殺人事件の隠蔽じゃないか。こんなこと、許されない) チェティは、役人になりたてだった頃、初めて関わることになった事件を思い出していた。  その時も、不実な権力者の身勝手で、真実も明らかにされないまま、事件は勝手に終わったことにされようとしていたのだ。地位も肩書も無い者には、抗うすべは何もない。  「あー…その、なんだ。」 弟の表情を、じっと見つめていたペンタウェレは、突然、口調を変えてニッと笑った。  「まあ、その話はいったん脇に置いとくとして、だ。ちょうどいいところに来たんだ、オレの弓比べに付き合えよ」  「え?! な、何ですか、いきなり? 今、それどころじゃ――」  「何だよ。オレに頼み事して、タダ働きだけさせて帰ろうってか? そいつはいかんな。貸しは返してもらう」 言いながら、彼は小柄なチェティの体を、いとも簡単に、ひょいと片手で抱えあげる。  「わっ、ちょ、兄さん! 下ろしてってば!」  「はっはっは」 訓練していた兵士たちが、何事かと振り返っている。見覚えのあるペンタウェレの部下たちもいて、こちらを見ながら苦笑いしている。  「隊長、また弟さんを虐めてるんっすか?」  「虐めてねぇよ。こいつは頭がいいから、何か思いつくだろうって頭を借りてきただけだ。」  「頭を借りるのに、体ごと持って来るとは流石ですね」 他の兵士たちもつられて笑った。暴れても逃げられないので、チェティは、諦めたようにぐったりしている。  「…で、何なんですか。弓比べ、って」  「実はな。二種類の弓の違いを確認していたんだ」 弓を訓練する射的場までやって来たところで、ペンタウェレはチェティを下ろし、立てかけてあった二つの弓を持ってきた。  片方は、他の兵士たちも訓練に使っている、よくある形をした弓だ。もう一方は、昨日、ペンタウェレが持っていた、こぶのような山なりの瘤が二つ付いている、あまり見かけない形の弓。曲がり具合が違っている。  「これが…どう違うんですか?」  「まぁ、見てろって」 言いながら、ペンタウェレは、有り触れほうの弓を取り上げて、慣れた手つきで矢を番えた。  思い切り湯を引き絞り、手を離す。弓弦が音を立て、矢は、弧を描くようにして的の真ん中に突き刺さった。  「わあ、凄い。流石ですね」  「今の感じ、覚えててくれよな。次だ」 今度は、もう一つの変わった形の弓のほうを手にとって、再び、矢をつがえる。  同じようにして放たれた矢は、さっきより少し甲高い音を立てて、的の真ん中に突き立った。  命中したこと自体は同じだ。ただ、…刺さるまでの速度と、刺さった時の深さが、違っている。  「どうだ。違いが分かるか」  「うーん…刺さった感じ、二回目のほうが矢の威力が高そうですね。音からして、たぶん、矢の速度が違います」  「だろう?」 ペンタウェレは、ほっとしたような顔になった。  「そうなんだよ。どう考えても、こっちの弓のほうが良い弓なんだよ。ちょいと扱いづらいんだが、使えれば、絶対こっちのほうがいい」  「その弓、一体どこから持ってきたんですか。街の工房の新作とかですか?」  「いいや、拾い物だ。こないだの行方不明になった遠征隊の件、お前を攫った異国人の用心棒と戦った時に、そいつが落としていったのを拝借したんだ」  「へえ…ってことは、アジア人(アアム)の弓なんですね」  「多分、な」 言いながら、ペンタウェレは、微妙な表情で手元の弓を見下ろした。  「けど、あの連中の弓のほうが性能がいい、なんつぅのを認めるのは癪だな。なんか悔しい」  「今のうちに気づけて良かったじゃないですか。どうせなら、どこが優れてるのか確かめて、真似すればいいんじゃないですか?」  「お前なぁ。簡単に言うけど――」  「街の工房に行って、分解して見てもらいませんか。兄さんたちは、これから、その異国人と戦うことになるかもしれないんでしょ? 同じものが作れたら、有利にことが運びますよね」  「…まぁ、な」 ため息をついて、ペンタウェレは頭をかいた。  「確かに、癪だの悔しいだの言ってる場合じゃねぇな。お前の言うとおりだ。それに、連中だって、全員がこんな良いものを持ってるとは限らないし」  「問題が解決したんなら、良かったです」 チェティは、あっけらかんとしたものだ。  「よし。――ちょっと、武器工房まで行くとするか。チェティ、お前も一緒に来い」  「え?! まだ付き合うんですか」  「乗りかかった船だろ。助言くれよ」  「武器のことなんて、分からないですよ。役に立つとは思えないんですけど…。」 弓を抱え、弟を引きずるようにして訓練場を出ていくペンタウェレの姿を、その場にいた兵士たちは、あっけにとられて眺めていた。  それに、隣の建物にいた人々も。  兵舎を出たところで、ペンタウェレはチェティから手を離し、ぼそりと囁いた。  「あの訓練場の隣にあった建物が、州軍統括の事務所があるとこだ。」  「…え?」  「さっき話したインハピも、普段はそこにいる。お前がオレの身内だってことは、あれで伝わっただろ」 はっとして、チェティは隣の兄を見上げた。  「…もしかして、ぼくが危ない目に合わないよう、わざと?」  「念の為、だ。お前がオレの身内だってことを刷り込んでおいた。まあ、警告ってのは、相手に意味を理解する知性があって初めて意味をなす。相手がバカなら意味はない」 二人は、並んで職人街のあるメンフィスの街の中心街に向かって歩き出す。  「とはいえ、この弓の件が気になってて、誰かに意見を貰いたかったのは事実だよ。”白い城壁”がほぼ完成した、って話は、聞いてるか?」  「うん」 ”白い城壁”――メンフィスの別名であり、象徴でもあるそれを、古来の場所に作り直そうという計画は、半年ほど前から進行していた。  その壁は、街の周囲を取り囲んでいる城壁とは別に、街の北方、下流の州との中間に、川を行き来する船を見張るような形で建設された。下流州が王に離反した影響で、街の防御を固める必要が出てきたからだ。  「あの壁には、オレたち治安維持部隊が常駐することに決まった。つまり、もしアジア人(アアム)の傭兵を囲い込んだ下流州の”王の僭称者”が攻め上ってくるとしたら、真っ先に交戦するのは、オレたちの部隊なんだ」  「……。」  「嫌だろ? そん時に、射程の違う弓のせいで負けたりしたら」  「それ以前に、ぼくは、兄さんが怪我したり死んだりするのが怖いですよ」  「んー、まあ。オレは槍とかでも戦えるしなあ」  「強いのは知ってますけど。それでも」 ペンタウェレは微笑んで、弟の頭をくしゃっと撫で回した。  「ありがとな。まともに心配してくれるのなんて、お前と母さんくらいだよ」 笑いながら、ペンタウェレは話を進める。  「ってなわけで、今のうちに、出来ることはやっておきたいんだよ。あと、…そう。あの城壁は、陸路用の税関にもなる」   「え? 陸路?」  「下流の第二州との物流を見張れ、ってお達しなんだよ。陸路なんて、大した量は送れない。普通ならそんなに気にすることもないんだが、ほら。こないだ、オアシス(ウェハト)からの遠征隊がちょろまかした荷物を、ロバ使って陸路でメンフィスに持ち込んだ事件があっただろう」  「あっ…はい。王の印を捏造して、王の僭称者が王家の資材を掠め取った…」  「あれ以来、州境界を越える荷物は、一定量以上なら差し止めること、ってのが州議会で決まったらしい。特に、戦略物資はほとんど輸出が出来ない。たとえば軍事利用の出来る革、金属、それと穀物や布類も、税関の許可を得なければ運び出せないんだ。つまり城壁には、オレら以外にも、税関の役人が常駐することになるんだよな」  「…えーっと、…良いことなんですか? 悪いことなんですか?」  「向こうにとっちゃ、やりづらいだろうな。オレらは執政官どのの直下で誰の息もかかってないし、税関の連中が賄賂を要求できるほどの交通量も無い。」  「おまけに、隊長は読み書きも計算も出来るから、帳簿の誤魔化しにすぐ気づく?」  「そういうことだ」 にっと笑ったあと、ペンタウェレは、すぐに真顔に戻る。  「で、陸路の検問が強化されるのと同時に、水路のほうも制度が変わって、幾つか見直しが入るって話を聞いた。それが、気になっていてな。事件が起きたのは、税関の近くの宿なんだろ? しかも、税関役人の息のかかった客が長逗留してたって話だし」  「…そういえば、確か父さんも、下流から入ってくる品が高騰してるとか、税関が大変になるとか、言ってましたね」 セジェムはいつも、人よりもずっと先のことが見えていて、関係のないことは口にしないのだ。きっと何か、手がかりになるようなことを言ってくれたはずなのだが、今のところ、物流の変化が、何にどう関与するのかが分からない。  「つまり今は、下流の州との取引が、ほとんど停止しているはずだってことさ。入ってくるものも、出ていくものも減っている。メンフィスじゃあ、下流から入って来るはずだった紙や木材なんかが高騰してるが、向こうじゃ、メンフィスから送られるはずだった皮や金属製品が高騰してるはずだ。商売人なら、何とかして迂回路を見つけようとするかもしれん」  「でも、その規制が機能するかどうかは、税関職員がきちんと働くかどうかにかかってますよね? 税関所長のインイが何か不正な関わっているんだとすれば、検閲がザル、なんてことは…。」  「さすがに、そんな分かりやすい不正をやらかしたらバレるだろう。中央政府から正式に逆賊扱いされてる連中に物資を横流しでもしてみろ。バレた時点で一発で免職、極刑確定だ。税関の連中の悪事ってのは、もっとこう、しょうもないというか、ショボいというか…これ見よがしに賄賂を要求するとか、飲み代をたかるとか、そういう小物っぽいやつなんだよな」  「へえ…。」 自分が噂に疎いだけなのか、それとも、ペンタウェレが耳ざといだけなのか。チェティの同僚たちだけでなく、ペンタウェレでもそのくらいは知っているのだ。  同僚たちの、倉庫街での副業の話もそうだったが、もしかしたら、真面目に自分のいつもの仕事だけやっているのでは、世の中のことは見えてこないのかもしれない。チェティは今更のように、そんなことを思い始めていた。  「ま、そんなわけで、あの連中が二人も殺すとはオレも思えないんだよなあ。ただ、税関連中と関係があるかどうかはともかく、殺人犯がまだ、そのへんウロついてるのは確かなんだ。あんまり一人で突っ込みすぎるなよ。無理して危ない水路を泳いで渡る必要は無いんだ。待ってれば、渡し船が通りかかるかもしれないんだからな」  「分かってます」 話しているうちに、いつの間にか中心街を通り過ぎ、郊外に近い、職人街のいちばん外れの通りまで来ていた。  この辺りは、大量に水を使うような工房が多く、川に突き出すようにして作られた区画だ。革製品の工房もその一つで、皮なめしの処理に水を使う。  なめしの液は、かなり強い匂いが出る。濃度の違う漬け込み液を入れた壺を幾つも並べておかなくてはならないから、通りのいちばん端、川に向かって風吹き抜けていく場所に工房があるのだ。離れて立っている今ですら、鼻の奥が痛いような、まともに嗅いでいられない刺激臭が漂っている。  「兄さん、どうして革職人なんですか? 調べてもらうのは木製の弓なのに」 てっきり、木工のほうに行くと思っていたのだ。  「分かってないなぁ、チェティ。こういう弓は、木材に縛り付けてある皮と、動物の腱が肝なんだ。たぶん、木の部分はそんなに複雑じゃない。なもんで、先に革製品の工房のほうに聞いておきたくてな。もし見当がつかなくても、うちの部隊に装備を卸してる武器工房でもあるんだし、相談くらい乗ってくれるだろ」  「州兵の装備って、鎧とか、すね当てとかですよね。」  「そう。あれ、全部、なめし革を縫い合わせてるからな。ほら、ちょうどいまも、なめし工房の横で作ってるだろ? 行軍用の丈夫な履物も、ここの皮なんだぜ」  「なるほど。そうなんですね」  「てなわけで…おーい、親方。邪魔するぜ」 ペンタウェレは、気さくな様子で工房の指揮をとっていた年配の男に声を掛ける。  髪の毛の全くない、つるりとした頭に手ぬぐいを巻いた浅黒い肌の男だ。指の皮は、長年のなめし作業で色がついて分厚くなり、まるで、手全体がゴツゴツした岩のように節くれだっている。  熟練職人の手だ。  職人街には、こんな風に、就いている職業に特化した手を持つ職人たちが多い。  「なんでえ、外回りの隊長さんじゃねぇですかい。今日はまた、どうされました」  「面白いもんを拾ってさ。アジア人(アアム)の傭兵から召し上げた弓なんだが、なかなか具合がいいんで、量産出来ないかと見せに来たんだ」  「ほう? 異国人の。どれ…」 ペンタウェレから弓を受け取った男の眼差しが、瞬時に鋭くなった。  「こいつは…何種類かの木を張り合わせて、皮で縛ってありますな。しなり具合が良い。ふうむ…」  「そいつだと、今ある弓より矢が早く飛ばせるんだ。どうだい? 仕組みは分かりそうか」  「まあ、基本的なところは。使っている木材の種類がはっきりしてるんで、そいつらを揃えれば、似たものは作れるでしょうな。ただ、すぐにとは」  「ああ、急ぎじゃないんだ。しばらく、そいつを預けとくから、好きに調べてくれないか。で、――」 ペンタウェレの目が、意味深に光る。  「もし量産できるなら、うちの部隊でまとめて発注したいんだよ。で、実戦で使って評判を広めりゃあ、あんたんとこも損はしないだろう?」  「む…。」 親方も、意図を理解したように口の端を吊り上げる。意味深な目つきだ。  「そのお話、他所には持ち込まれてないんでしょうな」  「当たり前だ。元になる弓は、それ(ひと)つっきりなんだぜ。他の連中が似たようなこと考えてるんじゃなきゃ、親方んとこが最初だよ」  「なら、その話、乗らせてもらいましょう。いやあ、隊長さんのお陰で助かりますよ。このところ、下流への輸出が止まって、うちの工房も大打撃ですからね」  「あー、例の、戦略物資の輸出規制の件だな。そんなに困ってるのかい?」 いつの間にやら弓の話は終わり、二人の会話は、世間話に移っていた。  「うちは州軍が大口のお客さんですから、まだマシですがね。隣の工房なんざ、在庫が積み上がってますよ。下流の貴族に卸す予定だった、なめし革が数百枚。このまま倉庫で腐らせるわけにもいかんでしょ。上等な皮だってのに、泣く泣く、(いち)で安く売ったとか」  「税関の連中、真面目に仕事してんだなぁ。」  「さすがに今回ばかりは。賄賂を貰って逆賊に物資を流した、なんて噂でも流れようものなら、政府軍のほうが乗り込んで来て、税関役人は縛り首ですよ。恐ろしい、恐ろしい」  「だよなぁ」 あまり愉快な話でもないのに、二人は笑いながら、親しげに話している。遠目に見れば、商売の話で盛り上がっているだけにしか見えないだろう。  「そういやあ、税関の連中は、この辺りの工房にも賄賂を要求するのか? 倉庫街でも宿場通りじゃ、ひどい嫌われようでさ。物資の横流しは流石にやらないにしても、何かちょっかい出して来たりは、してないのかい」  「まあ、多少はありますよ。最近じゃあ、商品の送り先の確認がやたらと厳しくなりましてね。州内の別の街の工房や、他の州に送るのは問題ないはずなのに、行き先の確認がやたら細かくて、許可が貰えるまでにずいぶん時間がかかって。…その。」  「ああー分かる。心付けにビールの一杯でも振る舞えば、途端に仕事が早くなるっていうやつだな」  「そうです、そうです。」 親方は、口元だけは笑っているが、目は全く笑っていない。どうやら税関役人は、ここでも嫌われているようだった。  後ろで黙って聞いているチェティにも、ペンタウェレが、敢えて情報を聞き出して教えてくれているのだと気がついた。そう、…税関の役人たちは、ここでも賄賂を要求している。  「あんなに方方(ほうぼう)でやりたい放題して、どうして野放しなんでしょうねえ。」  「ま、そこは分からんが…港のほうにいる役人と、ここらの工房を管理してる役人ってのは、別なんだろ? 税関の役人も、仲間がやってるんなら自分も甘い汁が吸いたい、って思うのは人のさがだ。船着き場にいる奴だけお得な思いしてたら、ずるいってなるだろう」  「そりゃ、そうですけどね…」 男は、ちょっと肩をすくめて、ぼやいた。  「こういうときに割を食うのは、いっつも、わしら庶民なんだ。」 それは、確かにその通りなのだった。
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