夢中歌

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「そう言えばね。ほら、こういう事ってよくありません?」  カウンターの右端に陣取った桐嶋が、話題を変えた。  時刻は22時を少し過ぎたころだが、鳥飼のバーとしては、まだ宵の口と言ってもいいくらいの時間だった。今日は馴染みの深い常連客はまだ一人も来店しておらず、この店はまだ二、三回目ぐらいの桐嶋と、あとはもう一人、やはり同じくらいの来店歴の、四方田と名乗る客の二名だけだった。 「こういう事、と言いますと?」 「歌のタイトルがどうしても思い出せないことってありません?クラシックでもロックでもポップスでもなんでもいいんですけど、自分は勿論、みんなが知っている筈の超有名な曲が、頭の中でメロディなり、場合によっては、歌詞まで再生できてるんだけど、どうしてもタイトルが出てこないってやつ。たまにありますよね?」 「ああ、ありますねえ、私もしょっちゅうですよ。この年になると、ど忘れがひどくってね」  カウンターの真ん中あたりに座っている四方田が笑いながら頷く。 「ああ、良かった。私だけじゃなかったんだ、えへへ。本当、中年過ぎると駄目ですよね。実際、このくらいの年になると、そういう経験する人って多いと思うんですよね。まあ、音楽関係のお仕事されてる人とかは、流石に少ないんでしょうけど、我々みたいな一般視聴者は、結構あると思うんです。あれってどうにも気持ち悪いですよねえ。そもそも気に入った曲で、それこそ歌詞まで覚えるくらい好きな曲なのに、どうしても思い出せない。多くの場合は、所謂”ど忘れ”ってやつで、暫くすると、ふっと思い出すんですけど、それが出てくるまでの間は、本当に気持ち悪くてイライラしますよね。そういう時って、大体、作曲者なり歌い手なり、関連するアーティストの名前まで思い出せれば、そこからはすぐに思い出せることが多いんですけど、私の場合、悪くすると、アーティストの名前も出てこないこともあります。あるいは、有名な曲であればあるほど、色んな人がカバーしてることも多いから、名前がわかっても、結局、よくわからなくなってしまうこともありますしね」 「なるほどですね。それは確かに私もあるあるですね」  カウンターの中で頷きながら、鳥飼はさりげなく四方田のグラスに目をやった。まだ、お代わりには早そうだ。 「それでですね。また、ちょっと話変わるんですけど、実はですね。私、最近変な夢を見るようになったんです」  桐嶋が妙に改まった顔つきをしてみせた。 「変な夢、ですか?」  四方田が訝し気に桐嶋の顔を見る。 「ええ、実はここのところ、同じ夢をよく見るんです。正直、あまり愉快なお話しではなくて申し訳ないんですが、もう、誰かに聞いてもらいたくて……あの、もし、良かったら、今お話ししてもよろしいでしょうか」  少々切羽詰まった様子の桐嶋の話しぶりに、鳥飼は何となく「どんなお話しですか?」と聞いてしまった。四方田も黙って軽く頷いている。 「有難うございます。まず、夢の中で、私は薄暗い部屋の中にいるんです。窓の無い、空気も何となくじめっとした感じの空間で、何となく地下室みたいな所かもしれないと思いました。 「しばらくすると、向こうの方から、何やら鼻歌のような声が聞こえてきました。私も良く知っている、誰もが知っている有名な曲なんですが、何故かそのタイトルは思い出せません。そうこうしているうちに、一人の異様な人間が、闇の中から現れました。異様と言ったのは、その人物はフルフェイス型のマスクをしていたからです。体格的には、多分男と思われるその人物の口からは、例の曲が漏れ出てきています。要は、その男が口ずさんでいるわけです。 「なおも見ていると、その男は、その歌を口ずさみながら、おもむろに何かを取り出しました。よく見ると、一丁のノコギリなんです。大工さんが材木を挽き切る時に使うような、両刃の立派なやつでした。そして、そのまま男は私の視野の右の方に移動するんです。つられて視線を動かすと、とんでも無いものが私の目に飛び込んできました。 「そこには、一人の全裸の男が、テーブルの上に縛り付けられていたのです。 身体のたるみ具合から、年は中年、40~50代くらいでしょうか、なまっちろい肌の色で、いかにも運動不足な生活を送ってそうな感じでした。白い布で目隠しされ、口のあたりには猿轡が厳重にはめられているので、顔の様子は殆どわかりません。 「そして、ノコギリを持った男は……その……すいません、グロい話になってしまうのですが、つまり、その縛られている男の胴体に刃を当てると……そうなんです。いきなりノコギリを動かし始めました。たちまちのうちに刃は縛られた男の胴体に容赦なく食い込んでいきます。すぐに大量の鮮血が吹き出し、ノコギリ男の顔面にも飛び散ってマスクは瞬く間に真っ赤に染まります。犠牲者の口から発せられる、猿轡が全く意味をなさないくらいの絶叫が直接私の耳に飛び込んできて、気が狂いそうになります。そうしている間も、ノコギリ男は、例の歌を楽し気に口ずさみながら、生きた人間の肉体を次々に切断していくわけです。ノコギリが人体を切り刻むゴリゴリ、ザシュザシュという音、断末魔のあげる叫び声、そしてノコギリ男の能天気な歌声。もう地獄の三重奏ともいうべき音声に囲まれた私が、自ら悲鳴をあげると、そこで目が覚めるんです」  一息ついた桐嶋は、さりげなく鳥飼をお代わりを用意しておいた水割りを一気に飲み干した。 「それはまた……何とも、キツイ夢ですね」  四方田が重苦しい顔で言葉をかけた。 「不愉快なお話しですみません。でも、誰かに聞いてもらいたくて」 「ええ、そういうお話しは誰かに聞いてもらうと少し楽になりますよね。ところで、ノコギリと言えば、最近、この界隈でバラバラ殺人事件が続いてますよね」  桐嶋の額には、冷や汗が浮かんでいた。その目の前のおしぼりを、静かに取り換えながら、鳥飼が言った。 「そうですよね。ここ半年くらいの間に二件、Y町のゴミ捨て場で中年男性、T町の公衆トイレで若い女性、各々バラバラに切断された死体が発見されてますよね。犯人はまだ捕まってないし」  四方田が恐ろし気に眉を顰める。 「桐嶋さんの夢も、この事件の報道が、頭のどこかに残ってて、無意識のうちに、イメージが作られてしまったんじゃないですか?」 「うーん、確かにそういう可能性はありそうですよねえ」 「あるいは、未来の話とか?」  四方田が新しい見方を披歴した。 「予知夢ってやつですか?」 「ええ。あの犯人、まだ捕まってないんですよね。これからもまだ犠牲者が出るかもしれない。本当に未来を予知してるとまで言ってしまえば、流石に現実的じゃないでしょうが、例えば、今後も自分の近くでそういう事件が起きるかもしれない、という桐嶋さんの不安や恐怖がそういう夢を見せているのかも」 「なるほどね。いや、実は確かに私自身、幼い頃から、何回か予知夢めいたものを見たことはあるんです。勿論、私にはそういう類の能力は無いので、はっきりとしたものではなく、後から思えばそういうことだったのか、みたいな、漠然としたやつですけどね。でも、それにしても、あの歌はどういう関係があるのかな」 「とにかく、その歌は犯人のお気に入りで、いつも口ずさんでいる、特に”お楽しみ”の最中はノリノリで歌っているということみたいですね」  鳥飼が確認する。 「そういうことみたいですね。やはり」 「思い出した!」  四方田が何か言いかけた時、桐嶋が大声をあげた。 「思い出しました!○○っていうグループの『See You』って曲でした。そう、『See You』ですよ。ああ、良かった。これですっきりした」  桐嶋が、興奮気味に頬を紅潮させている。 「思い出せてよかったですね」  鳥飼が笑顔で頷く。 「ああ、あれも有名な曲ですよね。それにしても『See You』とか歌いながら、生きた人を切り刻んでいくって、凄いブラックなセンスですよね」  四方田が顔を顰めて見せる。 「確かにそうですね。ああ、それにしても良かった。何で今までずっと思い出せなかったんだろう。まあ、いいや。今日は気分のいいうちに退散します。すいません、お勘定お願いします」 「かしこまりました」 「じゃあ、私もぼちぼち失礼します」  鳥飼が精算を始めると、四方田も腰を浮かせた。一旦無人になったカウンターだが、日付を跨ぐと、またポツポツと古い常連が集まり始めた。  それから約一月後。  まだ開店間もない時間、四方田がふらりと現れた。今晩初めての客だ。 「今晩は、四方田さん。お久しぶりですね」 「ええ、ちょっとここのところ忙しくて、間が空いてしまいました。もう少し顔出したかったんですが」 「いえ、とんでもないです。お越し頂けるだけで嬉しいです」  四方田の頼んだオンザロックのグラスが、静かにカウンターに置かれた。 「この間お見えになった時は、そうだ、桐嶋さんがいらしたんですよね。覚えておられますか?桐嶋さん」 「ええ。覚えてますよ。よく来られるんですか?」 「そう言えば、ここのところ、お見えになってないですね。もう一月くらいになりますか」 「お元気にされてるんでしょうか。また是非お会いしたいんですけどね」 「ええ。今度見えたらお伝えしておきます。そうそう、前にお見えになった時、変な夢の話をされてましたよね」 「予知夢がどうのこうのとか言って、夜寝られないような話もされてましたけど、ひょっとして体調でも崩されたんですかね」 「うーん、そうでなければいいんですが。そう言えば、○○の『See You』って歌の話をしてましたね。実は、あの時黙ってましたけど、私本当は○○の歌は良く知らないんです。音楽はジャズやクラシックが好きでして」 「ああ、『See You』の話してましたね。こんな歌ですよ」  頼みもしないのに、四方田がその歌を口ずさみ始めた。ウイスキーの酔いに任せて、ご機嫌な笑みを浮かべながら、いつまでも楽し気に歌い続けていた。 [了]
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