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庭ではミズキがスコップを持って、土をザクザク掘りかえしている。
砂利まじりの土をうず高く積んで山形に整えていた。ミズキの頭の中に理想のかたちがあるのだろう。いろんな角度からその山を見ては、また土を盛って何かを一生懸命作っている。さながら現場監督のようだ。
シュトラウスはミズキが施工する庭の土木工事を微笑ましく眺めていた。
シュトラウスとハイネは家族ぐるみの付き合いみたいなものなので、訪ねるときはいつも庭に入ってリビングのガラスを叩いて来訪を告げていた。
今日もミズキのために美味しい果物を持ってきたのだが、ふと漏れ聞こえた夫婦の会話が耳に入ってしまった。
会話の内容はわからないが、聞こえてくるのは主にハイネの声。何の話かは知らないが、とても切羽詰まっているようだった。
(妻と夫婦喧嘩とは珍しいな)
ハイネが大声を上げるところなど見たことがないというか、そもそも彼が大声を上げるところが想像できない。
家の中ではいつもエリカとミズキに優しく接して、良き夫であり、父親だ。
多少子供っぽいところはあるが、性格は大変穏やかな男だ。妻に対して感情をむき出しにすることがあるのかと、意外な一面にシュトラウスは妙に感心していた。
「おじさん、こんにちは」
「ミズキ、こんにちは。ご挨拶ができるようになったのか、偉いな」
「えへへ」
足元ではスコップを手に、ほっぺに土汚れをつけたミズキがニコッと笑っている。
ミズキには少し人見知りがあって、ついこの間まではシュトラウスを見ると、さーっと家の中に逃げていた。だが成長したのか、それともやっとシュトラウスの顔を覚えたか、人見知りは少し落ち着いたようだ。
幼子に拒否されなくなって、シュトラウスは少しホッとする。いい歳の大人になっても、子供に、とりわけ自分が名前をつけた子に嫌われるのはやはりどこか辛いシュトラウスだ。
「ミズキ、今日は砂で何を作ってるんだ?」
「トンネルなの」
土の山をスコップでぺんぺんと叩いて固めていたが、突然ミズキはスコップをぽいっと放り出した。そのまま「よいしょ」と立ち上がると、シュトラウスに両手を伸ばした。
「おじさん、だっこ」
「だっこ? ミズキ、君はもうすぐ5歳になるんだろ。抱っこは小さい子がするものだぞ」
「だってさむいんだもん」
ディスタンシアの冬は容赦ない。見ればミズキは鼻水を垂らして、少し震えている。シャツとセーターくらいでは冬の冷気に勝てず、本当に寒そうだった。
ただでさえ体の弱い子だ。こんな状態ではまた近いうちに熱を出してしまうに違いない。
「仕方ない。どれ」
小さな体はとても軽い。抱き上げて全身が冷え切っているのがわかる。
「これではいかん。ミズキ、一旦下ろすぞ」
「だっこおわりなの?」
「違う。寒いんだろ。ちょっと待っていろ」
「うん……」
抱っこしてもらえなくて泣きそうな顔のミズキに、シュトラウスは自分が羽織っていたフードのついた白いウールのカーディガンを脱いでミズキに着せ、また抱き上げた。
「あったかいだろう?」
「うん!」
フードもかぶってカーディガンにくるまったミズキは、まるで白いもふもふした子犬のようだ。先ほどまでの泣きそうな顔はどこへやら、満面の笑みでシュトラウスに抱きついてくる。
「おじさんのおようふく、パパみたいないいにおいであったかいね。ぼく、もうさむくないよ!」
「そうか」
ミズキが喜んでくれれば、シュトラウスも嬉しい。
「ぼく、おじさんだいすき! おじさんはあったかいし、ぼくにだっことか、いろいろしてくれるもん!」
きゃっきゃっとはしゃぐミズキに「暴れると落ちてしまうぞ」と軽く嗜める。
いろいろしてくれるという言葉から、ハイネが「おじさんはミズキにおやつを持ってきてくれてるのだから、ちゃんとお礼を言いなさい」とミズキに言い含めているのだろうか。「ありがとう」ではないが、シュトラウスのしたことに、子供らしい無邪気さで喜んで返してくれるのはとても嬉しいことだ。
そんなミズキをよそに、シュトラウスには腑に落ちないことがあった。
家には常にエリカがいるはずで、彼女はミズキのことに関してとりわけ敏感を通り越し、過敏ですらある。
過保護ではないが、常に自分の目の届く範囲にミズキがいないと落ち着かないという感じなのだ。
母親とはそんなものかと思ったが、ミズキはもう4歳だ。ある程度は親の言いつけも理解できるし、ちょっと姿が見えないからと狭い家の中で血眼になってミズキの姿を探しているのを見ると、どうしてそこまで執着するのか、なにやら違和感しかない。
その割にはミズキの様子から、かなり長い時間、外にほったらかしにしているようにも見える。
「ミズキ、寒いならおうちに入ればいいじゃないか。どうして外にいるんだ」
「パパとママはだいじなおはなしがあるから、おそとにいなさいって」
「ふうん……」
ミズキはカーディガンから小さな手を出して、指先に息をふうふう吹きかけている。よほど寒かったのだろう。
だが親の言いつけを守って、様子伺いにも行かず、家に入る許可が出るのを待ってじっと寒空の下でひとりで遊んでいる。
健気と言えば健気だが、ぶるぶる震えてすっかり鼻たれ小僧になっているのはかわいそうですらある。
夫婦で何の話を長々しているのか。
いくら大人の大事な話をしているからと、ミズキを外に出したまま、様子を見に来てる風もないなんて……。
(さては……新兵器の話か?)
昨夜のハイネは苦悩を抱えて、それをシュトラウスにぶつけてきた。苦悩の核心は何も言わなかったが、おそらく碌なことではない。
左手に紙袋、右手にミズキを抱っこしたまま、シュトラウスはいつも通り、リビングのガラス戸に近寄った。
ミズキと紙袋をエリカに渡したら、すぐに帰ろう。
夫婦であるなら、ハイネだって悩みも相談しやすいし、今まさにその時間を設けているのだろう。そこに自分が入る余地はない。
シュトラウスが声をかけようとして、ガラスをノックしようとした時、室内から聞こえたエリカらしき声にその手が止まった。
ーー私たちは工作員。祖国も敵国も裏切ったなら、どこへ逃げても安住の地なんかないーー
間違いない。これはエリカの声だ。
工作員? 私「たち」?
何か聞き間違えたのだろうか。シュトラウスは窓のそばでじっと中の会話に耳を研ぎ澄ます。
「おじさん、おうちにはいらないの?」
「すまんミズキ、ちょっと静かにしててくれ」
「うん……」
ミズキはカーディガンにくるまったまま、シュトラウスの首に抱きついてじっとしている。カーディガンで首の辺りまですっぽりくるまれ、程よく体が温まってきたのと遊び疲れで、ミズキは眠そうに目をこすって小さなあくびをしている。
ーー私たちは爆薬を抱いて、クラリスへ行くーー
(どういうことだ?)
工作員? ハイネとエリカが? そして爆薬を抱いてクラリスへ行く?
ーー私たちが指定の場所へついたら、あなたが起爆信号を出して。私はミズキとともに死ぬわーー
(ハイネは……クリスタライズとやらを、妻と息子で試す気なのか!?)
その言葉に思わずギョッとして、自分の腕に抱かれてうとうとし始めているミズキを見る。
両親の国の血を片目にそれぞれ引いた異色虹彩を持つ、ハイネによく似た可愛い息子。平和を結んだハナミズキの花から名前をとって、ミズキとつけたのはシュトラウス自身だ。
ハイネとエリカの子供なのに、名前を決めてしまって申し訳ないと思ったが、二人ともこの名前を気に入ってくれた。
シュトラウス自身はハイネへの恋情を、ハイネの家族を守るための力に変えることにした。
ハイネ一家が幸せになるのなら、自分は黒子でいい。なんでも協力しようと思った。
ハイネの開発した妙な兵器の犠牲にするためにでは……決してない。
全身の血が引き、恐怖で凍りつくが、同時にハイネに対して激しい怒りも湧いてくる。
(ハイネに……ミズキは渡せない)
このままでは間違いなく、エリカはミズキを道連れにしてしまう。大人の争いごとに、子供を巻き込むべきではない。
それにクリスタライズのデモンストレーションにミズキを使えば、プロパガンダとしては最高の効果を生み出し、全兵士にクリスタライズ装着が義務付けられる。
馬鹿げた兵器の犠牲になるのは、いつだって現場に赴く兵士だ。上層部は何もしない。
そもそもなぜ自爆装置みたいなものを開発したのか疑問だったが、二人がーーおそらくクラリスだろうーーの工作員だとすれば、合点がいく。
彼らはディスタンシアの兵士の分母を確実に減らすため、クリスタライズをディスタンシア人に埋める気だ。
シュトラウス自身はディスタンシアという国に対して、言うほどの愛国心など持っていないが、ミズキが見事爆死したとなると、【こんな小さな子どもでも、国のために命をかけた、これは純粋かつ美しい愛国心だ】と馬鹿どもが騒ぎ立てるのが目に見える。
ミズキが使われてはならない。
(ミズキ……)
ミズキはシュトラウスの腕の中で寝息を立て始めていた。
何も知らないこんな子供に、大人の十字架を背負わせてはいけない。
ハイネとエリカが本当に会話の内容を実行しようとしているのなら、彼らにミズキを任せてはおけない。
シュトラウスの中の正義が、静かにその炎を燃え上がらせた。
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