序章:ななふしぎ

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「ところで、いつになったら帰るんだ?」  用件は終わった。依頼と報酬の契約も済んだ。  早いところ学校に戻ってほしい。 「え、ななもここに住むんじゃないの?」 「そんな訳ないだろ」  手狭なアパートでちびっ子霊と一つ屋根の下。誰が好き好んでするだろう。悠々自適な一人暮らしに騒がしい同居人は不要だ。 「学校に帰れ」 「やだよ。なな、ここにいたい」 「オイオイ。霊のくせに、夜の学校が怖いのか?」 「そ、そそそんなはずないじゃんっ」  図星だったらしい。  少女改め、ななは誤魔化(ごまか)すように空中を泳ぎ回る。 「あ、わかった。なながいるとエッチなことできないから、急いで追い出したくなったんでしょ?」 「は? 違うが」  かと思えば、生意気にも八重歯(やえば)を覗かせ反論してくる。  ななは推定小学三年生。女子は早熟と言う通り、その類いの話で責めてくるのも頷ける。だが、許容するつもりは微塵(みじん)もない。徹底抗戦だ。 「またまたぁ。そんなこと言って、ベッドの下にはいやらしい本がいっぱいなんでしょ~?」 「無駄な知識はあるらしいな」 「それくらい知ってるもーん」  まったくもって都合の良い脳味噌をしている。実際のところ、エネルギーの塊なので臓器は備えてないのだが。ついでに言えば、今時ベッドの下に隠す人間はいないだろう。時代遅れの情報に呆れてしまう。  などと、冷静に分析している場合ではない。一反木綿(いったんもめん)よろしく平面になり、ななはベッドの下へと侵入開始。やりたい放題だ。幼い好奇心が暴走している。 「やめろ」  ばたつく足首をがっちり掴み、抜刀もかくやの勢いで引きずり出す。一般人では霊体に触れられないが、霊能力者であれば実体なき相手でもお構いなし。お転婆(てんば)娘はベッドの上に放り出される。 「同居は許す。だが、勝手なことをするなら容赦しないぞ」  我儘(わがまま)な子どもには毅然(きぜん)とした態度で臨むもの。  文机の引き出しより紙片を一枚取り出すと、その角をななの目と鼻の先に突きつける。ぱっと見それは何の変哲もない短冊型の和紙。だが、それは浄霊用のお札だ。霊能力者の魂――浄霊の念を増幅する作用があり、主に悪霊と対峙する際に使用される。霊体が触れたらたちどころに消滅だ。ななにとって天敵と言える一枚である。 「場合によっては強制浄霊も辞さないからな」  もちろん、ただの脅しである。  こんな些末事(さまつごと)でExOUに背くつもりはない。あくまでも霊の(しつけ)として、厳しい言葉をかけただけだ。 「うぅ、ごべんだざい。ぎょうぜいじょれえはやだぁ……」  しかし、想像以上に効いてしまったらしい。  ななはぐずぐずと嗚咽(おえつ)を漏らし、布団の上で団子虫(だんごむし)のように丸まってしまう。  さすがにお札を出すのは失敗だったか。信頼関係を築く前に強く出過ぎたかもしれない。 「わ、悪かったよ。だから泣くな」  念のため謝罪して、震える背中にそっと触れる。小さな霊体だ。いきなり夜の学校に放り出され、何も覚えておらず、不安でいっぱいだっただろう。もっと彼女の気持ちを(おもんぱか)ってやるべきだった。霊能力者としてまだまだ未熟と言わざるを得ない。 「ほら。俺はもう怒ってないからさ」  涙を拭ってあげようと、霊体を抱き起こして――息を呑んだ。  ななの両眼は黒一色、滂沱(ぼうだ)血涙(けつるい)を流していた。ぼたぼたぼたぼた。滴り落ちた(くれない)飛沫(しぶき)は、ベッドのシーツに季節外れの桜吹雪を描く。殺人現場さながらの様相だ。 「ごべ、ごべんだ……ずびびっ」 「……あぁ、うん」  血液混じりの鼻水を(すす)るななを前に、もはや溜息も出なかった。  シーツは洗濯不可避、クリーニングしても落ちなさそうだ。霊障の一種とはいえ、血を撒き散らすのはやめてもらいたい。  ――先が思いやられるな。  欲を出して引き受けなければよかった、と今更後悔しても時既に遅し。  こうして、ななとの同居、そして七不思議との闘いが始まるのだった。
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