2-1.土産話

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2-1.土産話

「すまねぇな、急に検視の依頼が入っちまって……」  芝神明と言えば、華やかな盛り場が軒を連ねている。蔭間茶屋に料理茶屋、役者買いの粋筋や、高位の武家が接待で利用するような料亭もある。  その中でも、純瞠の応援者だという女将が営む気軽な料亭『菊水』の二階の座敷で、二人は長いこと待たされたのであった。 「検視、今も続けているんですね」 「あた棒よ。若い医者を育てるには、御遺体を見聞して、体の構造を知るのが早道だ。罪人の御遺体は余程情状がない限り下げ渡される。腑分けをさせて頂くことで、悪さをして地獄に行く連中を、医学に寄与した功でせめて地獄の沙汰を免じてもらおうってのさ」  純瞠の話はいつも明瞭だ。考えに迷いがないのか、言い淀むということがない。一つ一つを熟考し、決めたからにはどんな反発があろうと怯まない……医術の未来を担うには、これ程の覚悟がなくてはならぬのだと、改めて主碼と蓮之介は表情を引き締めた。 「お雛様じゃあるめぇし、カチコチに座ってねぇで、食べな。ここの鮒料理は中々だぜ」  すると、主碼が徳利を手に膝を進め、純瞠の盃に酒を注いだ。武士としての折り目正しさと、匂い立つような美しい所作に、思わず純瞠は盃を滑り落としてしまった。 「おっと、耄碌するには早ぇな……仕切り直しだ」  再び、盃に酒を満たしてもらうと、純瞠も蓮之介と主碼の盃を酒で満たした。 「よく帰ってきた、蓮之介、主碼」  主碼と蓮之介は掲げた盃より下に頭を下げ、一気に煽った。 「美味ぇ、美味ぇなんてもんじゃねぇや、ああ、美味ぇ……しかし随分かかったな。半年もすりゃ戻ってくる算段じゃなかったのかい」  盃を膳に戻した蓮之介が、ぽりぽりと頭を掻きながら口籠った。 「ええ、まぁ……そのぅ、長崎の景色を見せてやりたくて……で、ホフマン先生にも、主碼を引き合わせたくて……」  照れながら言葉をボソボソと紡ぐ蓮之介に、純瞠は目尻を下げた。  そんな純瞠の表情からは、蓮之介への深い慈愛が滲み出ている。師に愛されるのもまた、蓮之介の人柄なのだと、主碼は何やら誇らしかった。 「先生、蓮之介様は、京に到るまでも沢山の人を助け、それはもう、また遅れる、また遅れると、手紙が届くたびに待ち遠しさに枕を濡らしました……待たせた詫びは何が良いかと聞かれましたので、かつてお手紙で教えてくださった長崎の景色を見たいと、私が我儘を申しました」 「ハハ、大方そんなこったろうとは思ったよ。ま、折角行ったんだ、外科手術くらいは立ち会ったんだろうな」  蓮之介は身を乗り出し、キラキラと輝く目で「勿論っ」と答えた。 「そうかぇ……どうだったぇ」  蓮之介と主碼は、熱っぽく互いの顔を見つめて微笑み合った。収穫どころではない、一生の宝を得た旅であったことは、言葉に出さずとも知れた。 「落ち着き先が整うまでは、ウチに寝泊まりして暫く手伝え。5代様が身罷ってから僅か7年で、昨年には8代様の御代となった。随分街のありようも変わったし、奉行所の手法も変わってる。検視には必ず連れて行くからよく学べ。そして江戸の気風に慣れるこった」  確かに、主碼は14歳の頃に江戸を発って以来、4年が経とうとしている。蓮之介とて、主碼を迎えに行くと飛び出してから瞬く間に2年も経ってしまった。代が変われば政治も変わる。医療関係者の街への関わり、様々な事件への関わりもまた、大きく変わろうとしていたのだった。
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