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3.墓前
正月にしては穏やかな晴天の下、ひとまず純瞠の診療所の端に寝泊まりをさせてもらい、数日をかけて大阪屋の江戸店、そして鷹屋の瀬乃にも挨拶をなした。それぞれに大変な持て成しを受け、忘れ得ぬひと時を過ごしたのであった。
蓮之介は数日を経ずして、人手の足りぬ診療所の医師として立ち働き始めたため、主碼は一人、姉の眠る小香寺を訪れていた。
清められた墓碑の前でただ一人、じっと跪いて手を合わせ、姉の残像に主碼は問うた。
「姉上、私の生き方は姉上のご遺志には添わぬかもしれませぬ。それでも、やはりあの方の側で、生きていきとうございます」
姉の残像は何も語らない。微笑むことも、頷くこともない。それは、己の来し方で証明せよとの、姉らしい厳しい言伝の表れであった。
主碼は一心に手を合わせ、揺るがぬ決意を姉に伝えたのであった。
「これは、主碼殿か」
夢中で姉と会話をしていたためか、背後に住職がいることには全く気付かなかった主碼は、慌てて立ち上がり、日頃の回向の礼を述べた。
「私が江戸を留守にしていた合間にも、姉の墓前をこのように清めて頂き、お礼の言葉もござりませぬ」
「ほう……」
年を重ねて一回り体が小さくなってしまったかに見える住職は、美しく成長した主碼の姿に息を呑んだのであった。
「やはりあなた様は……いえ、ご立派になられました」
何かを言い淀むような住職の視線が、姉の墓の隣にある瀬良咲弥の墓に向けられた。
「似ておりますか、咲弥殿に」
声変わりもした落ち着いた低音に誘われるように、住職は頷いた。
「申し上げるべきではないと思いながら……美しさといい、武士の心映えそのものの立ち居振る舞いといい……殿のご消息、ご存知か」
殿……主碼の心の臓がズキリと痛んだ。
「いえ……信州におあすとだけ」
「未だ眠りから覚められぬと。御母堂様の祥月命日に代参に訪れる御仁が、そう……」
次の瞬間、主碼は総毛立った。
殺気だ。漲る殺気が向けられているのを感じる。
住職は何事もないかのように紀和の墓に向かって念仏を唱えている。
「吾妻藩の小姓の行方は、ご住職、もし、ご住職」
その肩に触れようとした時であった。
振り向きざま、住職が袈裟の下に隠していた長刀を抜き放ち、主碼に襲いかかった。
飛び退き樣、懐剣を抜き防御するものの、飛び退いた背中にも刃先が当たる。全身に脂汗を滾られながら振り向くと、それは綱堅が抜いた刀の刃先であった。
「殿……」
月代も伸びた総髪の綱堅が、怒りの形相で主碼に刃先を向けている。
そして綱堅の後ろには、あの小姓衆が膝を付いて控えているではないか。
「余を捨て、よくも蓮之介に懸想をしたな、この裏切り者め! 」
「いえ、いえ……行けと背中を押してくださったのは、他ならぬ殿ではありませぬか」
「許さぬ、余を裏切ったこと、決して許さぬ」
「殿、お許しを、殿……私はもう、蓮之介様と二世を誓っております! あの方と歩む事こそが、私の生きる道と定めております。御許し下さいませ」
「どうあっても、世の元には戻らぬか」
「戻りませぬ! 」
すると綱堅の後ろに控えていた小姓達が一斉に刀を抜き、綱堅を飛び越えて雨霰のように襲いかかってきた……。
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