ウジェーヌは一周した

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 ***  それは、日本を旅行した時に見た“まんじゅう”のような形に見えた。  つんつんとつつくとかなりふんわりとした感触であるのがわかる。表面は少ししっとりと濡れていて、見た目通りクリームのような甘い香りがほのかにする。手で触れていると、ささくれた心が落ち着くような気がした。なるほど、心の安定剤として効果があるのかもしれない、と思う。 「……どう思う?ニナ」  パリの本店に戻り、社長室に入ったところで私は秘書のニナに尋ねた。  彼女は、私の大学時代からの友人でもある。会社を立ち上げる時に協力してくれて、今もなお妻とは別の意味で私を支え続けてくれる人物だった。  同時に、世界中の珍しい品々を集め、秘境を探検する私の趣味を理解してくれている人物でもある。 「わたくしも、見たことがありません」  同い年、四十二歳の美しい秘書は、困惑したように私の手元を覗き込んだ。 「本物かどうか、というのはなんとも。NASAの友人からこっそり回収したというのがどうにも胡散臭いですしね。どこかの新商品を売りつけられただけ、という可能性も」 「だよなあ」 「しかし、本当に手間賃程度の金額しは支払っていないのでしょう?でしたら騙されたと思って試してみるのも悪くないのではないかと。願掛けやおまじない、というものが齎す心理的効果は存外馬鹿にならないものですし」 「ふむ……」  彼女がそう言うなら、試してみようか。  私は机の上に置いた謎のゴム?スライム?のようなそれを手に取り、両手で引っ張ってみた。すると、物体はあっさりとむいーんと横にのびていく。  しかも、のびたまま縮む様子がないのだ。ほう、と私はため息をついた。 「おい、ニナ。君も触ってみろ。結構気持ちいいぞ、これ」 「そうですか?でしたら……」  彼女も興味はあったらしい。私の手からゴムを受け取ると、むいーんとさらに伸ばしてみる。ゴムはあっさりと、彼女が両手を広げたくらいの長さまで伸びた。  普通、ゴムを長く伸ばしたらその分細くなり、垂れ下がるものである。ところが、ゴムはほんのわずかにたわんだ程度で、垂れ下がる気配はない。しかものばしてものばしても、太さが変わらないのである。  質量保存の法則を、無視している。私は俄然興味がわいた。 「これ、どこまでのびるのかな。ちょっとやってみようか」 「社長、お気持ちはわかりますが、お仕事が……」  その時、内線がコール音を鳴らした。私は慌ててゴムをテーブルの上に置いて電話を取る。  次の瞬間、あふれ出したのは歓喜の声だ。 「なんですと!?……ああ、ありがとうございます、ありがとうございます。そんな、それは……ああ本当に助かります!」  それは、銀行の融資担当者からの報告だった。  うちの会社は業績不振につき、次の融資が通るかどうかわからない、という瀬戸際に追い詰められていたのである。ここが駄目なら、別のところから借金をしなければならないところだった。かなり望みが薄かったのだが、なんと五億という破格の融資をしてもらえることになったという。融資課長の気が急に変わったらしい。  突然降って沸いたいいことに、思わず私はテーブルの上を見た。 『これはね、長くのばせばのばすほど、触れた人間に富を与えてくれるものなんです。異星人が持つ、お宝の一つであるようなのですよ。ぜひ、貴方にはこれを使って、事業を成功させていただきたい!』  あの商人の言葉は、本当なのかもしれない。  しかもこの直後、秘書のニナは宝くじの2等が当選していたことが発覚する。  私は思ったのだった。――ほんの一メートルと六十センチばかりのばしただけで、こんな恩恵があったのだ。もっともっとのばせば、どれほど良いことが起きるのだろうか、と。
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