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過疎の町というほどではないが、少なくとも久美の育ったこの家の周囲に前後五歳以内の子どもは一人もいなかった。
つまり、久美が小学校に入学してから卒業するまで、すぐ近所に同じ学校の児童は存在しなかったのだ。
小学校までは約三キロ。
学校まで二キロ弱のあたりになると急に家も増えて子どもも珍しくはなくなるのだが、そこまでの一キロほどはまず誰に会うこともない。
小学校に通っている間は、危険だからと毎朝母がついて来てくれて、帰りも必ず迎えに来てくれていた。
途中で友人と合流するとスッと離れて帰宅し、帰りは友人と別れて一人きりになるまでは少し距離を取って見守りつつ後ろを歩いてくれていたのだ。
久美には、帰ってから家で一緒に遊ぶ友人はいなかった。
いや、友人はもちろんいたが、少なくともこの家に呼んだことはない。
女の子が夕方以降に一人で、あるいは子どもだけで人通りもほとんどない田舎道を移動する羽目になることに、難色を示す親が多かったためだ。
もちろん、久美と遊ぶことが問題視されたわけではないので相手の家に行く分には構わなかった。
しかし、そうすると今度は帰りに久美が一人になってしまう。そのため、母は久美のために毎回友人の家まで迎えに来てくれた。
しかも、当時の小学校には「必ずいったん家に帰ってから遊びに行く」という決まりがあった。
母は学校まで久美を迎えに来て帰宅してから、また友人の家まで送って夕方に迎えに来て、と結果的にまるで娘の従者かのような生活を強いられていたのだ。
結局三年生になる頃には、久美が他所の家に遊びに行く頻度はぐっと下がった。
母は娘の前では愚痴を零すことも嫌な顔を見せることも決してしなかったが、久美の方がいろいろと申し訳なく感じてしまったからだった。
母は変わらず「今日は遊ばないの? お友達も忙しいの?」と気にせず行くように促してくれてはいたのだが。
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