16人が本棚に入れています
本棚に追加
17.いえ、私は妊娠している訳では⋯⋯。
あれから3ヶ月の時が過ぎた。
スタンリー狙いのメイド連中を解雇し人員整理も済ませ、公爵夫人としての仕事も交友関係を作る事以外はできるようになってきた。
レオダード王国347年建国祭。
聖女マリナが訪れるとあって、周囲は騒がしい。今日はクリフトも舞踏会に参加する。
「レイフォード・レイダード王子殿下に、ルミエラ・モリレードがお目にかかります」
隣にいるスタンリーと腕を組みながら、彼とペアでつくられた青いドレスを着ている私を自分に気があるような女のように見てくるレイフォード王子。
(確かに気持ちはあったけれど⋯⋯)
「ルミエラ夫人、久しぶりだな」
レイフォード王子の軽やかな声。
私は彼をすっと避け続けていた。
「ええ、レイフォード王子殿下とお会いしたのは、もう3ヶ月以上前になるのですね⋯⋯」
自分でも一度は恋をした相手だという認識はあるのに、目の前のレイフォード王子に興味が湧かない。
クリフトは長期休暇に入り、昨晩寮から公爵邸に戻って来たばかりだ。今日の建国祭初日の舞踏会に出席すると自ら言ってきた。
彼から出席したいと伝えて来たのは、今日聖女マリナがくるからかもしれない。
彼女は小説の中ではクリフトの未来の奥さんだ。
今、クリフトはアカデミー創立以来の秀才だと騒がれていた。
全ての成績でA判定をとってきたのは私の予想外だ。
てっきり彼はアカデミーでも出来の悪い男のふりをすると考えていた。
私は隣にいるクリフトをただ見つめていた。
気品ある佇まいにアクアマリンの瞳。
誰がどう見ても立派なモリレード公爵家の跡取りにしか見えない。
クリフトはアカデミーでトラブルもなく静かに過ごしてくれたが今後は分からない。
彼は急に周囲の人間を惨殺したりする危険な子だ。
そして、人の心を抉るような言葉で攻撃してくる子だ。
スタンリーは私と一曲踊り終わると、すぐに他の貴族たちに囲まれてしまった。
私は舞踏会の場が初めてである、クリフトの側に黙ってついていた。
「クリフト?」
クリフトは私とスタンリーと一緒に会場に着いてから、ずっと静かに1人の人間を見ている。
聖女マリナ⋯⋯。
彼女は人間なのだろうか。
どのような病気や怪我も治す力を持っているが、その対価は彼女の生命力らしい。
灰色の髪に灰色の虚な瞳⋯⋯明らかに死にゆく外見をしている彼女。
目を閉じている事が多いのは、もうほとんど目が見えないからだと聞いた。
小説によると彼女は3年後にクリフトと出会い、恋に落ちる。
今はレイフォード王子も彼女を正室にすると仰っていたし、どうなるのか分からない。
「だ、大丈夫⋯⋯? げ、元気になった?」
聖女マリナの周りには彼女を求める人が多くいたと小説の記述にあった。
確かにその通りで、このような貴族限定の舞踏会なのに彼女が現れると知った平民たちが会場の外に押し寄せているらしい。
大き過ぎる彼女の声は辿々しく、発音も明らかにおかしい。
「酷いな。奇跡の力をつかえるとしても、あの女といるのはキツそうだ。やはり、本音を言い合える気の置けない女を隣に置きたい」
耳元でささやかれ、思わず身を捩るとすぐ隣にレイフォード王子が来ていた。
さっきまで国王陛下の所にいたのに、まるでワープして来たようだ。
彼は自分の苦慮を察してくれと言うように、私に目線をよこしてくる。
私は意図的に目を逸らした。
聖女の力は己の生命力を使うが故に、使う度に聖女マリナは弱っていく。
彼女の自己犠牲が前提で行使される奇跡の力だ。
彼女の声が大き過ぎるのは、自分の耳が聞こえずらくなっているからだろう。
相手に自分の声が届いているのか不安なのだ。
そして、自分で発声する声をうまく聞き取れない事が長く続いてそうだ。
発語が正しくできていない。
それでも、彼女が相手に想い伝えたい気持ちが伝わってくる。
耳も遠くなり、目が虚ろになっている彼女を囲っている人間の方が余程元気に見える。
人間歳をとればどこか具合が悪くなるものなのに、受け入れられない方が多いらしい。
「聖女なんて呼ばなきゃよかったな。建国祭だと言うのに、乞食の集会みたいだ⋯⋯」
そう呟いたレイフォード王子は、私たちの元から離れていった。
確かに異様な光景だ。
彼女に群がる人々は、みな彼女の力で笑顔になっていくのに明らかに彼女は衰弱していく。
(聖女マリナ⋯⋯何を考えているの? 今も力を使う度に目が霞んでいっているだろうに⋯⋯)
胸が苦しくて息ができない。
自分のことが1番大事で、散々やらかしてきた私でも見ていられない光景だ。
「気持ち悪い女⋯⋯吐き気がする⋯⋯」
クリフトが明らかに呆れたように呟く。
彼はいつも周囲を満遍なく観察するように視線を配っているのに、聖女マリナを目でずっと追っている。
達観して余裕なそぶりを見せていても、聖女マリナの異様さから目を離せないのだろう。
小説のラストでは彼と聖女マリナは夫婦となり、このレオダード王国の国王と王妃になった。
クリフトは実は彼女に恋をしているのかもしれない。
それよりも、自分では理解できない彼女から目を離せないと言った方が正しそうだ。
「聖女マリナ様は⋯⋯あと、どれだけ生きられるの? 生きたくはないのかしら⋯⋯」
咄嗟に漏れた私の疑問。
私は前世で健太の障害が分かった際も、家族健康で生きられたらどんなに幸せかと考えていた。
他人から蔑まれようとも、醜い姿を晒しても生きたいと思っていた。
そのような私が一時の気の落ち込みで命を断とうとしたのは、やはり前世の元夫の責めた通り病気だったのだろう。
自分の生命力を削りながらも、その対価の大きさは彼女自身だけが受けている。それを当たり前のように受け止める周囲に吐き気がした。
「気持ち悪いわね⋯⋯」
「母上、最近、父上と仲が良いと聞きましたよ。顔色も冴えませんし、妊娠したのではないですか? 少し横になってお休みになった方が良いかもしれません」
微笑みながら私に語り掛けて来るクリフトが怖い。
(仲が良いから妊娠って⋯⋯13歳の子の言葉?)
「ルミエラ夫人おめでとうございます。妊娠初期は不安定なのだから、このようなところに立っていてはいけませんわ」
近くにいたお世話おばさん的、アイリーン・バヌス公爵夫人が近寄ってくる。
周囲の貴族たちが私に冷ややかでも、彼女はいつも優しく声を掛けてくれる。ボランティア活動にも積極的らしく、本当に豊かな人は人を蔑んだりしないのだと思わせられる。
「いえ、私は妊娠している訳では⋯⋯」
咄嗟にクリフトの方を見ると殺意のこもった目で睨みつけられた。
「4年も頑張って、せっかくできた子でしょ。大切にしなきゃ」
(4年⋯⋯全く、頑張ってないし⋯⋯)
本当に余計なお世話な事を言ってくる彼女にため息が漏れる。
彼女は親切だが、その振る舞いは気遣いを超えて干渉のように感じる時がある。
実は私が苦手なタイプの女性だ。
周囲がコソコソと私が懐妊したと噂している。
(どうしよう⋯⋯妊娠の兆候なんてないのに、なんでこんな⋯⋯)
私はアイリーン公爵夫人に半ば強引に休憩室に連れてかれた。
初めて来た休憩室は長い赤いベロアのソファーがあって、そこに病人のように寝かしつけられる。
アイリーン公爵夫人は母性溢れる視線で私を見つめると、私の手をお腹に置かせた。
(悪い方ではないけれど、本当に苦手だわ⋯⋯このポーズは妊婦ポーズ?)
「ここに横たわって、少し休んでなさいな。何かお話でもする?」
「いえ、せっかくの席なのでアイリーン夫人は会場にお戻りください」
「じゃあ、失礼するわね。くれぐれも絶対安静よ」
せっかく、舞踏会に来たのに休憩室に追いやられてしまった。
おそらく全てはクリフトの企みだ。
(私が近くにいて、目障りだった?)
彼を理解したいのに、距離を取られてしまった。
前のように精神攻撃を受けるのも怖いが、彼がいつも何を考えているのか理解する為には少しでも彼と接したい。
急に扉が開いて、私は思わず上体を起こした。
「お、お、お母様が、具合が悪いと、お、聞きして」
先程まで人に囲まれていた聖女マリナの登場と、彼女を連れてきたクリフトに驚いてしまう。
「この女は別に体調が悪いわけではない、ただの怠け者だ。具合が悪いのはお前だろ! 偽善者の聖女様」
クリフトは鋭い目つきで聖女マリナを睨むと、彼女をソファーに座らせた。
最初のコメントを投稿しよう!