2.レイフォード! 好きなの!

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2.レイフォード! 好きなの!

 意気揚々とスタンリーの寝室の扉を開ける。  そこには私の夫のスタンリーと、私とどこか似ている銀髪の女メアリア子爵令嬢がいた。  残念ながらメアリア嬢は服を着ていた。  不倫の証拠としては少しばかり甘いかもしれない。 (前回は全裸だったのに来るのが遅かったか⋯⋯)  まあ、13歳のスタンリーを連れてきてしまったので彼女が服を着ていて良かったと考える方が正解。  私は前回は不倫現場に動揺してスタンリーを罵倒し、メアリア嬢に飛びかかった。  でも、今は驚く程心が静かだ。 「君が全て悪いのだ。老いゆく君を見ていられなかった。昔の君に似ている彼女は美しいだろう?」  前回と同じセリフを吐く夫スタンリーは、本当は動揺していたのかもしれない。  落ち着いて観察してみると、唇と手が小刻みに震えている。  彼の瞳には私しか映ってなくて、隣にいるメアリア嬢は必死に両手で顔を隠していた。  前世の記憶を取り戻した今。  私にはスタンリーが病的な男にしか映らない。  20歳になった妻を老いたと辱め、10代の女を寝台に引き入れる。 「メアリア嬢ですよね、お噂通りお美しい方ですね。お2人はとても気が合うようで羨ましいわ。このような仲睦まじい姿を見せられては、私は退場させて頂いた方が良さそうね。スタンリー、離婚しましょ⋯⋯」  私はとにかく死の運命にあるモリレード公爵邸を立ち去りたかった。  メラリア嬢は実家の借金の肩代わりに、2回り歳上の商人の家に近々嫁ぐと聞いていた。  前回は、結婚が決まっているのに夫に手を出した彼女に掴み掛かって暴れてしまった。  あの時の感情は嫉妬ではなく、スタンリーの妻である自分がバカにされたと感じた事による怒りだった。   「老いゆく? この美しくも魅惑的なルミエラの価値が分からないとは、公爵⋯⋯いや、叔父上、僕は彼女に夢中なのです」  さっきまで息子の友達の顔をしていたレイフォード王子はどこに行ったのだろう。   魅惑的な表情で私を見つめてくる。  私はアイコンタクトをとってくる彼が明らかに芝居をしているのがわかった。  3年後、クリフトにあっさり殺される彼はあまり賢い男ではないと思っていた。  彼は恐ろしく整った顔をしているからか、間近で見ると見惚れそうになる。    彼の意図など分からないが、咄嗟に自分の生存本能に従った。 「レイフォード、好きなの。早くスタンリーと別れたい。おじさん過ぎて気持ち悪いのよ。本当は彼を1度も愛した事などないの」  王子である彼を呼び捨てにするのは気が引けた。  しかし、芝居にのっただけだから許されるだろう。  それにしても、先程から心臓の鼓動が早い。  その理由が自分でもよく分からない。 「本当に? ただの1度も?」  耳元に届く聞き慣れた低い声は震えていた。浮気したスタンリーこそ、私への気持ちは冷めているだろう。  自分の浮気は良いけれど、私の浮気は許せないのかもしれない。  彼は私を自分の所有物と思っているふしがある。  私はそんなに頭が良くない。  だから、咄嗟に漏れた言葉に嘘も偽りもなかった。  スタンリーを愛したことは1度もない。  私は彼がくれる公爵夫人という立場を愛していた。 「当然でしょ。10歳以上も歳が離れているのよ。公爵夫人になれると思ったから、あなたにしがみついただけ。でも、もういらないわ」  私が言葉を発したのを合図に、レイフォード王子は私に深く口付けて来た。 (演技でここまでする? 本当に訳が分からない⋯⋯)    確かレイフォード王子はは幼い頃からの婚約者もいて、来年国王に即位すると同時に彼女と結婚する予定だ。  最も3年後には、彼の妻になるタチアナ嬢もクリフトに殺される。  口づけに応えている間、うっすら目を開けた私の目に映ったのは彼の後ろにいたクリフトの瞳だ。  純度の高いアクアマリンのような美しい澄んだ瞳。  しかし、何を考えているか分からなくて私を不安にさせる瞳。  私は怖くなって再び目を閉じ、レイフォード王子の首に手を回した。  唇が離れて、スタンリーの表情を窺い見る。  彼は見たことのないような困惑した表情をしていた。 「ルミエラ、もう1度聞く⋯⋯本当にただの1度も俺を愛したの事がないのか?」 「貴方みたいな、若い女が好きなだけのおじさん好きになる訳ないでしょ」  私はスタンリーが1番傷つくだろう言葉を吐いた。    スタンリーは未だ美しく若い女を呼び寄せる魅力はある。  それでも、彼の心を叩き潰す為に私はわざと強い言葉を選んだ。  私は死の運命にあるモリレード公爵邸を離れる為ならなんでもする。  自分の本質がクソであることなんて自覚しているし、心が綺麗な人間ばかりが生き残れるとは限らない。  今の私は自分が生き残れる為ならば、クリフトを愛し抜くという決意も捨てられる。  不意に死んだミランダ公爵夫人を思い出した。  彼女はクリフトが言葉を発さなくても、意に返さないくらい彼を愛していたように見えた。  彼女が死んだのはスタンリーが彼女の心を殺したせいだ。  スタンリーは彼女の事もクリフトの事も愛そうとはしなかった。 (クリフトは母親の仇をとろうとしてる? だから、スタンリーから命より大事にしてそうな公爵の地位を?)    瞬間、脳裏を巡ったのは私の中にある前世の記憶だ。  私と夫は幼い頃から近所に住んでいて10年以上の付き合いを経て結婚した。  お互いどのような人間か知った上での結婚で、付き合っていた時から苦楽を共にしてきた。  恋愛結婚というより、友達婚だった。  そのような私たちでも乗り越えられなかったのは、障害のある健太という存在だ。  夫は健太が生まれるなり、私と息子の存在から目を逸らすようになった。  健太の障害が宣告され絶望の日々が続き私は自殺未遂をした。  一生言葉を発する可能性のない人間。  そのような人間の一生を背負う覚悟がつかなかった。  夫は私の自殺未遂を弱い人間がする事だと片付けた。  夫は私が妊娠中飲酒をした事があったからだと、私の過去の揚げ足をとるようになった。  確かに健太の妊娠発覚前に飲み会があって酒を飲んでしまった。  健太の障害を持って生まれた原因はわからず、原因を探したところで彼が喋れるようになる訳でもなく涙が止まらなくなった。  私は彼を産んだ自分を責めるしかなく、過去の自分の行動の何が悪かったのか分からず鬱になった。  自分が病的な思考に陥ったとは全く分からなかったが、私は病気だと夫は責めた。  私は夫と離婚した。    離婚されて、目の前の息子が息をしていることに気がついた。  一生言葉を発する事がないと言われた健太を私は全力で愛した。  成長すればするほど、周囲から奇異な目で見られても関係ない。  彼は私にとってはダイヤモンドだ。  私は彼の為だけに生きて死んだけれど、私の死後彼はどうなったのだろう。    冷たい視線、蔑まれるような体験、夫の裏切り。  全てを経験したような気になっていたから、私はどのような子供でも愛せる気になっていた。  私の知る限りお人形のようだった健太と、クリフトは明らかに違っていた。  無垢で守らないといけない使命感を感じた健太と、明らかにわざと言葉を発せず何かを企むクリフト。  一緒にしては自滅するだろう。  子育ては100人100通り、前に試した方法が別の子で上手くいくとは限らない。 「レイフォード! 好きなの! 今すぐスタンリーと離婚して、貴方の女になりたい」  人は生きる為ならば全ての羞恥を捨てられる。  今、目の前で明らかに芝居をしてからかっているような王子レイフォード。    何を考えているか分からないし、このままだと3年後に死ぬ男だ。  彼は私を好きだという芝居を私の夫の前でうった。その不思議な行動には何か意味があるはずだ。  なぜだか、彼のことが好きだと伝えた自分の言葉が芝居ではなく真実のようにも思える感覚があった。    メイドであった私の貞操観念など、誰も気にしていないだろう。  公爵夫人になっても、血筋を重んじる貴族から私は蔑まれ続けた。  私は再び思いっきりレイフォード王子の首にしがみつき、彼にダメ押しのキスをした。    バカで後ろ盾もない私は生きる為には何でもする。  呆れたスタンリーから離婚を言い渡されて、死の運命を待つ公爵邸から出ることが最優先だ。   「最低な女だな。ルミエラ、離婚してやるよ。後ろにいるクリフトも連れてけ⋯⋯お前とは違う上品な女とまともな跡継ぎを作るから」  私は、スタンリーの言葉に血の気が引いた。 (おそらく、今、惨殺ルートに入った!) 「ふざんけんなよ。お前ら!」  後ろからクリフトの声がすると共に、鈍い痛みが走り私は意識を失った。
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