貴女に捧げるこの歌を

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 そうして、今、手元にあるのが件の楽譜である。どうしようか。  熱さも喉元を過ぎれば忘れるように、若者特有の万能感というか無意味な哲学的思考は早々長続きしない。あるいは、私の脳内に直接呼びかけてくる、なんて本物を見つけてしまったが故に冷や水をさされた。冷静にならざるを得なくなったとも言う。    手元にある真っ黒の楽譜は、今も私の頭の中でぐわんぐわんと歌っている。  何重にも聞こえる響きの中で、どうぞどうぞ私の歌ですお聞きになってと笑っている。    歌うのは、私じゃないのか。そう思ったが、その声があまりにも楽しそうだったので、こちらから声をかけるのは野暮な気もして口をつぐむ。    同時に、胸中に産まれたのは純粋な羨望だ。だって、私はちっとも楽しくない。あれだけ好きだった歌が歌えないから? 周りの声があんまりにもうるさいから? それとも、周囲の目を気にしてしまう弱い自分に気がついたから?    あぁ、と小さな声がこぼれた。声は笑う。それに導かれるように私の指先は楽譜をめくる。    誰も居ないこの場所で。歌って死ぬ。きっとそれはなんともおあつらえ向きだと。それだけの理由。もう煩わしさに叫びだしたくなる日々も終わるのだと、そう思えばやっと呼吸が大きくできた気がした。    だから、私は息を吸って、迷うことなくその旋律を口にした。
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