貴女に捧げるこの歌を

3/6
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
「いや、歌えないが……?」  思わずそんな言葉でツッコんでしまったのは、歌おうとしてから既に30分程が経っている。30分。その間私は楽譜の歌を歌おうとしていた筈なのだが、……何と言うべきか、とんでもない歌だったので歌うに歌えなかった。    プロのオペラ歌手でも逃げ出す音階。  高低の緩急が凄まじく、赤ん坊が音符を投げつけて作りました、といった音の羅列が並ぶだけ。  歌詞と音符のリズムも合わせられない。  頭の中で響く(恐らく)楽譜の歌声はシンプルに下手。  時折、私の歌声に引っ張られていた上に、【あっれぇ? おっかしいなぁ……】とボヤキすらする始末。  ガイドボーカルだと言うのならば、一番やっちゃいけないことだと思うのだけど。    これは、何なんだろうか。  恐怖など湧き上がりもせずに、胸中をしめる感情は困惑だった。あまりの酷さに歌った人が錯乱でもする歌なのか? とりあえず、死ぬに死ねなさそうな歌だな……。なんて考えた瞬間に、わっと頭の中で泣き声が響いた。   【だってだってショーガないじゃん!! アタシッ、先輩が燃やされちゃったから何の引き継ぎもされてないしッ!! 歌は好きだけど突然作れって言われて、楽譜初心者が作れると思う!? そのせいでアタシの噂、今七不思議下位だしッ!!】    とても元気な声だった。さっきまでのすまし声は? と思えば、【え? ふいんき作り〜。アタシこんなんだからさ〜】と呑気な声が返ってきた。会話可能らしい。  若干呆然としつつも、ふいんきじゃなくてふんいきだよ、と言ってみれば【マヂ!? ヤバ、チョー間違ってんじゃん。ウケる】なんて返答。……極々普通の、ちょっとギャル入ってる楽譜だな……。    声は言う。 【でもさ! アンタ凄いね!! けっこー歌えてんじゃん!! アタシが言うのもなんだけど、こんなんマトモに歌えないっしょ!?】  本当に貴女が言えることじゃないな……。そう呆れもしたが、それよりも。 「……私、歌えてた?」 【? 歌ってたじゃん。部分部分って感じだけど。アンタが歌ってくれるとさ〜、なんかビビッてくるっつーか。あー! 歌ってコレコレ! みたいな?】  楽譜のくせに人間らしいことを言ってくれる。  きっと、歌らしい歌にはなってなかった筈だ。それこそ一部をかろうじて言葉にできた、と、そのぐらい。余りの酷さに必死に集中してたこともあるんだろうけど、それでも。  声だけではあるけど、誰かと居るときに歌えてた。その歌で、こんなに感激したような言葉をかけてくれる存在が居る。  それを思った瞬間、胸がきゅうと縛られるように痛んだ。けれど、不快な痛みじゃない。苦しくも切なくて、どこまでも穏やかで優しい。視界は歪んで、誤魔化せなかった声は空気と混ざって部屋に響く。 【え!? なになになにどしたのよ!? あ! 怖かった!? だいじょぶだいじょぶ死なないわよこれ! アタシも全然怖くないから、ね!?】  声が酷く驚いて慌てたような声をかけてくる。どちらかと言えば人に害を与える存在の筈なのに、私が出会ってきた人間より優しいことに笑って、また、ぼろりと涙がこぼれた。    しばらくは、まともに答えることも出来ずにおろおろする声をBGMにしばらく泣き続けるのだった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!