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スパンコール 7
「だからってなんでうちに来るんだよ」
「だって!灯里ちゃんに一番に聞いてほしくて!」
私は店番が終わるなり灯里ちゃんの家に駆け込んだ。おばさんは快く通してくれて、私はノックの返事も聞かないまま灯里ちゃんの部屋のドアを開けた。
「これって脈ありってことかな!?それとも遊ばれてるんだと思う!?でも常磐さん、すごく緊張してたし……」
「あのなあ、バンドマンってのは遊び人なんだ。あとで泣きを見るのは依なんだよ」
まっさらな譜面に音符を書き込んでいく灯里ちゃんは冷静だ。ときどき膝に乗せたギターを鳴らしては、慣れたようにペンを走らせる。
「もうっ!灯里ちゃんは夢がないなあ!」
あまりに興味なさそうで、私は悔しくなってムキになる。
「親友の喜ばしい報告が嬉しくないの!?」
「現実を見なさい。常磐さんが結婚で失敗したの忘れたの?」
「それを乗り越えようとしてるのかもしれないじゃん」
灯里ちゃんの弦を弾く指は止まらない。だんだん悲しくなってきた。灯里ちゃんはずっとまともに取り合ってくれない。
「灯里ちゃん、ずっと常磐さんのこと良く言わないよね?なんか嫌なことでもされたの?」
私は急に心配になって灯里ちゃんを覗き込んだ。常磐さんがそんな人だとは思わない。でも私の知らないところで灯里ちゃんが嫌な目に遭っていたらと思うとたまらない。
灯里ちゃんの手が止まる。ギターの音が止んで、部屋が急に静かになった。リビングでおじさんとおばさんが観ているテレビの音が小さく届く。
「依が好きだから」
顔を上げた灯里ちゃんの目はまっすぐだ。
「依に常磐さんと仲良くなってほしくない。それだけ」
そう言って灯里ちゃんはまたギターに視線を落とした。
静かな部屋。心臓の鼓動が耳に響く。頭がうまく働かない。思考がキャパオーバーして、はく、と口が意味なく動いた。
「だ……だってそんなこと、いままで一言も」
「初めて言ったし。……や、初めてじゃないか」
「え?」
「今まで俺が書いた曲全部、依に向けて書いた。全然伝わってなかったけどな」
ふ、と彼は自嘲気味に笑う。
TOMOSHIBIが支持されるのは歌詞に共感する人が多いからだ。恋をしたことがない私はただ切ないな、としか思わなかったけれど、今なら良さが少し分かる。
「依が俺のことを小さい頃のクセで灯里ちゃんって言うのも許容してた。俺たちだけの呼び方みたいで嬉しかったよ。本当は呼び捨てにしてほしかったけど」
初めて聞く話ばかりだ。灯里ちゃんはずっと本心を誰にも言わなかった。それはどれだけ苦しいだろう。
「俺にしとけ」
「……」
「依」
言葉がうまく出てこない。衝撃で頭がくらくらした。すごい、人って予想外のことが起きるとこんなふうになるんだ、じゃなくて、灯里ちゃんが私を、なんて返せば、などと思考がまとまらずにいると。
「なーんてな!」
「へ……?」
灯里ちゃんはおどけたように笑ってみせた。
「驚いたか」
「え、なん……今のって冗談……?」
灯里ちゃんは私を見たままふ、とまぶしそうに笑う。
「もう遅いから今日は帰れ」
「……」
「頼む」
私は言われるがままそっと立ち上がった。灯里ちゃんは項垂れて動かない。私は静かにドアを開けて部屋の外に出た。
「バンドマンって遊び人じゃなかったの?」
私はぽつりと問いかけた。
「俺は例外」
「……知ってる」
私は部屋のドアをぱたんと閉めた。
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