0人が本棚に入れています
本棚に追加
マゲイルの生活指導
「っという形で、私服と生活のものを買いました……。」
魔界の昼過ぎの教員部屋で、ロチは申し訳なさを示す表情を浮かべながらマゲイルの前に座っていた。つい数分前まで、二人は穏やかに補習授業を行なっていた。授業が終わった後、少し時間があったためマゲイルは買い物のことをロチに尋ねた。ロチは楽しそうに買い物のことを語ったものの、アマイモンが落とした金袋を拾ったこと、小遣いはそれで賄うという発言があった。マゲイルはその発言に、ひどく衝撃を受けた。その発言でロチがどれだけ、生活、特に健康的・文化的な生活を送ることを理解していないのかを瞬時に認識し、すぐに穏やかな空気を打ち切り、ロチに買ったものと拾ってきた金袋を持ってくるよう指示したのだった。
マゲイルの前に並べられていたのは、学生でも一部の悪魔貴族の娘がきているような装飾の多い服、入浴セット、部屋着、学校が推奨している羽ペン、薬草のハンドブック、話の中にあった下着が入っているであろう紙袋、そして拾ってきたという金袋が並べられていた。
「これで全てか?」
「はい……。」
マゲイルは呆れた感情を抑えながら尋ねたつもりだったが、ロチは呆れと怒りを感じているようだった。「これを数えるぞ。」と声を掛け、マゲイルは金袋を手に取り中のカインを数え始める。この袋には五万カインが入っていると聞いたが、袋の中には1万カインほどしか入っていなかった。これを確認したマゲイルは、ロチに対してどう指導するか確信した。
「ロチ、この袋を拾ったのは君かい?」
「……いえ、エリザが拾いました。ですがきっかけは私で……袋は何かを尋ねたら説明してもらってその時に拾いました。差し出されて、それを無碍にできなくて受け取りました……。」
この話を信じるかはマゲイル次第だが、今までのロチの言動から信じることにした。この話を聞いたマゲイルは、確信したこととは少し違うことを言わなければならなくなった。机の上の品々に目を向け話を考える。ロチの友情を切り裂かない、かといって人の付き合い、生活の優先順位も教えなければならない……、深く、深く思考を落としていったマゲイルは、ロチに必要な事項を整理していった。
「ロチ、君の買い物に関して反省会をしよう。私は君に対して怒りは持っていない。ただ君の今後の魔界での生活のために言っておきたいことがいくつかある。」
「わかりました。」
マゲイルの言葉を聞いたロチは、答えた。マゲイルはそれを聞くと、机の品々を二つに分けていった。ロチから見て左にはエリザとともに買った服と金袋が、右には羽ペン、部屋着、入浴セット、部屋着、薬草のハンドブック、そして下着の入った紙袋が並べられた。マゲイルはまず、右側の品々を指差した。
「まずこれらの品々だが、これは買うべきものだった。羽ペンは学校が推奨しているもので、入浴用品や部屋着と下着は生活に必要不可欠なものだ。これは間違えではない。本もだ。君は今までレツ先生から薬草のことについて学び、今は畑違いのものを習得しようとしている。かつて学んだことに触れたいのは、私にもわかる。」
その言葉を聞いたロチの顔の緊張は、少し解けたように見えた。マゲイルはロチの様子から次の話も聞き入れられると感じた。
「では次にこちらの二つだが、私はあまり好ましいとは思わない。」
その言葉を聞いたロチの顔は、少し強張った。その強張りは必要なものだとマゲイルは考えていた。
「まず服についてだが、確かに遠出したりドラクレアさんと出かけたりするには相応しいだろう。しかし、普段休日に寮や少し外出する際にはあまり相応しくないと思うんだ。この服は恐らく着るのにも時間が掛かるだろうし、何よりも洗濯が大変だろう。ドラクレアさんは憤怒地域の有力貴族で洗濯も担当のメイドがやっていただろうし、それに今は寮のメイドがやっていると私は思う。でもロチ、君は自分で洗濯をしているだろう。この服は君には洗濯は難しいと思う。」
マゲイルの話を聞いたロチは泣きそうな顔になっていた。その顔を見ても、マゲイルはロチが泣かないことを知っている。
「次にこの袋だ。正直、私は一番このことをロチに伝えたい。ドラクレアさんがどのくらい説明してくれたかはわからないが、この袋はアマイモンが悪魔や人間を堕落させるために落としているものだ。これは魔界の悪魔、特に弱い悪魔が拾えば忽ち強欲の渦に呑まれ、元の生活に戻れなくなる。ドラクレアさんは吸血族の頭領の妹さんだ、拾っても特に問題がないのだろう。でもロチ、君は魔界に来たばかりで魔力も悪魔としての立場は弱小そのものだ。これを拾い続ければそのうち学ぶことも忘れてしまうだろう。私はそうなってほしくないんだ。」
ロチは顔を下に向け、マゲイルにはその表情を窺い知ることができない。だがその雰囲気から深く反省していることが伝わる。
「ロチ、顔をあげなさい。」
マゲイルがそういうと、ロチは少し時間をおいて顔を上げる。その顔は涙を流してはいないものの、悲しみと恥ずかしさを感じているようだった。
「ロチ、私はロチにこの魔界で、何も問題なく過ごしてほしい。ここは東の魔界とは訳がかなり違うんだ。私もそのあたりのことを伝えなかったから反省している。……私の言いたいことがわかったかい?」
マゲイルは伝わっているか不安になりながらロチに尋ねる。ロチはその言葉にコクリと頷き、目元を拭い始めた。マゲイルはその様子を見て、しばらくロチを落ち着かせることにした。
十数分ほど過ぎた頃ロチは落ち着きを取り戻し、品々をまとめ始める。マゲイルはそれを見ると見送る準備をするため立ち上がった。
「ロチ、金袋は私が預かろう。こういうものは使わずとも側に置いておくだけでも危険なものだ。君が魔界の生活に馴染んで、力をつけ必要になったら返そう。」
「わかりました、お願いします。」
ロチはマゲイルの言葉を素直に聞き入れ、金袋を渡した。金袋を受け取ったマゲイルはロチに背を向け、自分の資料棚の一角に手を添える。手を添えられた棚は資料が詰め込まれていたにもかかわらず、魔法陣に照らされた途端に空になった。マゲイルは空になった棚に金袋を入れると、陣を用いて封印した。封印した棚は何もなかったかのようにまた資料に溢れた。
「この棚の封印は複合陣を使っているから簡単には解けないように出来ている。込められた魔力も漏れ出すこともない。この封印に関してはかなり専門的だから、ロチに教えるのはだいぶ後になる。」
「わかりました。」
マゲイルの言葉にロチは納得してるようだった。マゲイルはその表情を見ると、ロチを見送った。
ロチを見送った後、マゲイルは暫くソファに座っていた。思った以上に、ロチはレツに生活のことを教えていなかった。思い返せば自分もそうだった。魔界に一人で来た時、生活習慣がほとんど構築されておらず同室のロジャーや寮の仲間達を驚かせてしまった。そのあとはかなりロジャーや仲間達に助けられたことを忘れることはない。その役割は恐らくドラクレアさんやアマイモンの子なのだろう、マゲイルはそう思いながら立ち上がる。窓に映る空は魔界の夕暮を見せてきているが、マゲイルはあの扉の仕事に向かっていった。
最初のコメントを投稿しよう!