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空は酷く落ち込んで、それと同時に声変わりが本格的に始まった。
思ったほど低くなったわけではない。しかし今まで出ていた高音は、すっかり出なくなってしまった。
彩羽の少女とも少年とも取れる、中性的な歌声を求めていた人達からしたら、ガラッとイメージが変わる事になるだろう。
新曲のMVは、空の声変わりと共に大幅に方向性が変わる事になった。
正直気分は落ち込んでいたし、レコーディングどころではなかったが、大切な仕事だ。
慣れないなりにやった。
だが、これで良いのだろうか。という不安が拭えなかった。
実際、新たに配信されたMVは芳しくなかった。
再生数の勢いはここ最近の勢いで考えると過去最低レベル。
SNSでは『声変わりして微妙。』『イメチェンして量産型になった。』『ファン辞めます。』などと言う感想で溢れ返った。
落ち込んでいた空はこれをきっかけに、本格的にショックを受けて、歌手としてはしばらく休業する事になった。
高校生活に専念する事になったが、ひたすら平穏だった。
愛良以外のクラスメイトは空が彩羽だとは知らない。
愛良の事も避けていたから、穏やかな日々が過ぎていた。
空は一人、屋上で雲を見上げて、弁当を食べていた。
「こんな毎日も、悪くないかもな…。」
青空に浮かぶ雲は、風に乗って、ただ穏やかに流されていた。
風が頬を突き抜けて、心地が良かった。
歌手としてはもう諦めよう。そもそもあれは少年の内にしか通じない。持て囃されていたのも、空の声が唯一無二の時期だったから。
大人になるその瞬間が来ただけなのだ。
上手いか上手くないか、あるいは空の声だから聞きたい。そんな者もいなかったのだ。
平凡な人間。最初から今まで、自分はただの平凡だった。何を勘違いしていたのか。
空がぼんやりと息を吸い込んだ瞬間だった。
屋上の扉が、勢いよく開いた。
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