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今この瞬間、僕にとっては全てが神聖であった。まるで彼女の周囲の空間だけが、悪天候から隔絶されているように感じた。――そこはきっと暖かくて、柔らかい世界だ。僕が思い描く天国そのものだ。ずっと空が晴れていて、僕達だけを照らしてくれている世界だ。
彼女は楽しそうに音を紡いだが、やはり途中で歌うのを辞めた。
「どうせなら、人が幸せになる歌を作りたかったな」
歌を止めると、最後に彼女はそう零した。その瞬間、彼女は笑っていた。
――充分だよ。僕は幸せになった。素敵な歌だよ。
――僕は君の歌を聴いて、君の歌に恋したんだ。
――嘘なんかじゃない。僕はあの歌になら殺されてもいい。
本当に伝えたい言葉は頭の中で滞る。僕にはあと一歩の勇気がなかった。どうしても、年下の僕が言う言葉なんて無責任で幼稚なものだと考えてしまう。そんな自分の思考回路がもどかしかった。
「ここまで来てくれてありがとね。でもやっぱり私は歌いきるつもりはないし、君は帰るべきだよ」
彼女はおもむろに立ち上がり、ふわりと屋根の上から降りた。
「あっ……」と、僕は声を漏らす。――知らないフリをしていたのに。
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