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補陀落渡海
補陀落渡海(ふだらくとかい)
日本で平安時代から江戸時代にかけて行われていた捨身の行。
浄土とされた補陀落を目指し、行者は渡海船に乗る。
渡海船は船室を囲むように四つの赤い鳥居が建てられた独特の形をしており、白帆はあったが進路を定めるための機能はなかった。
そのため別の船が沖まで綱で引いて、そこで綱を切って送り出した。
漂流を続けるうちに船は沈没することになるが、行者はそれ以前に飢えや衰弱で死ぬこともあったと想像される。
生還せず遺体も戻らないことが、浄土に到達した証拠と信じられたので、行者が生きて戻らないように百八つの石を身体に巻き付けることもあった──。
樹生からスマホを渡されて、千秋も読む。
「姉さん、なんでこんなものに興味を持ったのかしら?」
千秋が呟く。
「さあ、どうしてだろう」
樹生はそれしか言えない。
「明日、そのお寺を訪ねてみよう」
樹生が言うと、千秋は肯いた。
その夜、二つ並べられた布団の片側に二人身を寄せ合い抱き合って横になっていた。海の方からゴオーッという地鳴りのような音が聞こえて、なかなか寝付けなかった。
「なにかしら? 波の音ではないような……」
千秋が囁く。
「海鳴り、かな?」
樹生が答える。
「海鳴りなのね。でも、なんだか悲しそうに歌う女の人の声も聞こえてくるわね」
確かに、ゴオーッという音の間に、高い、まるで女性が歌うような声が聞こえてくる気がした。
「そうだね」
「姉さんも聞いたのかしら?」
千秋の問いに樹生は答えず、二人は互いの体温を感じながら、それぞれ春乃のことを考えていた。
翌朝。
「今日はどういうご予定なんですか?」
朝食を配膳してくれる女将に、今日の予定を聞かれた。
「まずは尼出海岸を見に行って、それから月仙寺へと思っています」
樹生が答えると、女将は顔を曇らせた。
「それはお止めになった方がいいです」
女将はきっぱり言った。
「えっ?」
何が問題なのか、そんなに強く反対されるとは思わなかった。
「昨夜、海鳴りがしていました。この島では海鳴りに妙春尼の歌が聞こえたら、尼出海岸へ行ってはいけないという言い伝えがあります。漁師さんたちもこんな日は怖がって漁を休むんですよ」
この島の人はあの女の歌声のような音を、妙春尼の歌と信じているようだった。
「もし破るとどうなるのですか?」
千秋が尋ねる。
「沖から妙春尼が現れ、さらわれると言われています」
「さらわれる……」
樹生が繰り返す。
「あの、もしかしたら姉は? 姉は海鳴りのあとでその海岸へ行ったのでしょうか?」
「はい。その前の晩、歌声を聴いた気がしましたから、お止めしたんです。でもどうしても行くとおっしゃって」
女将は辛そうに続ける。
「もっと強く止めていればと後悔しています」
(馬鹿な……!)
樹生は女将の手前口にこそ出さなかったが、非現実的な話に内心呆れていた。
妙春尼の歌声を聞いたから、春乃はさらわれた?
(そんな迷信、信じられるか!)
しかし、海鳴りのする日は確かに海が荒れるらしい。漁師が漁を休むのもそれが理由だろう。
今日も、天気予報では雨となっていた。
「天気も悪そうだし、今日は海岸に行くのは止めようか。手始めに、お寺を訪ねてみよう」
樹生が言うと、千秋は肯いた。
女将も安心したようで笑顔を見せた。
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