春乃と千秋

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春乃と千秋

 月心の話を聞いた二人は、春乃がこの島を訪れた理由がわかった気がした。 「春乃さんは話を聞いたあと、『今でも妙春尼の歌が聞こえた日に海岸に行けば、妙春尼に会えるでしょうか?』と質問されました」 (ああ、やはり……)  千秋は思う。 「それで私は、『二百年以上も昔の話です。妙春尼もきっと今頃は海を彷徨(さまよ)うのはやめて浄土に行かれたのではないでしょうか』とお答えしました」 「そうですか」  話は終わり、二人は住職に礼を言って寺を出た。ぽつりぽつりと雨が降り出していた。  宿に戻った二人は、語り合うことができないまま重苦しい空気の中で向かい合っていた。  妙春尼と秋江、そして住職は、そのまま春乃、千秋、樹生に置き換えられた──。  樹生と春乃は大学時代からの恋人だった。大学卒業後、春乃は当然のように父の会社に入社し、樹生もまた春乃に勧められて採用試験を受けた。樹生は大学でも優秀な成績だったので、問題なく内定を得られた。  樹生の社内での評判はよく、春乃の両親の覚えもめでたく、二人は正式に婚約することになった。娘二人しかいない副島家に婿養子として入り、ゆくゆくは副島不動産の後継となることが約束された。  そんな中、春乃の妹の千秋が樹生に恋をした。純粋でそれだけに真っ直ぐな千秋の想いに(あらが)いきれず、樹生は千秋と一夜を共にしてしまう。  春乃は正直、樹生より優秀だった。弱音を吐かず、樹生がいなくても一人で生きていける女だと感じるようになっていた。  それに対して千秋はおっとりして愛らしく、甘え上手で放っておけなかった。男として頼られる心地よさに、千秋に惹かれていく自分がいた。  一方の千秋は優秀な姉にコンプレックスを抱きながら、憧れる気持ちもあった。姉が選ぶものに間違いはなく、なんでも姉の真似をしていた。  姉の婚約者というだけで、樹生を欲しいと思ったのが最初だった。しかし樹生を知るにつれて、本気で愛するようになっていた。  春乃と樹生の結納を直前に控えたある日、樹生が春乃との婚約解消を願い出て、樹生と千秋の関係が露見した。  春乃は二人の話に最後まで激高することなく、話し合いの末婚約解消と二人の結婚を認めた。  千秋と樹生は何事もなかったかのように盛大な式を挙げた。一部の人には樹生と姉妹の関係は知られていたが、春乃も式に出席して二人を祝福したので、話はそれ以上広がらずに済んだ。  春乃が行方を断ったのは、それから一月(ひとつき)後のことだった。
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