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 火事の炎といぶされた煙が、渋谷の夜空に舞っている。  ビルの屋上でそれを眺め、Anifalakはスマホの配信ボタンを押した。  スマホは自立式スタンドで固定され、ビルの屋上に立つAnifalakを映している。仮面をつけ、ピンク色の兎のパーカーを着たAnifalakは、喉の調子をみるように音を転がした。C(ツェー)の音を何度か出し、それがメロディの形を取り出したときだった。屋上のドアが蹴破られ、黒服の捜査員たちが現れた。シンヤがスタンドからスマホをとり、配信スイッチを切る。 「よぉ。てめぇがAnifalakか?」  Anifalakは一瞬黙ったが、またすぐ音を紡ぎはじめた。メロディだけの音に、今度は明確ではっきりとした言葉がのせられている。 「もう終わりだ。歌うのをやめろ」  後ろで配信を見ていた俺は叫んだ。 「シンヤさん、終わってません!」 「あ?」 「映像はないけど、音はまだ配信されてます……!」  配信画面は真っ暗だが、会話と音は聞こえている。コメント欄はものすごい速さで、何百万人という人がこの事態を注視していた。横に控えていた女性の先輩が、無言でAnifalakの耳元を指さす。そこにある白のワイヤレスイヤホン──あれでAnifalakは配信用の音を拾っているのだ。俺たちの次の動きより、向こうの声のほうが速かった。 「うぉっ!?」  こぶしをきかせた絶唱がとどろいた瞬間、前にいたシンヤが膝をついた。まるで上から重力に押しつぶされたように。Anifalakは指でシンヤを示し、『とまれ』と声に出して歌っただけだった。Anifalakは続けて日本語ではない詞をメロディにのせる。その音を聞いた瞬間、俺は胸騒ぎがした。これは絶対に良くない音だ──1音でそれがわかる。胸の奥に憎しみと怒りが満ち、悲しみと絶望の波が押し寄せてくる。何かを今すぐ壊したい。なんでもいい。誰かを今すぐ殺したい──……。 「おい!」  後ろから思い切り秋澄に蹴られ、ハッとする。振り返ると、秋澄は耳に装備したノイキャンイヤホンを示し、「スイッチを切り変えろ」と睨んでくる。そうだった。万が一に備え、全員が無線つきの特殊イヤホンを装備している。俺が慌ててイヤホンのスイッチを入れると、秋澄は他の固まった捜査員を蹴り転がし、俺にギターを押しつける。無言で示され、俺はシンヤの元へ駆けた。 「シンヤさん!」  反応がない。目を見開き、凍りついている。歌い続けるAnifalakの声にのまれているのだ。俺が勢いよくギターをかき鳴らすと、背後につながるアンプから鈍器のような音が鳴り、シンヤの瞳に光が戻った。 「くそっ。あの野郎ォ……!」 『はやく止めろ! 生配信がテレビで流れている……!』  イヤホンからの声に振りむくと、悪鬼のような形相の秋澄が『誰がテレビに繋いだ!? すぐ止めろ!』と本部に指示を飛ばしている。俺はスマホをテレビ視聴に切り替えた。 「し、シンヤさん。これ……」  すべてのテレビ局の画面が真っ暗で、Anifalakの配信を流していた。いまこの瞬間、日本中がAnifalakの凶声を聴いている──……。  すうぅぅと、Anifalakが息を吸う音が聞こえた。まずい。  絶唱がとどろいた。  殺意むき出しの、触れただけでおかしくなるような歌だ。イヤホンで音量はかなり絞られているが、それでもわかる。これは「呪いの歌」だと。聞くものを怒りと絶望で支配し、真っ赤な殺意で世界を埋めつくす。そのために作られた歌だ。何人かがAnifalakに近づこうとしたが、近づけずにいる。重力に跳ね返されたみたいに押し返されてしまうのだ。あの音を止めなければ──……。 「ぎ、ギター! 音!」 「はいっ」  シンヤが一歩前へ出る。彼が懐から取り出したのは、拡声機能つきのペンだった。俺がギターを適当に鳴らすと、シンヤは流行歌を歌いはじめる。誰でも知っている歌だが、メロディや詞には細かな改変があった。おそらくシンヤは、歌の悪影響を打ち消す呪いを組み込んでいる。秋澄を窺うと、険しい顔で首を振られた。テレビの配信はまだ止められないらしい。視聴者はシンヤの歌より、Anifalakの歌を聴いている。当然だ。配信の音源はAnifalakの耳にある小型イヤホンで、そこから聴こえる音のほうがシンヤの声より大きい。なんとかして視聴者の注意をこちらへ向けなければならない。  すると、シンヤは歌いながら、Anifalakの配信用のスマホを拾い上げ、秋澄へ投げた。嫌そうにそれを受け取った秋澄は、渋々と配信スイッチを押す。俺は慌ててその画角から外れた。演奏しながら下がると、横にいた女性捜査員が今現在の配信画面を俺に見せてくれた。ビルの屋上でシンヤとAnifalakが対峙し、双方が別々の曲を歌っている。コメントの多くは突然現れたシンヤに否定的だった。  シンヤは振り返り、自信たっぷりに笑んだ。  秋澄の手にある配信用のスマホを指さしている。 「お前ら、知ってんだろ! 手拍子!」  スマホを構える秋澄以外の捜査員が、慌てて手拍子を打つ。その音が、スマホから直接拾われる。シンヤが選んだ流行歌には、サビ前に手拍子を入れる部分がある。観客に能動性を求め、より一体感を増せる曲ではあるが……シンヤはさらに、曲の振りつけを踊りはじめた。意外にもその身のこなしは完璧だった。ダンスグループのダンサーよろしくきれの良い動きに、俺は思わず目を奪われてしまう。よく見ると、ところどころにオリジナルの振りが組み込まれているが、おそらくこれも──なんらかの呪いに違いない。不思議とシンヤの動きから目が離せないのだ。後で秋澄に確認したところ、やはり目から取り込むタイプの呪いが入っていたという。秋澄はこう言っていた。 「シンヤはAnifalakに似ていますよ。歌や動きで人を操る天賦の才を持っている──彼は人を害しませんが、その逆は行います。私はそれに賛同しかねますが」  シンヤは笑顔で観客をあおっていく。  配信のコメント欄も、しだいにシンヤに好意的になってきた。  Anifalakは歌い続けているが、視覚情報を取り入れたシンヤのほうが、呪いの力はずっと強い。  シンヤが1曲歌い終わると、コメント欄からAnifalakを応援する文字はすっかり消えていた。みんなシンヤの歌と踊りに目を奪われたのだ。  秋澄が配信をふいに切る。  Anifalakは静かになっていた。  捜査員が手錠をかけ、Anifalakを連行していく。  去り際に、シンヤはそれを呼び止めた。 「なあ。なんでこんなことしたんだよ?」  Anifalakは振りむきもせず、ぼそりと零した。その言葉こそ、俺には呪いのように聞こえた。 「それが出来たから」  なんの意志も、強い主張もなく。その空疎な声はぽっかりとあいた穴の底の、黒い歪みがこだましたようだった。ふいに、仮面の奥の瞳と俺は目が合った。その瞳の翳りは、心から絶望した者だけが持ちうる黒さだった。俺はその色を何度も見てきた。そう、毎日、鏡の中に映る自身の瞳の中に──目をそらしたAnifalakは、そのまま静かに連行されていった。
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