さえずる鳥は恋を歌って

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 その日から小さなパン屋に足しげく通う吟遊詩人の姿が見られるようになった。  看板娘に惚れたのかなと周囲の者たちは噂したけれど、口説いているようでもない。ただパンを買ってはのんきな雑談をしているという。  そのままひと月が経ちふた月が経ち、周りのほうがもどかしく思うくらいだった。  たまりかねて酒場の亭主が口を出してきた。 「得意の恋の歌のひとつでも歌って口説けばいいものをよ……」 「そんな気軽に彼女に恋の歌なんて歌えないよ……」「どんだけ人前で歌ってきた口で言うんだよ、小夜啼鳥さんはよ」  亭主は呆れ顔で言う。アルヴィンはと言えばカウンター席で背中を丸めるだけである。  軽い気持ちで恋を歌う軽薄な奴なのだ、と誤解されるのが怖かった。吟遊詩人なんて風来坊の身だから、なおさらだ。 「もっと仲良くなりたいんじゃないのかよ?」 「……仲良くなりたい」 「じゃあもう一歩踏み込めよ、年寄りの井戸端会議じゃないんだから。そんなんじゃほかの若い奴にあの子をかっさらわれちまうぜ?」 「それは困る!」  思わず椅子をひっくり返して立ち上がってしまった。 「その意気だ、それ誘ってこい! 得意の歌でも聞かせて良いとこ見せろ!」 「うっ……わかった」  出会ってからふた月も経っているが、アルヴィンはまだブリジットに歌を聞いてもらったことがなかった。  パン屋は母一人娘一人で営まれている。ブリジットは昼は店に立っているし、仕事は早朝からなので夜は早く休んでしまう。アルヴィンが広場で歌うのは昼間だし、酒場で歌うのは夜遅くまでだ。  彼女は歌を聞きに来てくれるとは言ってくれたものの、なかなか時間が合わない二人なのだった。  夕暮れ。ちょうどパン屋が閉まる直前に、アルヴィンはブリジットに声をかけた。  すっかり顔なじみのアルヴィンを見たブリジットは嬉しそうだったが、歌のことを聞くと少し戸惑ったようだった。  歌を仕事にしている詩人に、仕事でもない場で歌わせるのが申し訳ないと思ったらしい。 「良いんですか? お忙しいんでしょうに……」 「その、良かったら個人的に一曲歌わせてほしくて……。以前、聞いてくれると言っていたでしょう、もし嫌じゃなければで良いんだけど」 「嫌なんかじゃないですよ、もちろん嬉しいです! あ、でも店でってわけには行かないですよね」 「そうだね。それに広場じゃ人が集まってしまうし……うーん」 「そうだ!」  と、ブリジットは名案を閃いたとばかりに手を叩く。 「あたし、良い場所知ってるんですよ。ついてきて!」 「えっ。う、うん、わかった」  ブリジットに導かれるままにアルヴィンは夕焼けの街を歩き出した。見知らぬ細い通路を抜け石段を伝い、高台へ。  高台にはおあつらえ向きにベンチがあり、ブリジットはその前で手招きをするのだった。 「ここから見下ろす王都の風景は、最高なの。その割には人も少ないし、ちょっとした穴場なんです」 「確かに……これは見事な景色だ。良い場所に連れてきてもらったなあ、ありがとう」 「どういたしまして! アルヴィンさんにはぜひ見せたくって」  夕日の輝きも眩しいが、ブリジットの笑顔のまばゆさには敵わないかもしれない。  素晴らしい景色に負けない歌を用意しなくてはと、気が引き締まる。 「ブリジットのリクエストが聞きたいな。どんな歌が良いかな?」 「あの小夜啼鳥さんにリクエストできるなんてすごいな! そうですね……」  ブリジットは悩む様子もなくすぐに答える。 「アルヴィンさんの故郷の歌が聞きたいです」 「僕の故郷の歌? 故郷の歌って言うと……」 「どんなものでも良いんですが、その場所がどんなところか分かるような歌だと嬉しいです」  意外なリクエストだった。  今までアルヴィンがされたことのないリクエストでもあった。  恋の歌で名高い吟遊詩人の彼には、当然恋の歌を望む聞き手が多い。次は英雄譚で、その次は伝承の歌。故郷の歌をリクエストされたことは一度もない。  アルヴィンにとっての故郷はもちろん思い出深い地だが、人々を前にして歌うような特別なできごとのある場所ではない。  考えながらリュートを爪弾く。  決めた曲は、故郷の麦畑の歌。収穫を祝う祭りの素朴な歌だった。  飾らないその歌は、派手ではないが実はアルヴィンがとても気に入っている歌だ。  一小節ごとに、慣れ親しんだ故郷の懐かしい思い出が蘇ってくる。それだけに歌には自然と熱が入った。  一曲歌い上げてはっとした。  つい歌に熱中してしまってブリジットの反応を見ていなかったのだ。  慌てて彼女を見ると、なんと涙を浮かべているではないか。 「ご、ごめん。気に障った?」 「まさか! 逆です逆。本当にすごいんですね、アルヴィンさんの歌って。風景や思いが浮かび上がってきて……つい感激しちゃって。素敵なところなんですね、あなたの故郷は」  ブリジットは照れくさそうに涙を拭って笑った。  アルヴィンは安堵するとともに、心から嬉しくも思う。涙は何よりの賛辞であり、それに加えて彼女の心根の優しさもしっかりわかったような気がしたのだ。 「……ブリジット、君が良ければまた時々僕の歌を聞いてくれない? 聞かせたい歌が色々あるんだ」 「喜んで! あたしももっと知りたいんです、あなたのこと」  それから時折、二人だけの小さなコンサートが密やかに開かれるようになった。  ブリジットはいつもアルヴィンの故郷の歌を請う。アルヴィンは歌い、それだけでなくブリジットの故郷である王都の歌も新しく作る。  新たな思い出をともに作り出し、重ねていく日々は楽しかった。  二人の仲は順調に接近していくように思えた。  その日までは。
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