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柘榴の村
いつか、ここを出て都会に行って暮らすんだ。
籠宮悠は村の入り口をふさぐようにして立っている深い森を見上げて心の中で誓う。季節は夏になり、暑い日が続くがこの日は朝から快晴で見上げた空は吸い込まれそうなほどに青かった。
「悠、ここにおったんか。探したぞ」
とん、と不意に肩に手が置かれて振り返る。眉を寄せ顔をしかめた父親の覚と目が合った。ところどころ白髪の混じった髪はぼさぼさで伸びた毛の先を赤い細紐でくくっている。
「……別にええやろ。そこの森を見とっただけや」
悠は父親が着ている羽織からする臭いが小さい頃から苦手で、少し距離をとる。金属に浮いた錆に似た臭いが鼻をつく。覚はその様子を見て自分の着ている羽織を脱いでたたみ、脇に抱える。
「ああ……すまん。さ、家に戻ろう」
覚は困ったように髪を指先で掻き、悠に手を差し出す。悠は何も言わずにうなずき、父親の手を取った。
*
覚と共に家に戻った悠は蛇口から出した水で口をゆすぎ手を洗うと、そのまま奥の部屋へ向かう。障子の閉まった部屋の前に来ると冷えた廊下の床に膝をつき、戸をゆっくりと左右に開く。
「ーーーーただいま、母さん」
部屋はしんと静まりかえっている。悠は中からの返事を待たずに入っていく。一歩踏み出すたびに新しい畳のい草の香りが鼻に届く。中央には布団が敷かれており、母親の籠宮由莉が寝かされていた。
「今日は父さんも一緒だよ」
悠が布団のそばまで行って母親に話しかけるが、返事はない。瞼を閉じて眠っているようにしか見えないが、彼女はすでに死んでいる。けれども生きていた。
「悠、母さんの様子は?」
「大丈夫。いつもと変わらへんよ」
悠は後から入ってきた覚に即答する。その視線の先にあるのは母親の着ている上からボタンを少し外した淡い水色のブラウスの下からのぞく肌から生えている、ちょうど悠の片手に収まりそうな大きさの赤い柘榴の実だった。
真っ赤に熟れた実が風もないのにかすかに揺れ、ふわりと甘い香りをさせる。ここには土も水もないのにいつの間にこんなに伸びたのだろうか。
「うん……そうやな。髪も顔色も良さそうやし、これなら水……やらんでも大丈夫やろ」
近づいてきた覚が悠の背後から由莉をのぞきこんでぽつりと言った。悠は頷く。とっくに死んでいるはずなのにいつまでも体が朽ちない母親が最初のころは不気味で仕方なく、この部屋には入ろうとも思わなかったがそれにもやっと慣れた。
夜1人で寝ていると、ふと自分の体から母と同じような柘榴の実が生えてくるのではないか。いつの間にかどこかから伸びてくるのではないか……というおかしな想像が頭の片隅に浮かんで眠れなくなる時もある。
「神さんに……アカダマ様に感謝せんとな」
「……そうやな」
悠の頭の中に村中の祠に祀られた赤い球体に似た奇妙な姿をした神様の姿が浮かぶ。そうだ。今、母が生きているのは全てアカダマ様のおかげだ。
「父さん、今から祠にお参り行ってくるわ」
「ああ、それがええ。夕方には戻ってくるんやで」
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